だれかに話したくなる本の話

新刊ラジオ第1625回 「石原慎太郎 「暴走老人」の遺言」

自らを「暴走老人」と称し、18年ぶりに国会に戻ってきた石原慎太郎。
石原慎太郎はなぜ国政を目指したのか。密着取材を重ねた都庁番記者が、石原語録と14年に及ぶ都知事時代の軌跡を辿り、その思想と行動に迫る一冊!
石原慎太郎が我々に残す「遺言」とは? 暴走老人が最後に仕掛ける爆弾とは?

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概要

こんにちは、ブックナビゲーターの矢島雅弘です。

今回紹介する本は、密着取材を重ねた都庁番記者が、石原慎太郎氏の出生から都知事時代、そして現在までの軌跡を辿ってその思想と行動の原点に迫る一冊です。

石原氏は発言面で何かと物議を醸し出している方ですが、その行動力は今の若者には無いものです。

都知事辞任の会見の際に出た年齢に関する質問で、もう80歳であることを指摘され、

「そうです。まさしく80歳なんだよ。何で俺がこんなことやらなくちゃいけないんだよ。若いヤツしっかりしろよ、本当に」(P39より抜粋)

と言っています。

つまり、若い人がやらないから自分がやるということ。

確かに、国に対して文句を言っているわりには、選挙にすら投票しない若者というのは増えています。

そう考えると、問題のあるように聞こえる発言の数々は、現代の若者に発破をかけているのかもしれません。

それでは、ここからは本編の内容をいくつかピックアップしてご紹介していきます。

◆著者プロフィール 西条泰さんは、1967年、新潟県生まれ。一橋大学社会学部卒。 読売新聞社、外資企業広報などを経て、2012年まで東京メトロポリタンTV報道部で都庁番記者として密着取材を続けてきました。現在はフリーランスで、著書に『ドキュメント副知事 猪瀬直樹の首都改造・一八○○日』(講談社)があります。

暴走老人が国会に戻ってきた

80歳になり、国会に戻ってきた石原氏は、

「浦島太郎のように18年ぶりに国会に戻ってまいりました。“暴走老人”の石原でございます。私はこの名称を非常に気に入って自ら愛誦しています。せっかくの名付け親の田中真紀子さん(前文科相)は落選されて彼女の言葉によると『老婆の休日』だそうでありますが、たいへんうまいなと。大変残念ですけれども。これからいたします質問は、質問でもありますし、言ってみればこの年になった私の、国民の皆さんへの『遺言』のつもりでもあります」(P14より抜粋)

と言っています。

そして、最初に切り出した質問が「憲法」について。

いわく、現在の憲法は、この国を今日の混乱、退廃に導いた大きな原因だそうです。

そもそも戦争の勝利者が、敗戦国を統治するために強引に作った即席の基本法が、いまだに存続していることが問題だと。

なので、石原氏は安倍首相に対して、日本の最高指導者である首相が憲法を廃棄すると言ったときに、それを阻害する法がないのだから、憲法の破棄なり改正を含めて、この国を自分自身で守りきる法的な体制をつくる必要があると述べました。

■シナの挑発には毅然とした態度を

「次に、日本とシナの間の関係、特に軍事に関する関係についてお聞きしたい。シナが非常に挑発的でして、嫌がらせをしている。日本は我慢しながら応えている。国民の意見は共通して『冷静に毅然として対応してほしい』。冷静とはどういうことですか。」(P26より抜粋)

ここでは、日本の軍事について言及されています。

今の日本政府は弱腰で、毅然とした態度が取れていないのではないかと。

では、毅然とした態度とは具体的にどういうことか。

いわく、「パチンと鯉口を切ること」。これは刀に例えた話ですね。

刀を抜いてしまうとダメで、昔の侍のように「寄らば斬るぞ」と鯉口を切ることで、相手を牽制します。

このぐらいの気概でいかないと国民の要望には応えきれないのではないか、と言っています。

また、武器についても言及されています。

武器輸出を禁止する原則や、防衛費を総予算の1%にとどめるという内容を変えるのが、安倍内閣の責任、と。

米国の大統領ですら世界の核兵器をなくそう「Yes,we can」と言っているのに、3ヵ月後には新しい核兵器のシミュレーションをしています。

なので、日本も「寄らば斬るぞ」という構えで、他国が持っていない刀を持たなければならない。

この開発は核兵器と違って顰蹙を買わないので、ぜひ考えるべきだと訴えました。

大震災への対応

震災時の石原氏の対応についての項目。

こちらは都知事だった時のお話です。

石原氏は震災発生後、拙い初動で後手に回る一方の政府の対応を強く批判し、高度放水機能を持つ東京消防庁ハイパーレスキュー隊を急派したり、被災地域の人々を都内の施設で大量に受け入れるという策を打ちました。

また、政府以外にJR東日本にも物申していて、大震災当日に早々と駅のシャッターを下ろして帰宅困難者を締め出したことに抗議の声を上げています。

その後、当時JR東日本の社長だった清野智氏が直々に都庁に謝罪しに来る事態となった際には、「私にではなく、社会に謝りなさい」と突き放したのです。

また、その他に注目されたのはがれきの受け入れです。

東北地方には2000万トンもの震災がれきが残されたとされていて、地元で処理するには何十年もかかってします。

震災の翌月の4月には500以上の自治体が受け入れの意向を示していましたが、放射能汚染への懸念が一部で広がると、自治体は一気に消極的になったのです。

そんな中でも石原氏は岩手県などと協定を結び、がれきを受け入れるようにしました。3年間で50万トンという大きな計画です。

がれきは、搬出前と東京に到着してからの数度にわたって放射能の検査を行い、安全を確かめてから受け入れるという方法をとりました。しかし、実際搬入を始めると、都庁には3000件以上の反対の声が寄せられました。

問われた石原氏は、

「勝手な憶測で、そんなこと言ってもしょうがないじゃないか、みんなで協力しなかったら。放射能があるなら別だけれど、力のあるところが手伝わなかったらしょうがないじゃないですか。みんな、自分のことしか考えないから、日本人が駄目になった証拠のひとつだよ。放射能を測って何でもないからもってくるんだから、東京だってバカじゃありませんよ。『黙れ』って言えばいいんだ、そんなもの」(P71より抜粋)

と、答えています。

そしてがれき受け入れからちょうど1年で都知事を辞任することになりました。

それまでに受け入れた岩手、宮城の2県から受け入れたがれきの量は5万5000トンあまりでした。

反対意見を押し切っての受け入れは端から見ると強引な感じもしますが、受け入れてもらった宮城県の幹部は東京へ涙ながらに感謝しているのも事実です。

こういった自分を信じるスタンスは現代社会でも大切なことではないでしょうか。

■まとめ

それではまとめに入りましょう。

今回は石原氏の言葉をところどころ引用しながら解説させていただきました。

その言葉はどれもつっけんどんで、厳しい言い方が多いのですが、言葉の端々に国のことを憂う気持ちがひしひしと伝わってくるような気がします。

今何かと話題になる日中の関係も、世間では中国と聞くだけで辟易するような人もいますが、石原氏は好き嫌いではなく、国としての対応を考えています。

もろ手を挙げて賛成をするというわけではありませんが、本書に書かれている石原氏の思想、行動は、今後の日本を考えるための参考となるかもしれませんね。

石原慎太郎 「暴走老人」の遺言

石原慎太郎 「暴走老人」の遺言

石原慎太郎 「暴走老人」の遺言

自らを「暴走老人」と称し、18年ぶりに国会に戻ってきた石原慎太郎。
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