古代から現代までを旅するリンパドレナージュ発展史
ドレナージュ大全

ドレナージュ大全

著者:田中 智子
出版:幻冬舎
価格:1,320円(税込)

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本書の解説

「ドレナージュ(Drainage)」とは、1936年にデンマーク人のエミール・ヴォデール博士が発表した「体液」に働きかける施術法だ。

本書の著者である田中智子氏は1969年、エステティックの学校に入るため、一人フランス・パリに渡り、世界中のセレブたちが集まる美容の都で研鑽を積む。
田中氏の回想を読むと「カルチャーショック」「混乱」という言葉が出てくる。授業はギリシア神話から始まり、筆記が中心。相当な苦労があったようだ。

その中で出会ったのが、前述のドレナージュの始祖であるヴォデール博士だった。
彼はその時、最初にこう言ったという。

「かつて、古代ギリシアに体液の重要性について言及した人物がいます。ヒポクラテスです。」(p.33より)


体液とヒポクラテス――これが、田中氏とドレナージュの邂逅の瞬間だった。リンパ管を流れるリンパ液の特徴的な動きを見せられ、「これだ!」と全身に雷が落とされたような衝撃が走ったそうだ。
そして、ヴォデール博士の佇まいからは、自身で編み出したドレナージュに対する純粋な思い、情熱が伝わってきた。
こうして田中氏はドレナージュへの道に進んでいくことになる。

「ドレナージュ」だけだとピンと来ないかもしれないが、もしかしたら「リンパ・ドレナージュ」という言葉であればエステサロンなどで聞いたことがあるかもしれない。
実はこの「リンパ・ドレナージュ」は田中氏による造語であるという。

本書はそんな「ドレナージュ」の科学的根拠を探るために、神話の時代から現代にいたる医学の歴史を辿る一冊であり、ドレナージュの本質に迫っていくものとなっている。

田中氏は本書の最後で次のようにつづっている。

ヴォデール博士が編み出したDrainage Lymphatique Manuelは極限まで単純化した施術法です。
日本の「茶道」にたいへん共通するものがあります。単純化されたお点前の背景には底知れぬ日本文化が秘められています。日本人としてドレナージュに魅力を覚えたのはそんな感覚かもしれません。(p.125より)


「ドレナージュ」とは一体どういうものなのか。歴史を辿り、そして医学の発展に努めてきた人物たちの発見を知ることで、医学の中での「ドレナージュ」の姿が見えてくる。

よくイメージされる「マッサージ」とは違う、「ドレナージュ」によってもたらされることを、本書を通して知ることができるはずだ。

インタビュー

■新しい発見ばかりだったドレナージュの原点を辿る旅

まずは「ドレナージュ」について本にまとめられたきっかけからお聞かせください。

田中: 私は1999年に『ドレナージュの力はこんなにスゴイ!』という本を刊行させていただきました。それは、これまで抱いてきた考えの枠組みがまったく異なる「ドレナージュ」に初めて出会った時の衝撃、そして生み出される成果について、それまでとは違う異質な凄さを感じたからです。

私はエステティックを仕事としてきましたが、ドレナージュは美容だけでなく、いろいろな痛みが減った、よく眠れた、お通じがよくなったといった効果も同時に出てきます。それは後に、「身体の部分ひとつひとつが合わさり一つにつながっている」ということを知り、当たり前のことだと理解するのですが、最初は本当に不思議でした。

そこですぐに参考文献や関係資料を探し始めたのですが、なかなか見つかりません。でも、ドレナージュを続けていくと、さらに色々な成果が出てきます。これは一体どういうことなのかと考える中で、頭の中に浮かんだ言葉が「美容と健康は表裏一体」というものでした。そう考えれば、これはごく当たり前の身体の現象と理解できます。

そして、このようなトリートメントは他にあるのだろうかと思いました。今でも世界中を探していますが、このドレナージュに相当するような、あるいはそれ以上のものは見つかっていません。そういう経緯があり「ドレナージュとは何か」ということを公表することが私の役割と思い至り、刊行をしたということです。

この『ドレナージュ大全』という本は、いわゆるドレナージュの歴史をまとめた一冊です。

田中: そうですね。この本を通してドレナージュの原点をしっかり確認できました。

おっしゃる通り、まさに原点となる古代から近代にいたる医学史を辿っていきます。本書の執筆を進める中でどのような新たな発見がありましたか?

田中: 医学史を辿るとおっしゃいましたが、そういう風に書くつもりは元々ありませんでした。このような構成になったのは自然の成り行きです。何も資料も文献もないというところから、ドレナージュの真髄を何が何でも知りたいという思いで少しずつ調べていったところ、医学の原点にまで遡ることになったのです。

資料や文献集めには苦労されたんですね。

田中: そうですね。リンパに関する資料が見つからず、戸惑いがありました。私が医師ではないことが理由かとも思いましたが、そうではなかったんです。本当に資料がないんです。

そんなとき、かつてエミール・ヴォデール博士が「ヒポクラテスです」とおっしゃったことが印象に残っていました。なんでこんなところでヒポクラテスが出てくるのかしらと不思議に思っていましたが、博士が何気なく語られたことを思い出すと、これはと思うような名前や地名が出ていたことに気づいて、自然にその言葉に導かれて歴史に入り込んでいたというわけなんです。

そこではまさに新しい発見しかありませんでした。私は歴史を辿ることに夢中になりました。歴史から学ぶことは大きいです。人生においても、学問においても、一番の宝庫です。たくさんの人に魅了されましたが、特に一人あげるとしたら、レオナルド・ダ・ヴィンチです。

ダ・ヴィンチは近代解剖学の祖としても知られています。彼は万能の天才と称されていますが、私は大変な努力家であったと捉えています。エリート教育を受けたわけではないのに、自分で道を切り拓きながら、あらゆることを学び取り、固定概念に縛られることなく、険しい独学の道を歩んでいきました。

他人から完結したものを教えてもらうのではなく、自ら発見を重ねていった。彼は出発点から違っていましたが、血のにじむ努力によってあの領域まで到達した。そういうところに大変魅力を感じました。

田中さんとドレナージュの関わりについてお聞きします。1969年に渡仏され、エステティシエンヌ、ヴィザジストなどさまざまな資格を取得されていますが、エステの道に入ったきっかけは何だったのですか?

田中: 当時、日本だけでなく、アメリカにもエステティックという言葉はありませんでした。

私はたまたまフランス文学科に入り、大学2年生くらいの時に父が「卒業したらフランスに行きなさい」と言ったんです。でもそれは遊ぶなどではなく、「学びに行け」ということでした。でも、フランスのことなんて分からないし、渡仏して学ぶことを探さなくてはいけません。文学的な能力はないし、ファッションの才能もありません。

どうしようとある老婦人と話している時、フランスに縁の深い方の名前が出て、その場からトントン拍子でエステティックを学びにフランス行きが決まりました。

それでフランスに降り立つわけですが、当時はエステティックの学校が2、3校しかない時代でしたし、再び父が「最初の学校が終わったら、それに関することをすべて学びなさい」と言ってきますので、あらゆる様々な教育を受けることになったわけです。

でも、当時は時代の変わり目で、こんなに急速に世界は変わるのかということを肌で実感していました。私の入った学校も当初は社会的レベルがとても高い家庭のご息女ばかりでしたが、1、2年したらガラリと変わり、職業高校になって雰囲気も一般に近くなっていきました。そして、エステティックを取り巻く産業の変化も大きく、化粧品産業の巨大化が進んでいました。

■ドレナージュの持つ可能性とは?

1970年代にはリンパ・ドレナージュの考案者であるヴォデール博士の直弟子のもとで研究を始められたと前著のプロフィールにありました。

田中: 当時、ヴォデール博士は大変ご高齢になっていて、なかなかお会いできなくなっていました。でも、時はようやくヴォデール博士の考案されたドレナージュの時代に入り、ブームが始まるところでした。

私はフランスだけでなく、ヨーロッパ各国をめぐり、ドレナージュを掲げている場所に行きました。しかし、あまりにも博士の主義や精神からかけ離れているものばかりでした。

そこで博士の精神を受け継いだドレナージュをしているところがあるに違いないと模索していたところ、友人から南仏の別荘地でドレナージュをしている人がいると情報をもらい訪ねてみると、開口一番「ここがあなたの終着地よ。いいところに来ましたね」と言われました。

その人は、ドレナージュの手法を教える第一人者を自負していらして、確かにその通りでした。でも、ドレナージュの作法、お茶でいえば「お点前」になりますが、その作法以上のものはありませんでした。確かにドレナージュの学問的な裏付けや理論はないわけですから、考えてみれば作法しかないのは当たり前でした。

その裏付けを田中さんは本書で行ってきたわけですが、研究の成果が見えた「ドレナージュ」の持つ可能性について教えてください。

田中: 私たちは誰もが細胞からできています。その細胞は体液に浸っています。体液にはいろいろありますが一番目立つのが血液です。赤いので誰でもすぐ見分けがつきます。でも、体液を牛耳っているのは血液ではなく、リンパ液なのです。リンパ系の働きが良くないと血液の働きも良くないという構造です。そして、ドレナージュは細胞を蘇らせるもので、細胞をやっつけるトリートメントではありません。

これがとても簡潔にまとめたドレナージュの本質です。そして、ドレナージュの持つ可能性ですが、体液に浸っていない細胞はないはずです。ということは体全体に影響を及ぼす。そういうことなんです。ただ、まだまだ可能性は秘められています。私はすでに高齢ですが、一生人体と関わり、もっと確認をしていかないといけない。そういう気持ちでいっぱいです。

本書の最後にソクラテスの「ひとつ私が知っているのは、私は何も知らないということです」という言葉を引用しています。この言葉に込めた意味について教えてください。

田中: この言葉に目をつけてくださったことが嬉しいです。彼が生きた時代は偉大な哲学者が多く、調べていてびっくりしました。日本では哲学を勉強する機会がありませんでしたから、こうして古代ギリシャの文化に触れて、そのすごさに夢中になりました。

この「ひとつ私が知っているのは、私は何も知らないということです。」というソクラテスの言葉は、私にとっての全ての原点です。現実をよく見て、自分のこの頭でああでもない、これでいいのか、結論に走るのではなくよく考えなさいと。考えることの大切さを教えられました。偉くなって天狗になり、傲慢になってしまうとそこまでです。もう発展はしません。

ソクラテスはよくぶらぶらと歩いていたそうで、私はぶらぶら歩きという言葉が大好きです。歩きながら「ああでもない、こうでもない」と自由に考える。ここに魅力を感じましたし、実際にソクラテスやプラトン、アリストテレスの所縁の場所をぶらぶら歩くことが私にとっての至福の時の一つです。

この『ドレナージュ大全』をどのような人に読んでほしいとお考えですか?

田中: 人間みんなに読んでほしいです。ドレナージュは決して派手ではありませんが、ぜひ手に取って見ていただけると嬉しいです。

私はこの本でドレナージュの原点まで辿っていますが、大変楽しい時間でした。そして、私に生きる力をくれました。また、原点という言葉の重みを考えさせられました。ぜひ、その原点の重み、「原点とは何か」についてこの本を通してぜひ考えていただけると嬉しいです。

(了)

書籍情報

目次

  1. ルーツ→ヒポクラテスのご先祖は神様でした
  2. 私とギ・リ・シ・ア
  3. ギリシアの黄金時代=ペリクレスの時代にヒポクラテスは生まれる
  4. ヒッポ先生のご先祖は、医学の神様
  5. Alexandros大王
  6. Galenus後、ルネッサンス
  7. リンパの幕開け
  8. 人体のリンパ系図譜、はじめて完成!
  9. 終わりであり、始まりである

プロフィール

田中 智子(たなか・さとこ)

明治学院大学仏文科卒。1969年に渡仏。美容の本場パリで、エステティシエンヌ、ヴィザジスト、ビューティスタイリストなど、さまざまな資格を取得。著書に『キッチン エステティック』(桐原書店)、『ドレナージュの力はこんなにスゴイ!』(芳賀書店)、『リンパ サラサラ ドレナージュ』(講談社)がある。

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著者:田中 智子
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