「命の響 左手のピアニスト、生きる勇気をくれる23の言葉」世界が認める奇跡のピアニストが贈る23の優しい言葉と心に沁みるエピソード。生きる喜びと
勇気がわいてくる。

書評

 左手だけでピアノを弾き、観客から拍手喝さいを受ける日本人ピアニストがいるのをご存知でしょうか。舘野泉さんです。

 1936年東京で生まれ、1964年からはフィンランド・ヘルシンキに在住。
デビュー40周年記念コンサートツアーの終盤、フィンランド第二の都市・タンペレでの公演の最中、舘野さんの右手は急に動かなくなり、舞台そでで床に崩れ落ちます。それから長いリハビリが始まりますが、舘野さんは意外にも前向きで、入院生活を面白がり、焦りもなかったそうです。
あせらず、あきらめず、日常のことをゆっくり行い、日々の暮らしを楽しむ。舘野さんはそんなリハビリ生活を送り、復帰を果たします。

 『命の響』(集英社/刊)は、左手一本で人々の心を惹きつけるピアノを奏でる舘野さんが執筆した自伝です。78歳にして今もなお現役で活躍しており、2014年にはベルリン・フィルハーモニー・カンマークジールザールでリサイタルを行うほど。
本書を読むと、舘野さんは困難と向き合いながら、人生を前向きに捉え、左手だけになったことでより深く音楽と向き合っているように感じられます。

「左手だけ」が周囲の音楽家たちを変えた!

 右手を失った舘野さん。両手でピアノを弾くピアニストにとって、これは致命的なことです。しかし、舘野さんは右手を失ったことばかりにスポットライトを当てるのではなく、左手でどのような演奏ができるのか、挑戦をしようとします。例え右手が使えなくても、これまで演奏してきた音楽は自分の中に脈々と流れていて、これからも生き続きていくと考えたのです。

 復帰にあたり、舘野さんは左手だけで弾けるピアノ曲を探します。左手用の曲は500曲とも、1000曲とも、2600曲を超えるともいわれていますが、結局30曲ほどしか譜面は見つかりませんでした。
そこで左手用のピアノ曲を新しく作ろうと、舘野さんは旧友や知り合いの作曲家たちに、作曲を依頼します。その依頼された一人で、東京藝術大学で同期だった末吉保雄さんは「左手の曲をつくり始めてすぐ、これまで経験したことのない自由を感じたよ」と言ったそうです。また、作曲家の吉松隆さんは「制約だと感じていたものが、むしろ自由であることに気づかされました」と述べています。舘野さんの挑戦は、周囲の音楽家たちの音楽観をも変えたのです。

左手だけになって分かった「音楽の本質」

 また、もちろん舘野さんの演奏面においても変化をもたらします。左手だけで演奏するようになり、1本の手で一音一音対話をするように、そして丁寧に音をたぐりよせるように弾くようになったといいます。

 そこで感じたことが、両手で弾いていた自分が、いかに左手を粗末に扱ってきたかということでした。左手だけで弾くことで、両手で弾いていたときにはわからなかった「音楽の本質」が見えてくる。「新しい音楽の始まりだ」と舘野さんは言います。

 失うことはとても怖いことですが、失わなければ気づけないことがあります。そして実際に失ってしまったとき、失ったものをいつまでも嘆くのではなく、自分にできることは何かを考え、そこからどのように前を向いて、歩き出すか。
 舘野さんは、左手一本になってからが“本番”と思えるほど生き生きとしています。その裏には苦しいリハビリや、思い通りに体が動かない苦しみもあるはず。本書の舘野さんの言葉は、悩んでいる人、勇気が欲しい人、一歩踏み出そうとしている人…そんな人たちに生きる勇気を与えてくれることでしょう。

(新刊JP編集部)

目次

第一章
六七歳「左手のピアニスト」としての再出発
  • 行く道は一つ 左手で復帰すること
    ほかのことは あとからついてくる
  • ピアノが弾けなかった二年間の空白に感謝する
    それは、次の世界を生み出す大事な時間だった
  • 精神に胡椒が入ると「人生の達人」になれる
  • ひもじくて、ひもじくて……
    音楽への飢え、魂の飢餓が再出発のエネルギーになった
  • 休むことも大事
    あせらず、たゆまず日常をゆっくりと続け よく眠るのが一番だ
  • 左手だけでもいいんだ……
    大事なことは何を表現するか 何を伝えられるかだ
  • 左手だからこそ一音一音の響きの大切さに気づいた
    音楽に直に触れられるようになった
    新しい音楽の始まりだ
第二章
ハンデに妥協せず 音楽の本質を追求し続ける
  • 左手一本だからといって
    音楽に妥協してはいけない
    どんなに難しい曲でも
    練習を重ねれば、弾けるようになる
    ハンデだと思っていたことが
    アドバンテージに変わる
  • 常識ってなんだろう
    父は、僕を枠にはめなかった
    母は、「はみ出すくらいが面白い」と言った
    だから、僕はいつも人生で大きな空間が持てた
  • できるか、できないかは考えない
    やりたいか、やりたくないか
    やりたいと思ったら もう駆け出している
  • 選ぶのはいつも楽な道じゃなく ワインディングロード
    大変だからこそ面白い
  • あれができない これができない、と落ち込むのはもったいない
    績み重ねてきたものは 何があっても奪われない
  • 不自由や不足があると思うのは先入観の問題
    制約はむしろ 自由で新しい表現を生む
  • 「自分には無理」「このぐらいでいいや」
    そう思ってしまったら、そこでおしまい
    「今こそ、これをやるんだ」という強い意志こそが、完遂する力になる
  • 音楽家は「手職人」
    この手を通じて、音をつくり その音で、自分の心を表現する
    毎日こつこつ手仕事を続けるうちに 気がつけば七八歳になっていた
第三章
音楽は生きる喜び 人と人をつなぐ
  • 好きなものが一つあるだけで世界が変わる
    人は、強くなれる
  • 求められれば、どこへでも行く
    どんな会場、どんなピアノでも
    最高の音を響かせたい
    聴く人と心を通わせたい
  • 「誰かのため」は「自分のため」より頑張れる
  • 生き延びるために生きているのではない
    生きがいのあることのために生きているのだ
  • 凍てついた冬に 萌えいづる緑が準備される
    陰を通ってきたからこそ 光は美しい
    世界と人生を抱きしめたい
  • 前に向かって歩いていると 協力してくれる人が現れる
    一つのことをやり遂げると 次の扉が開く
    夢は夢を生んでいく
  • 聴衆も僕も、今を生きている
    演奏は一回限り、そのときだけのもの
    何度弾いても新しい
    音楽は変化し続け、永遠に生き続ける
  • 音楽は僕にとって呼吸であり、人生そのもの
    生涯現役
    死ぬ瞬間までピアノを弾いていたい

著者プロフィ―ル

舘野 泉

1936年東京生まれ。1960年東京藝術大学首席卒業。 1964年よりへルシンキ在住。1968年メシアン現代音楽国際コンクール第2位。世界各国で行った演奏会は3500回を超え、世界中の聴衆から熱い支持を得る。2002年脳溢血により右半身不随となるも、2004年「左手のピアニスト」として復帰。シベリウス・メダル(2006年)、旭日小綬章受章(2008年)、東燃ゼネラル音楽賞洋楽部門本賞(2012年)ほか受賞歴多数。2006年左手作品の充実を図るために「舘野泉 左手の文庫(募金)」を設立。2012~2013年に左手ピアノ音楽の集大成「舘野泉フェスティヴァル~左手の音楽祭」を開催。2014年ベルリン・フィルハーモニー・カンマームジークザールでリサイタルを行う。南相馬市民文化会館(福島県)名誉館長、日本シベリウス協会会長、日本セヴラック協会顧問、サン=フェリクス=ロウラゲ(ラングドック)名誉市民。最新CD『サムライ/海鳴り』(エイベックス・クラシックス)。

■舘野泉公式HP http://www.izumi-tateno.com

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