【「本が好き!」レビュー】『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』河合香織著
提供: 本が好き!2020年の年明け以降、世界は新型コロナウイルス感染症に蹂躙された。
中国・武漢から始まり、世界へと滲みだした感染症は、多くの死亡者を出しながら、野火のように広がった。人と人とが触れ合うことで広がる感染症の性質から、多くの国で都市封鎖(ロックダウン)や活動・往来の抑制が行われ、経済にも大きな影響が出た。
現在のところ、日本では第五波がほぼ収束し、落ち着きを見せているが、世界全体では感染の再上昇が見られる国もあり、なお予断を許さない。
本書では、日本で、2020年2月~7月に設置された新型コロナウイルス感染症専門家会議の成立から解散までを追う。
先が見えない中で、構成員である専門家も、何度か「ルビコン川を渡る」決断をし、「分水嶺を越える」経験をする。誰も本当の未来が確実には予測できない中、専門知識を武器に、より良い方向へと社会の舵取りをしようという、それは必死の毎日だったのだ。
本書では、専門家会議の構成員の証言から、専門家会議がどのような経緯で発足し、中では実際、どのような議論が行われていたのかを再構成する。
専門家会議の前身である厚労省アドバイザリーボードができたのはダイヤモンド・プリンセス号が横浜に入港した2020年2月3日。構成員は12名。それがそっくりそのまま、2週間後に内閣官房付の専門家会議となった。
そもそも感染症は完全に防ぐことは困難であるうえ、相手は未知のウイルスである。どのような対策を取るのがよいのか、手探りが続く。
専門家会議としては、市民にわかりやすく科学的に正しい知識を伝えることが急務だった。
しかしそこにはどうしても政治が絡む。出そうとする文言にチェックが入り、せめぎ合いが続く。ここは譲って、ここは譲らない。感染症を抑えるために、市民にどのように伝えるのが効果的かを予測しながらの判断となる。
対策を取るにはまずデータ収集が重要なわけだが、ここからして非常にアナログだった。各自治体で書式が異なるうえ、基本は紙ベース。学生ボランティアなどがそれに眼を通し、必要な情報をピックアップしていく。まずは書式を揃え、情報を入手しやすい形にまとめる試行錯誤が続く。
個人情報であるため、取り扱いも困難である。データ分析をするために専門家がやってきたのに、権限がなくてデータにアクセスできないなどということも起こる。
また、当初使用されていた部屋は通信環境が充実しておらず、各々が持ち寄ったルーターで通信していた。何しろこの手のデータは重い。1ギガ、2ギガというものを数回やり取りしただけで、全員がWi-Fiにつながらなくなることもあった。これではオンライン会議も無理。スマホを数台並べてスピーカーモードにし、電話会議を行うことすらあった。
そんな中で、日本独自の三密回避やクラスター対策といった方針が決められていく。
感染が広まるにつれ、苛立ちは専門家に向けられることも増えていった。専門家の立場としては提言を行っているわけだが、記者会見などで具体的に話をするのは専門家であることが多く、どうしても注目が集まってしまう。
脅迫を受ける者が出る。心身を壊す者も出る。訴訟を起こされた者すらいる。ギリギリの状況で激務が続いた。
市民の側は、具体的な数字を欲しがる。緊急事態宣言が出た後、〇万人中、△人の発症者であれば解除できるといった形のものである。しかし、いくら専門家でも確実なことは言えないわけである。そこをどう判断し、どう落としどころを見つけるか。専門家の間でも激論が交わされる。
実のところ、専門家会議という組織には、その存在に法的根拠がなかった。
その中で、危機感から「前のめり」の強めの対策を訴えてきたわけだが、いささか無理が生じてきた。1つは専門家自身が政策を決定しているように受け取られる恐れがあること。もう1つは経済への影響が多大になり、感染症の専門家だけの議論では収まらなくなったこと。
専門家会議は解散の方向へと向かう。
2020年7月3日、専門家会議は廃止、以後、新型コロナウイルス感染症対策分科会として活動していくことになる。
本書の内容はここまでだが、周知のとおり、その後、GoToトラベルやオリンピックを経て現在に至る。
新型コロナウイルスパンデミックを総括するにはまだ早いが、手探り状態で進んでいた緊迫のドキュメントとして、読み応えのある1冊である。
(レビュー:ぽんきち)
・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」