だれかに話したくなる本の話

「全部できて当たり前」に悩むワーキングマザーを救った一冊とは 「私と本の物語」平理沙子さん(広報)

あの本の中の、あの一文に心を動かされた。そんな経験をしたことはないでしょうか。
本は、時に読者の人生を肯定し、時に読者の背中を押し、そして時に強く叱咤してくれるものです。

さまざまな人に心を動かした本の一文にまつわるエピソードを語る「私と本の物語」。
今回は株式会社DMM.comの平理沙子さんが登場です。

■「すべてできて当たり前」という思い込みをこえて

平さんは英会話事業部に所属し、オンライン英会話レッスンのサービスを提供する「DMM英会話」の広報を担当しています。
広報といえば、社の理念や商品の内容をメディアに伝え、社会に広げる重要な仕事。自分自身が前に立ち、「会社の顔」として振る舞わなければいけない難しさもあります。

さらに、平さんは3歳のお子さんを持つ“ワーキングマザー”でもあります。
東京大学を卒業後、楽天に入社するも半年後に妊娠が発覚。出産後、1年半の専業主婦期間を経て外資系のメーカーに就職し、営業として働き、2016年より株式会社DMM.comに転職しました。

ワーキングマザーとして、家事・育児と仕事の両立に悩んできたという平さん。しかし、ある本に出会ってから、「どちらも完璧にこなさなければいけないと思い込むことはやめよう。手放せるものは手放そう」。そう考えるようになったそうです。

そのきっかけになったのがこの本です。

『自分の時間を取り戻そう』(ちきりん著、ダイヤモンド社刊)

世の中には、次から次へと新しいことを手がける人がいます。こういった驚くほどたくさんのコトをやっている人というのは、反対に「誰でもやっていそうなこと」をやっていません。
そして、それらをやらないことに伴う負担を(経済的な負担だけではなく、自分の思うとおりの完璧な掃除が行われないことや、他人からの視点なども含め)、引き受ける覚悟を持っています。それは、「そのほうが人生の生産性が高いから=限られた人生のなかで、できる限りたくさんの“自分のやりたいこと”ができるから」です。(P173-174より引用)

「やらないことに伴う負担を、引き受ける覚悟を持っています」という言葉にハッとしたと平さんは語ります。

「この本を読んだのは去年の12月頃です。ちょうど電通の女子社員の過労死問題が発覚して、働き方改革が叫ばれ始めていた頃で、本屋で手に取りました。
私自身、もともと家事が苦手で、あまり好きではないんです。でも、ワーキングマザーと言うと、どうしても『仕事と家事・育児を両立できてすごい女性』という視線を向けられてしまう部分があって。
自分はそんなに完璧な人間じゃないと思いながら、そういう女性にならなきゃいけないと思っていたところがありました。だから、家事代行やベビーシッターを試した事がなかったんです」

この本で、著者のちきりんさんは「すべてできて当たり前」という“洗脳”から脱することを訴えています。家事も育児も仕事もすべてこなせる人はそういませんし、なんとかこなすことができたとしても、それぞれの生産性は必ず落ちます。時間は有限です。

そう考えれば、自分が一番成果を出せるところに集中し、できないことはアウトソーシングしてしまったほうが、自分だけではなく周囲のためにもなります。

「この本には登場人物が4人、出てきます。その中のケイコという人物は、まさに私と同じワーキングマザーで、家事も育児も仕事も頑張っているけれど生活に余裕もないという女性です。
そんなケイコがちきりんさんのアドバイスを受けながら少しずつ生活を変えていく。そのアドバイスがとても具体的なので、自分と重ねながら取り入れることができました」

真面目で完璧を目指す人ほど、抱え込んでしまう傾向があります。周囲の人たちに迷惑をかけたくない、そう思ってしまうのです。しかし、一人の人間だけでできることは限られています。

■「人にもっと迷惑をかけてもいい」ということを教えてくれた本

「もっと他人に迷惑をかけてもいい、結局はお互いさまなのだから」――仕事も家事も育児も、すべてが上手くまわるには、そういった気持ちが個人にも、そして社会全体にも必要なのかもしれません。

平さんはそのメッセージを、ある小説の中の一文から受け取ったといいます。

『漁港の肉子ちゃん』(西加奈子著、幻冬舎刊)

「生きてる限り、恥かくんら、怖がっちゃなんねえ。子供らしくせぇ、とは言わね。子供らしさなんて、大人がこしらえた幻想らすけな。みんな、それぞれでいればいいんらて。ただな、それと同じように、大人なんてものも、いねんら。だすけ、おめさんが、いっくら頑張っていい大人になろうとしても、辛え思いや恥しい思いは、絶対に、絶対に、することになる。それは避けられねぇて。だすけの。そのときのために、備えておくんだ。子供のうちに、いーっぺ恥かいて、迷惑かけて、怒られたり、いちいち傷ついたりして、そんでまだ、生きてくんらて。」(P291より引用)

西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』は、男にだまされた母・肉子ちゃんとともに北陸の港町に流れ着いた主人公・キクりんの日々の喧騒を描いた小説です。ちゃんとした大人が一人もいない、でもみんな一生懸命生きている。市井に生きる人々の息遣いが伝わってきます。

平さんがあげたこの一文は、物語のクライマックスで、主人公母娘がお世話になっている焼き肉屋の主人サッサンが、キクりんに向けて放った一言です。

「これを読んだ時に価値観がひっくり返ったというか(笑)、自分もそうだし、子どもの教育にとってもすごく大切なことだなと思いました。
どんなに迷惑をかけないようにしても、どこかで絶対にかけてしまうんですよね。前の職場の時に、子どもが突然熱を出して仕事を休まないといけなくなったりして、それに罪悪感を抱いてしまっていたことがありました。でも、迷惑は絶対にかけてしまうものだし、誰もが完璧な大人にはなれないじゃないですか。だから、自分が成果を出せるところに集中したほうがいいなと思ったんです」

平さんがこの『漁港の肉子ちゃん』を読んだのは、現在働いているDMM.comの前の職場に勤務していた頃のこと。当時0歳の子供を抱えながら、仕事と育児・家事を完璧にこなそうともがいていました。
しかし、それは極めて難しいことです。何かを手放さなければ、何かを得ることはできません。

「私はもともとバリバリ仕事をしたいタイプなのですが、母親はまったく逆の考え方でした。そういう母親を見て育ったこともあり、仕事と家事・育児の両立に自分の中で折り合いがあまりつかなかったんです。
ただ、2冊の本を読んでから、家事を手放してもいいと感じましたし、とにかく頑張るよりも、少ない労力で確実に結果が出た方が格好いいと思うようになりました」

今置かれている自分の環境はとてもやりやすいと平さんは言います。
英会話事業部という部署の特色から時短勤務やリモート勤務が認められやすく、また夫を始めとした家族に対しても「夫は家事に対してあまり口を出さないですし、その部分は一貫して助かっていますね」と感謝を口にします。

これからどのようなスタイルで生活をしていきたいかを聞くと、次のように答えてくれました。

「小1の壁、という存在も聞きますので、今のスタイルのまま続けていけるか不安もありますが、仕事は楽しいので続けていきたいです。子どもが寂しい気持ちにならないように、工夫しながらやっていきたいですね。
また、正直な話をすると、将来事業を立ち上げたいと思っています。もちろんだいぶ先の話になるのですが、地方創生に興味があって。地元の大阪府泉佐野市で何かしたいという野望があります。
実は小学校の卒業文集に『社長になりたい』と書いていて(笑)、一時はその夢を忘れていたんですけど、最近また興味が湧いてきました」

「完璧にこなさければいけない」というプレッシャーは誰にでもあるもの。しかし、人はそんなに完璧ではありません。
それよりも、自分の不得意なものを手放しアウトソーシングすることで、新しい世界が広がる。本当に守るべきものを守るための余裕が生まれます。

「DMM英会話」は日本で最大級のオンライン英会話サービス。24時間のレッスン提供と、7000種類以上の豊富な教材、そして80ヶ国約6400名の講師を抱える巨大なサービスの広報を受け持つ平さん。

そんな平さんの経験と、その考えの礎を作った2冊の本の一文は、同じように悩むたくさんの働くお母さんたちに響くはずです。

(文章:金井元貴/新刊JP編集部)

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金井元貴

1984年生。「新刊JP」の編集長です。カープが勝つと喜びます。
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