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【「本が好き!」レビュー】『ハロー、アメリカ』J・G・バラード著

提供: 本が好き!

J・G・バラード著、南山宏訳『ハロー、アメリカ』(創元SF文庫、2018年)は合衆国が崩壊して1世紀後を描くSF小説である。20世紀末に化石燃料が枯渇し、エネルギー危機が起きたという設定である。現実は本書のようにならなかった。

既存の油田が枯渇すれば従来は採掘が技術面や採算面で難しかった場所で採掘されるようになる。また、シェールガスのような新しい化石燃料も採掘される。さらに自然エネルギーの技術進歩も著しい。需要があれば供給が生じる。市場原理は20世紀後半の研究者が考えた以上に強靭であった。

この意味では本書は市場重視の新自由主義が普及する以前に書かれたという古さを感じる。世界的なエネルギー危機に対してユーラシア大陸諸国は配給制など国家の経済統制を強めて生き延びた。これに対して、社会主義や官僚制の伝統を有しないアメリカは社会が崩壊し、多数の国民が旧大陸に逃げ出していった。しかし、現実には国家統制は現場の需要に応えられず、無駄と非効率を生み出す。それはソ連の崩壊が実証した。

本書はモスクワが世界政府の中心地のように描かれている。ソ連崩壊前の20世紀のSFではソ連のような官僚制の管理社会が未来社会と描かれがちであるが、本書にもそのような発想が見られる。

一方で本書はアメリカらしさを適切に指摘する。自立心や搾取者への健全な警戒心である(101頁)。アメリカ調査団の登場人物達も管理社会にはないアメリカの自由さを求めている。権力の監視や分権的な制度設計はアメリカに大きく見習う価値がある。

本書には荒廃したアメリカに残り、原始的な生活を送る人々が登場する。彼らがインディアンと呼ばれる点はブラックジョークである。彼らは部族に分れて生活している。全部族の統合を図ろうとした部族が現れたが、「けっきょくわれわれから税金をとりたてたいだけ」と批判された(97頁)。ここにもアメリカ流の分権主義がある。

本書ではエネルギー危機からの食糧難打開のためにシベリアを穀倉地帯にする国際的なプロジェクトが進められる。これによってアメリカの気候は荒廃するが、日本も荒廃する(74頁)。シベリアを豊かにすると日本の気候がダメになる関係は御厨さと美の漫画『ルサルカは還らない』でも描かれた。モスクワの官僚的な世界政府の下ではアメリカだけでなく、日本も存在できない。日本も自由主義でなければ生きられないと考えれば悪い話ではない。

(レビュー:林田力

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ハロー、アメリカ

ハロー、アメリカ

探険隊の記録に残されたアメリカの夢と悪夢の残滓と邂逅した予言者バラードが描き出す未来像。

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