だれかに話したくなる本の話

「彼氏」って言葉は、いつ頃から使われはじめたのか?

今、普通に使っている言葉。実は昔の流行語だったって、ご存知ですか?
 「言葉」とは時代によって変わっていくものですが、実は私たちが当たり前に使っている言葉は、最近になって出来たものが意外に多かったりします。

 そんなことを教えてくれるのが『暮らしの年表/流行語 100年』(講談社・編、講談社刊)です。本書には1911年から2010年までの年表と、その年ごとの流行語が解説付きで掲載されています。その中には「え? あの言葉って、もともと流行語だったの?」と思わせる言葉もちらほら発見できます。
 今回は1910年から1920年代、今から約100年前の意外な流行語をご紹介します。

◆警視総監の訓示が流行語に!?―「もしもし」
 例えば人を呼びかけるとき、そして電話をかけて相手が出たとき、使う言葉といえば、「もしもし」ですよね。これは1913年(大正2年)の流行語なのです。
 1913年3月、警視庁の安楽兼道警視総監が巡査の傲慢な態度を改めるべく、民衆に対して丁寧に接することを心がけるよう訓示しました。そして、それまでの「おいおい」や「こら」ではなく「もしもし」が代わりに使われるようになったそうです。

◆関東大震災復興のスローガン―「この際だから」
 3・11の大震災発生後、「がんばろう日本」という言葉がいわばスローガンのように使われるようになりましたが、1923年(大正12年)の関東大震災のあとにも流行した言葉があります。それが、「この際だから」です。
 本書によれば、この言葉は「こんな状態だから、本来・従来はこうはしなかったけれど、こうする(これでよい)ことにしよう」という意味で用いられたとあります。被災者たちが震災を受け入れ、復興に立ち上がっていく姿が、この言葉の中に映りませんか?

◆もともとは別の言葉だった―「公衆電話」
 携帯電話の普及以来、今はすっかり見かけなくなってしまった感じのする「公衆電話」ですが、実はこれも流行語です。1925年(大正14年)、それまで手動で行われていた電話の交換が自動交換方式になると混乱を招くということで、「自働電話」から「公衆電話」に改称されたのです。

◆組版上の都合で作られた言葉―「彼氏」
 恋人の男性の言葉を指す〈彼氏〉。これは1929年(昭和4年)に流行した言葉です。もともと一般語として「彼」は使われていましたが、漫談家の徳川夢声がその年刊行された『漫談集』のなかで、三人称の男性の代名詞で「彼氏」を使い、その後、恋人の男性の意味として使われるようになったそうです。
 実は、夢声はこの言葉を使う予定はなく、「彼女と彼の会話」という一文を書いたとき、組版上で1文字スペースが空き、そこを「氏」で埋めたのがきっかけだったそうです。

◆就職難はいつの時代もあるものだ?―「大学は出たけれど」
 大学生の就職難は今や社会問題として取り上げられていますが、実は1920年代末にも、現代と同じように学生たちが就職難にあえいでいました。そんな1929年(昭和4年)に流行したのが、この「大学は出たけれど」です。
 1927年の金融恐慌の影響で、大学生の3人に1人は就職ができない状況でした。そんな中1929年9月に、小津安二郎監督の『大学は出たけれど』が公開され、大学を卒業しても就職難で希望がもてない大学生の心情を表した言葉として流行したのです。

 関東大震災後に流行した「この際だから」、就職難の時代の学生たちの叫びを言語化した「大学は出たけれど」、そして当たり前のように使っている「彼氏」や「もしもし」のルーツを探ることで近現代史に肌でふれることができます。

 『暮らしの年表/流行語 100年』を読んでいくと、様々な言葉が流行し、そして消えていったことが分かります。「自分が生まれた年の流行は?」「自分の親が青春を送った年代はどんなことが起きたのだろう?」など、読む者の知的好奇心を掻き立てる一冊です。
(新刊JP編集部/金井元貴)