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「遺品整理屋は見た!!─天国へのお引越のお手伝い」/扶桑社

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本書を読むと、「孤独死」という社会問題の現状がとてもよく理解できる。家族や近隣の関係、人間として尊厳、社会病理…そこには、さまざまな問題がある。

「孤独死」という言葉が出てきたのは、1970年代頃である。1974年に全国社会福祉協議会と全国民生委員児童委員協議会によって『孤独死老人追跡調査報告書』という報告書が出されている
一方、研究分野を見てみると、「孤独死」を主題とした論文が爆発的に増えるのは1995年以降となる。もっと突っ込むと1996年頃から、といったほうがよいだろうか。これは、阪神大震災によって仮設住宅に移り住んだ被災者の中で、孤独死が続出したという背景がある
現在は、常盤平団地で起きた高齢者の孤独死に関するドキュメンタリー番組が放映されたのをきっかけに、福祉や介護、コミュニティなどともに論じられることが多くなった。

本書には、「人が死亡した際に遺される家財一式を、遺族に代わって整理・移動・供養等を専門に請け負う業者」である遺品整理専門業、つまり遺品整理屋である著者が、「現場」で起きた34のエピソードが掲載されている
この本に載っているエピソードは孤独死のケースばかりではない。自殺、殺人事件などもある。しかし、共通しているのは、死者が醸し出す「寂しさ」だ
家族からは見捨てられ、死臭によって近隣から疎まれ、アパートの大家は「次の入り手はつかない!」と困惑そうな顔をする
もちろん、そういう人ばかりではない。だが、これが現場の1つの現実なのであろう。

「死ぬときは1人」なのは真理だ。しかし、私はこの真理に若干の戸惑いを覚える。

数年前、筆者の祖父は家族や地域の友人たちに囲まれて、自宅で息を引き取った
とても幸せそうな死に顔であったことを覚えている。もちろん泣く人もいたが、ほとんどの人は「幸せな人生だったね」と祖父に声をかけていた。

彼らの「死」と、私の祖父の「死」、同じ「死」である
なぜ、「死」はこんなにも違うイメージを与えてくれるのだろうか