だれかに話したくなる本の話

日本人は宗教とどう向き合ってきたか(浮世博史)

日本では「あまり話すべきではない」「下手をすると人間関係を壊してしまうかも」といったイメージのため、話題に出ることが少ない宗教。では、日本人はこれまで宗教といかに向き合ってきたのか。そして、日本の宗教・信仰について知るべき理由とは。
2019年12月に刊行された『宗教で読み解く日本史』(すばる舎刊)の著者である浮世博史氏による寄稿を掲載する。

■神さまの「おまねき」

「ああ、ついに来た……」
昨秋、令和初の年の瀬に刊行される自著を脱稿し、そのゲラ(校正刷り)が届くのを待っていたところ、担当編集者から一通のメールが届いたのです。

「三輪山(みわやま)の写真を、ぜひ今回の本に載せたいのですが……」

ようは、三輪山の写真を撮影してきてくれないか、という依頼です。

奈良盆地の南東の果てにある三輪山は、関西在住なら知らない人がいない山です。美しい、なだらかな円錐で、すそ野が左右対称にのびる、まさに「美形」の山。
そして、その麓には大神(おおみわ)神社という「お社(やしろ)」があります。

現在では「パワースポット」と称される場所なのでしょうが、この山こそ、神の坐(ましま)す地。古代には「神奈備(かむなび)」と称しました。大神神社は、この三輪山そのものをご神体とする、日本最古の神社といわれています。

冒頭の話にもどりますと実はこの大神神社、「だれか」あるいは「なにか」のお導きがあって、はじめて行くことができるところ、といわれているのです。

「だれそれさんのお誘いで、どういうわけか、行く用事ができた……」

一生のうちで「だれか」や「なにか」を通じて、神さまがお招きくださる。変な話ですが、お葬式はお招きがなくても参れますが、結婚式は招かれないと行くことはできません。大神神社は、まさに神さまが「おまねき」くださる社なのです。

神さまのお声がかりがあるまでは、文字どおり「神妙」に過ごす。
この一種のしきたりのようなスタンスから、太古の人たちの神との距離感、近づきがたき尊き存在への思いをくみとることができます。あるいは「みだりにおしかけて神聖なお山をあらさないでほしい」という先人たちの思いや知恵のようなものが、地元に伝承として残ったのかもしれません。

かねてそう聞いていたこともあり、さまざまな想いから大神のお社にはお参りしておりませんでした。そこに編集者からのメール……
「ついにお招きいただけたか」と、感慨深いものがありました。

■都合のいい著者、調子のいい編集者

そんなことは知らない担当編集者。彼にも事情があったようです。
プロの写真家が撮影したものをライブラリーから拝借すると、応分のお金がかかってしまう。それなら、著者は関西人で近所に住んでいるのだから、撮ってきてもらっちゃえ……とかなんとか。
合理的というか、ちゃっかりした魂胆に、腹を立てるどころか、畏れ多くも、まさに神さまのお使いの声だと感謝の快諾をした次第です。すると、ご丁寧にもさらなる追加のリクエストが。

「三輪山を背景にして、できれば大神神社の大鳥居をフレームに……」

それに応えられる位置を地元の方に尋ねながら見つけ出し、めでたく撮ることができたのがこの一枚です。

この写真を見た当人は、もっと、すそ野が長くなるよう、ひき画面で撮ってほしかった……とかなんとか。

注文の多い編集者です。

とはいえ、いにしえの大和(やまと)の人々が仰ぎ見た三輪山を今回、じっくりと眺めることができました。ありがたい、の一言です。

さて、この話はこれで終わりではありません。

「味をしめた」編集者からは、奈良盆地の河水を集めて大阪湾に注ぐ「大和川」やら、聖徳太子ゆかりの「四天王寺」の伽藍やら、つぎつぎと撮影のオーダーが舞い込むことに……。

むろん、これらもまたお導きというもの。あらためて、見慣れた風景(ときとして軽く見過ごしていた風景)を感慨深く眺めては撮影し、粛々と写真をとっては電送して、その中からの何枚かが採用されて掲載されることになりました。

そういう意味でも、また思い出深い一冊になりました。

宗教で読み解く日本史

宗教で読み解く日本史

現役カリスマ教師が教える教養としての日本史講座。