だれかに話したくなる本の話

新刊ラジオ第1276回 「なぜ、はたらくのか―94歳・女性理容師の遺言」

テレビでも話題になった、新橋のガード下に在った理髪店「バーバーホマレ」。ここを切り盛りしていた94歳のおばあちゃんは、「はたらく」ことは、「端(はた)を楽(らく)にすること」という想いを胸に、ずっと働いてきました。戦中、戦後、厳しい時代を生き抜くなかで培われた言葉には重みがあり、読むととても元気になる一冊です。

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「はたらく」ことは、「端(はた)を楽(らく)にすること」

●著者について 加藤 寿賀さんは、1915年10月10日、東京・京橋に生を享けます。 伝馬船(てんません)で、築地の魚河岸に魚を運ぶ仕事をしていた父と、女学校出で優しくしつけに厳しい母の元で育てられます。父の仕事の関係で、江戸っ子に囲まれて育った寿賀さんもつられて言葉が荒っぽくなってしまったんだとか。

寿賀さんは、とてもたくましい人です。 関東大震災を経験し、母の病死、父の再婚…。義母とうまくいかず、15歳の頃に親の印鑑を使って女学校を自主退学。そのまま家出してしまいました。

理容師修行を始め、19歳で理容師試験に合格。理容師の講習会で出会った男性と恋に落ち、2人の娘にも恵まれます。そして47年、日本橋に理容店「バーバー加藤」を開店し、たくさんの客でにぎわいます。その繁盛ぶりといったら、たった3年で借金を完済するほどだったそうです。

しかし、第二次世界大戦の開始。 夫は戦地に赴き、東京大空襲で家も店も、何もかもが焼けてしまいました。寿賀さんは2人の娘のために、朝から晩まで足を棒にしてはたらき、立派に育てあげました。53年には、新橋駅のガード下に、理容店「バーバーホマレ」を開店するまでに立ち直りました。店は多くの常連さんに支えられ、寿賀さんは、2009年末までハサミを持ち続けたそうです。 2010年4月6日、心不全で永眠。享年94歳でした。

●この本のテーマは?! 戦中、戦後、命を削って人のためにはたらいてきた寿賀さんの「はたらく」ことへの向き合い方が語られた本です。全編を通して、寿賀さんの厳しくもあたたかい言葉でまとめられています。

その中からひとつ、寿賀さんが「はたらく」ことの意味について語った一節をご紹介します。

なぜ、人は「はたらく」のか。それは、「端(はた)を楽させる」ためなのです。 このごろ、自分のために はたらきたいとか、楽しんで仕事をしようとか、そういうことを言う人が多いですよね。ただ、それでは大切なことを見失っていると思うんです。 人間はなぜ、はたらかなくてはいけないか? それは「端を楽させる」ためなんです。 つまり、「はたをらく」に、で「はたらく」。 周りの人たちを楽させる、楽しませるために はたらくということ。 自分のためではなく、人のため。人間として、はたらかないと、人生何の意味もないのです。 私は十五歳のときに銀座の理髪店に修行に入ってから、九十四歳の現在まで、約八十年間、はたらき続けてきました。「そんなにこの仕事が好きなの?」って聞かれますが、それだけでは、ここまでは続きません。 やっぱり、「人のため」と思って、はたらいたから続けてこられたんだと思うんです。

本書は、新橋のガードで「バーバーホマレ」を切り盛りしてきたおばあちゃんが、「はたらくこと」について語った言葉をあつめた一冊です。戦中、戦後、厳しい時代を生き抜くなかで培われた言葉には重みがあります。

“はたらくことは、人の役に立つということ” “人間は、人のためになってなんぼ”

仕事に対する根本的な姿勢を改めて考えるきっかけになります。 はたらくことに悩んでいる方はぜひ読んでみて下さい。

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なぜ、はたらくのか―94歳・女性理容師の遺言

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