だれかに話したくなる本の話

明治維新150年の今だからこそ知っておきたい幕末日本のスゴい取り組み(2)

『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった』(集英社刊)の著者、岡田晃さん

今年2018年は「明治維新150周年」。 NHKの大河ドラマでは「西郷どん」が放送され、いつになく幕末から明治という時代に注目が集まっている。

ところで、この時代は日本が産業面や経済面で長足の発展を遂げた大成長の時代でもある。『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった』(集英社刊)は、2015年にユネスコ世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の歴史的意義を史料価値の高い当時の写真を交えて紐解くことで、幕末から明治の日本の実像に迫る。

今回は著者で経済評論家の岡田晃さんにインタビュー。幕末の日本で始まった近代化について、その一端を語っていただいた。その後編をお届けする。

明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった

明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった

「日本の奇跡」と言われる明治の産業革命の礎は、幕末のサムライたちによって準備されていた。製鉄、造船、石炭産業の現場では、藩の垣根を超えて技術を共有し、奮闘する人々の熱いドラマがあった!

製鉄のもととなった伊豆の反射炉の技術は、佐賀藩と伊豆の代官・江川英龍が協力して研究が始まり、佐賀から薩摩へ、さらに水戸藩を経由し、最終的には釜石の洋式高炉に結実した。それが明治時代に官営釜石製鉄所や官営八幡製鉄所へとさらなる発展を遂げ、現在の新日鉄住金に至る。

造船に関しては、島津斉彬の命を受けて幕府の長崎海軍伝習所で学んだ薩摩藩士・五大友厚は、トーマス・グラバーらと共に長崎の小菅修船場を建設した。これが現在の三菱重工長崎造船所につながっていく。岩崎弥太郎、弥之助、久弥の3代に渡る三菱重工業の社長たちの事業拡大の歴史とも重なる。

“軍艦島“で知られる石炭産業の発展においては、福岡藩士だった團琢磨の働きがめざましく、彼の見識と技術導入へのアイデア、決断力が、石炭産業の多大な発展を促した。

幕末から明治の激動の時代に、政治の争いとは無関係に、日本の未来を考えて奔走した若きサムライたちや現場の無名の職人たちの、ひたむきさやチャレンジ精神を感じる熱い一冊。