だれかに話したくなる本の話

浅井健一は「ビート」、チバユウスケは「南米」2人の歌詞に見る文学性の違い

ただ、筆者個人はこの変化にいい印象を持たなかったし、当時のファンも同じように思った人が多かったのではないか。

ここにあるのは空と
見渡す限りのポップ・コーン
退屈な子供たちは
トウモロコシとファックしてる
16番目のモーテル
(「アンジー・モーテル」より引用/『カサノバ・スネイク』収録)

この歌詞も「物語」的であり、しかも舞台はどう考えても「アメリカ」である。そして2000年代初頭といえばブランキージェットシティの解散直後。ミッシェルの歌詞におけるこの変化を「チバの浅井化」だと勘繰る条件はそろっていたのである。

■「The Birthdayのチバユウスケ」が獲得した新たなオリジナリティ

ただ、この変化によってチバの歌詞は独自性を失ったと言いたいわけではない。というのもミッシェル解散後、ROSSOなどを経て、The Birthdayで活動しているチバの歌詞は、あいかわらず物語らしきものの断片やイメージを語りかけてくるが、そこには浅井の歌詞とはまた違ったオリジナリティが感じられるからだ。

日焼けした白いギターに新しい
一本の木が生えて 緑の葉っぱ達を
ゆさゆさなびかせる トロピカーナドリンク
白目はあいかわらず 黄色いまんまかい?
(「モンキーによろしく」より引用/アルバム『TEARDROP』収録)

青い羽が落ちて トランぺッター楽器を置いた
泥酔して 忘れたマントを
ヤセギスの死神に着せるために
(「I KNOW」より引用/シングル『I KNOW』収録)

この言葉の使い方はアメリカというよりは中南米。そして歌詞の中で起こっている出来事はどこか超現実的であり、魔術的だ。