ママ、遺書かきました
人はいつ死ぬか分からないから。四字熟語が織りなす、一人の女性とその家族の「人生行路」。

ママ、遺書かきました

著者:波留 雅子
出版:幻冬舎
価格:1,200円+税

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本書の解説

「人は、誰もが一冊は本を書くことができる」とはよく聞く言葉だが、いざ書き出そうとすると、何を書いていいのか分からないという人がほとんどではないだろうか。

しかし、書いていくうちに、自分の見てきたもの、経験したこと、悩んだこと、苦しんだこと、そして楽しかった記憶があふれ出てくる。そして、その豊かな時間を過ごした半生を通して、伝えたいことがたくさんあると気づくのだろう。

53歳。人生の折り返し地点に立っている波留雅子さんは、「書かないといられなかった」という衝動からエッセイを執筆し、一冊の本を上梓した。

執筆中、「何で書いてるんだろう?」と自問したという。その自問に対する答えは「書かないといられなかった」から。
そうして生まれたのが『ママ、遺書かきました。』(幻冬舎刊)だ。

50代になってから始まった「自分探し」の中で

本書はアラフィフ女性の等身大が詰まったエッセイ集。

目次を見ると、60個の四字熟語とその言葉に沿ったタイトルが並ぶ。そして、さまざまな四字熟語が織り成す珠玉のエッセイたちを通して、バブル時代に青春を過ごし、OLを経験し、家庭に入り、子育てにまい進してきた雅子さんの半生が書き綴られている。

父と姑を看取り、86歳の実母との暮らしを通し、少しずつ身近に感じてくる自分の「老い」と「死」。子どもが巣立っていった後の自分の人生に対する戸惑いもある。
そんな思いを抱えた雅子さんが、「ママそろそろ遺書用意しようかな。みんなに長い手紙書こうかな」と言うと、「いいんじゃない。早く書いてね。楽しみにしてるよ」と雅子さんの娘さん。そうして書かれたのがこの本だ。

40代まではずっと自分の役割をこなすことに忙殺され続ける。それは家庭に入った人も、仕事をしている人も同じ。雅子さんは「ゆっくり自分の良さを生かした花を咲かせることは難しい」と振り返る。
しかし、50歳を超えて、家庭も仕事も一段落すると、自分自身やこれからについて考える余裕が出てくる。そのときに改めて「やりたいことって何だろう?」「自分ってどんな性格だっけ?」と自分探しを始めるのだ。

悩みを力に変えて、流れに逆らい続けろ!

今、私たちは新型コロナウイルスの感染拡大から、大きな不安の中で生活することを余儀なくされている。ただ、その中でも大事なことが2つある。
一つは、どんな状況においても生きている限り自分の人生は続いているということ。
もう一つは、年齢を重ねる過程において私たちが悩むことは、変わらないということ。

では、そうした悩みをどう乗り越えていくのか。
雅子さんは本の中で次のようにつづっている。

若い女性はそこにいるだけで美しい。でも私たちは下りのエスカレーターに乗っている。立ち止まっていては下ってしまう。だから悩みも逆境も力に変えて、流れに逆らい登り続けて行くしかない。(p.77-78より引用)

「じっとしているのは性に合わない私たち」と言ってエールを贈りつつ、自分自身も猪突猛進に突き進んでいこうとする雅子さん。この本はそんな雅子さんが醸し出すパワーに溢れている。



娘3人息子1人の子育てや、姑、両親との同居、三世代の暮らし、親の介護、魅力的な女友達、幅広い職歴、料理の話など、小気味好いテンポで話題が繰り広げられる。

今までの人生を振り返りながら、これからの人生を想う。そんな雅子さんの姿に、多くの女性は共感を抱くはずだ。そして、「あ、これは自分も思ったことがある」「こういうとき、こう考えればいいのか」という発見やヒントが見つかるはず。

雅子さんと同じアラフィフ世代の女性をはじめ、幅広い世代の女性に元気を分けてくれる一冊だ。

(新刊JP編集部)

インタビュー

■朝、布団の中で「本を書こう!」 そこから人生は一変した

まず本作の執筆について、11月の3連休に書こうと思い立ち、その後とんとん拍子に出版に至ったそうです。とてもパワフルな感じで話が進んでいったように思います。本を書きたいと思うモチベーションはどこから湧いてきたのですか?

雅子: 私は今年で54歳になります。子育ても終盤戦に差し掛かり、病気がちだった父を看取り、姑との別れを経て、時間がポッカリとあいて、何かしなきゃという思いがあったんです。そこで小料理屋をはじめようかと思っていたりもしていたんですが、すぐにお店なんて開けないじゃないですか。だからこの2年半、ずっと悶々としていたんです。

他にもソムリエ試験を受けたり、語学の勉強をしたり、スポーツジムに通いはじめたりもしましたが、結局は時間つぶしで、むなしさを感じていたんですね。 そんなときに、朝、布団のなかでもぞもぞしながら、「そうだ!書こう!」と決めて、そこからは猪突猛進です。自分の今までの人生を書き遺しておこうと思って書き始めたら止まらない。「これだったんだ、自分が求めていたものは」と腑に落ちた思いでした。

それまでは本を書きたいと思ったことはなく?

雅子: はい、いっさいありませんでした。日記も書いたことがなかったですし…。でも、書きたいことがどんどん出てきて、四字熟語で整理していくというような感じです。

おっしゃる通り、四字熟語がキーワードになっています。

雅子: 四字熟語を使うことは、エッセイを書こうと思ったと同時に思いついたと記憶しています。同居している86歳の母の影響もあると思いますが、四字熟語に限らず、故事成語、ことわざは日々の会話の中で使っていました。

原稿の中で最初に書いたのが大器晩成、自画自賛、愛別離苦あたりですね。子育てといったら大器晩成、自分探しは自画自賛とか。四字熟語ってイメージが沸きやすいじゃないですか。二人三脚、馬耳東風、一期一会…。自分の凝縮した思いをなんとも端的に表せて、便利で面白い表現方法だと思います。

お気に入りの四字熟語はなんですか?

雅子: 自分の性格をあらわす「猪突猛進」「自由奔放」「波乱万丈」。あとは「一期一会」や、「ケ・セラ・セラ」をあらわす「行雲流水」も好きですね。

本を執筆して新たに見えてきたものはありますか?

雅子: 原稿を書き始めてから半年ですが、生活は一変しましたね。生きることの張り合いができました。それまでは、パート勤めはしているものの、長続きはしないし、どこか満足できなくて。でも、書くことに目覚めてからは、楽しい暇つぶしができたような感覚です。

この機会を通して、パソコンの使い方とかも学んでいったんですか?

雅子: はい、そうです。パソコンの操作を沢山覚え、ブログ、note、ツイッター、インスタ、Facebookも。いっぺんに世界が広がりました。ブログは4月からスタートして、1ヶ月ちょっとで100記事書きました。もう、書くことは生活の一部、中心になっています。

この原稿を書いていた頃はコロナの騒ぎも全然なかったので、本編でそこには触れていないんです。でも2月以降、世界は一変しました。だから、編集者にお願いして、あとがきでコロナのことも触れさせてもらったんです。やっぱり本を書き上げて、まだまだ書きたいなと思うことが出てきたので、ブログやnoteという場を通して発表しています。

これからも、どういった形で発表できるかはわかりませんが、死ぬまで、ずっと書いていきたいと思っています。それこそ遺書を遺すつもりで(笑)

この『ママ、遺書書きました』はご家族、それも4人のお子さんについて書かれている部分も多いです。できあがったゲラをお子さんは読まれていますか?

雅子: 長女と次女は実は読んでいません。長女は本屋に並ぶのを待っているとのことで、次女はブログを毎日読んでくれています。2人が読まないのは、たぶん読んだら文句をつけたくなるからだと思います。私もその方が助かります(笑)。

末娘には、原稿が書けたそばから、読んで聞かせていました。しまいには「もういいよ」と嫌がられましたが、おおむね内容には「イイね!」をもらっています。

一人息子にはだいたい読んでもらいました。すごく一生懸命読み込んでくれて、たくさんアドバイスをもらっています。実は、何度も書き直しさせられたり…鬼編集者でした。辛口コメントはとても助かりましたね。この本の最後にエッセイを寄稿してもらったのですが、私のことを「奇想天外」と表現してくれて、嬉しかったです。

タイトルの『ママ、遺書書きました』は家族からするとギョッとするような題名だと思いますが、そこに込めた思いは?

雅子: はじめは『四字熟語人生道場』みたいな感じかなと思っていたのですが、友人から俵万智さんの『サラダ記念日』みたいに文中からつければ?と言われて、良い言葉を探していたんですね。

そんなとき、遊びに来ていた友人の息子さんがこの原稿を読んで「ママ、遺書書こうかな」という一文にウケていて。あとは、「家書万金」というエピソードで書いていますが、昔から家族に向けて手紙を書いて、みんなを招集して読み聞かせていたことがありまして、よく「ユニークだね」と言われていたんです。

そこから『ママ、お手紙を書きました』というタイトルを考えて編集者さんに言ったら、『遺書かきました』のほうがインパクトあるのでは? と提案されて、このタイトルになったんです。

『ママ、お手紙を書きました』でもよかったのですが、でもやっぱりお手紙じゃないなと。命がけは大袈裟ですが、この本の執筆は、私にとっては一世一代の大仕事でしたので、やはり『ママ、遺書書きました』、これでよかったのだと思います。

なるほど。「遺書」は「死」をイメージさせますがその点は?

雅子: 実は、ここ7年の間に3人、身近な人をなくしています。同居していた父、姑、あとは主人の弟が病気のため52歳で突然。みんな、死が身近なんです。だから、これで「いつ死んでも言い遺したことは無いな」くらい、たくさんの思いを書き綴りました。

『ママ、遺書書きました』は子どもたちから反対が起こるかなと思っていましたけど、なかったので良かったです(笑)。

ご自身のことを書き綴ってきて、自分の姿がどのように見えましたか?

雅子: 究極のわがままだと思います(笑)。丙午、牡羊座、次女、ええ加減のA型で、好きな四字熟語が猪突猛進、自由奔放、波瀾万丈ですからね。

ただ、怒られることも争いごとも嫌いなので、したたかに立ち回るというか、カメレオンのように器用に色を変えて怒られないように自由に立ち回りたいと思っています(笑)。

この本の中で気に入っている部分はなんですか?

雅子: 50の項目に四字熟語をつけて、さらにキャッチコピー的なものを添えています。「呉越同舟」なら「キュウソネコカミ」、「自画自賛」なら「ナルシスト万歳」。あとは「大胆不敵」の「ツンデレ大好き」。あの部分は気に入っています。

あの部分は、エッセイの風味を醸し出していますよね。雅子さんはエッセイを読まれたりしないんですか?

雅子: エッセイというよりも女流作家さんの小説はよく読みますね。感情移入がしやすいので。
林真理子さん、桐野夏生さん、山田詠美さん、窪美澄さん、恩田陸さん、野中柊さん、乃南アサさんといった方々の作品はよく読んでいます。

波留 雅子(はる・まさこ)<娘が描いた雅子さんの似顔絵>

■「人生てんでんこ。そして、自分の気持ちに素直に生きたい」

『ママ、遺書書きました』でご自身の半生を振り返ってきたわけですが、一人の女性として生きてこられて53年間、さまざまなことがあったと思います。ご自身のターニングポイントはどこにあったと思いますか?

雅子: 今がまさにターニングポイントなのかな。

(このインタビューの日の)一昨日が次女の誕生日だったのですが、ちょうど30歳違うんですね。それで30年前の自分と重ねて思い返すことが多いのですが、私が20代半ばだった頃よりも比べて今は何でもあります。自由だし、結婚してもしなくてもいいし、男らしく、女らしくとも言われないし、子どもを産んでも産まなくてもいい。仕事もやめてもいい。でも、そういう自由な時代だからこそ、これからのことを自分で決めないといけないという悩みがあるのかなと。

私の頃は人生にモデルケースがあるんですよ。女性なら24、25歳で結婚して、子どもを2、3人産んで。その後はわき目も振らず子育てをして、それで親の介護も。そして手が離れたときにさてどうしよう。これが私たちアラフィフ女性たちのリアルなんだと思います。

ただ、人生100年とは言いますが、私は60歳までと考えています。だからあと数年、好きに生きようというパワーに溢れていて、それは今まで子育てと介護に注いでいたパワーをどうにか処理しないといけないという感じです(笑)。今まで娘や母親の役割をしてきたけれど、もう終わり。自分人生をどう生きようかなと。

40代までは役割をこなすことに必死で、それが終わったのが今ということですね。

雅子: 若い方にはまだ分からないかもしれないけれど、この本を読んでもらえれば、その感覚を少しは理解してもらえるかもしれません。

特に女性は、親の前では娘の役割をして、結婚したらお嫁さん、子どもを産んだら母の役割、そしてまた介護で娘の役割をして、という風にずっと息つく暇もないんです。だから役割だけで生きるのはもういいでしょうというのが、私たち世代で話すことの内容です。

私の友人たちはアラフィフになってから、フラダンスのダンサーになったり、ソムリエ資格を取ったりしています。これからどう生きていこうという悩みはあって、男性は定年後にそういう波が来るのかもしれないけど、女性は50歳くらいでそれが来るんですよね。

ひと段落ついたときに、自分は何をしたいんだろうと悩む。

雅子: はい、そうなんです。でも、9章「生き方 自分との付き合い方 人生の歩き方」の「本末転倒 主役は私」に集約されると思うのですが、やはり自分の気持ちに素直に生きたいんですよね。

また、東日本大震災の際に、代々受け継いできた墓も、畑も津波で流されてしまう光景を見てしまうと、人生って儚いなと思うんです。だからこそ、最期の時に後悔しても後の祭りですよね。

だから、私もやりたいと思ったことはやることにしましたし、そう思いきることができたからこそ、本を書く決心ができたのだと思います。そして、これからいろいろな道を選ぶことになるであろう子どもたちには、なるべく自分がしたいようにしてほしいなと思います。それが実は一番書きたかったことかもしれない。

「あとがき」は3月に書かれた文章で、新型コロナウイルスにも触れています。このコロナ禍を機に、何を大切にすべきか考え直すきっかけになっている人もいると思いますが、雅子さんはどのように思われていますか?

雅子: 人生てんでんこ。ブログにも書いたのですが、今、岸恵子さんが日経新聞で「私の履歴書」を連載しているのですが、戦争中、防空壕を直感で飛び出して、九死に一生を得たという話があったんです。

結局、自分の人生を守るのは自分しかいない。自分で間違えたものは仕方ないけれど、人に言われてその言いつけを守って、自分の人生が台無しになるのは嫌じゃないですか。誰のせいにもできないし、誰も守ってはくれない。人は誰もが、最終的には自分が一番。だから、自分のことは自分が守るしかないです。

もっと冒険すればよかったと思うなら、そうしたほうがいいでしょう。人のせいにせず、自分で考えて行動する。失敗したら七転び八起きで、転んでもただでは起きない。それをモットーに精一杯生きたいなと思います。

雅子さんの猪突猛進ぶりは憧れます。自分は考えちゃって動けないです。その足枷をどう外せばいいのかアドバイスをください。

雅子: それはまだ若いからだと思います。年齢は大きいと思います。54歳にもなると、切羽詰まって、やるものもやらないといけなくなるんですよ(笑)。お尻に火がつく感じですね。

本書は読み手の年齢によって印象が変わるエッセイだと思います。同世代の方とどんなメッセージを送りたいですか?

雅子: 私以上に魅力的なアラフィフはたくさんいますし、でもその一方でみんな、人生の役割をひと段落して、これからどうしよう、何かしなきゃと悩んでいると思います。そういう人たちに読んでもらって「あ、一緒だ」って思ってほしいですね。そして、悩んでいることを共有したり、励ましあえたりできたらいいなと思います。

最後に、どんな人にこの本を読んでほしいとお考えですか?

雅子: 私と同世代の女性たちはもとより、娘達世代の若い人、子育てに奮闘中のお母さん達、嫁姑、親の介護、親との別れ、いろいろな悩みを抱えながら生きているすべての女性に読んでいただきたいです。

また、男性にも読んでいただいて50歳の女性がどんなことを考えているのか知ってもらいたいです。そして感想を聞かせてもらえたら嬉しいです。

(了)

書籍情報

目次

  1. 一、家族
    いつも不協和音 ときに優しい調べ
  2. 二、友・仲間
    心の支え 許してくれる人 私の宝
  3. 三、自己プロデュース
    あきらめない 自分を好きでいたいから
  4. 四、仕事
    自己表現 自分が社会で生きる場所
  5. 五、家事
    居心地のいい暮らしの為にひとつひとつ大切なこと
  6. 六、子育て、しつけ
    設計図も完成図も無い一大プロジェクト
  7. 七、老親、介護 
    親子の総決算 家族のエピローグ
  8. 八、病・死
    生きてる限り不可避なもの 命の影法師
  9. 九、生き方
    自分との付き合い方 人生の歩き方

プロフィール

波留 雅子(はる・まさこ)
波留 雅子(はる・まさこ)

波留 雅子(はる・まさこ)

1966年埼玉県生まれ。
埼玉県立川越女子高校、東京女子大学短期学部英語学科卒業
一男三女の母。航空会社に5年勤務した後、結婚退職。
三世代三所帯9人の大家族を切り盛りしながら、英語教室、パン教室を自宅で開く。
仕事、家事、子育て、老親の介護、看取りを通し経験したこと、思いをブログで発信中。

【趣味・特技】
料理
天然酵母パン作り
お酒を飲むこと
いけばな 池坊 准教授三級華匡

ママ、遺書かきました

ママ、遺書かきました

著者:波留 雅子
出版:幻冬舎
価格:1,200円+税

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