だれかに話したくなる本の話

エースの条件、覚悟と信頼、諦めない心…小橋建太、“四天王プロレス”を振り返る(前)

ードな技を次々に繰り出し、ピンフォールによって決着するまで死闘を繰り広げる――1990年代に熱狂を生み出した「四天王プロレス」はまさしく伝説だ。その「四天王」といわれていたのが、当時の全日本プロレス気鋭のレスラーだった三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太の4人である。

『小橋健太、熱狂の四天王プロレス』(小橋建太著、ワニブックス刊)は、四天王の一人である小橋建太さんが、自身の幼少の頃から、四天王プロレスが終わる1990年代末までを振り返った、プロレスの“歴史書”ともいえる一冊。決して色あせないあの戦いの中で、何を感じていたのか? 時系列に回想を重ねていくこの本には、様々な名プロレスラーたちが登場し、当時のファンは胸を熱くすることだろう。そして、当時がリアルタイムではなかった若い世代のファンにも感じるものがあるはずだ。

今回、新刊JPは本書を上梓した小橋さんについてお話をうかがうことができた。この本に込めた想いとは…?
(取材・文:金井元貴、カメラ:山田洋介)

■「ジャイアント馬場さんはオヤジ。最初は認めてもらえなかった」

――鬼気迫るような緊張があり、読んでいて胸が熱くなる本でした。1990年代の「四天王プロレス」の時代をテーマに書かれた理由を教えて下さい。

小橋:ここ近年、プロレス人気が再燃してきていて、新しいプロレスファンも多くなりました。そういった方々に向けて、今のプロレスに影響を与えている「四天王プロレス」の時代について知ってほしいと思ったんですね。

――だから一度、小橋さんの目から見た「四天王プロレス」をまとめておこうと。

小橋:そう考えていたときに、この本のお話をいただきました。

――当時を思い出しながらの作業だったと思いますが、新しい発見はありましたか?

小橋:発見というか……必死だったなあ、と。おそらく、皆さんは自分にポジティブなイメージを持たれていると思いますが、当時は反骨心や劣等感を持って、がむしゃらにやっていました。ポジティブとは違う、がむしゃらな想いが四天王プロレスに繋がっていったことは発見かもしれません。

――とにかく必死だった。

小橋:必死ですし、悔しいという想いをずっと持ち続けていたのが「四天王プロレス」の時代だったと思います。劣等感や悔しさを持って立ち向かうことが、人間を大きく成長させるバネになるんです。

――本書でも語られていますが、当時の全日本プロレスの社長だったジャイアント馬場さんは、小橋さんにとっての非常に大きな存在だったと思います。小橋さんにとってジャイアント馬場さんはどんな存在でしたか?

小橋:オヤジですね。僕は(全日に)入る前から馬場さんのファンでしたが、入門後に偶然にも馬場さんの付き人をすることになりました。付き人のなり方が複雑で、馬場さんから直接言われたわけではない状態で付き人になることになったので、はじめは(付き人として)認めてもらえなかったんです。当時は辛かったですが、今では自分にとって良い経験でした。

――どのように認められていったのですか?

小橋:付き人の仕事をしようとしても「帰れ、帰れ!」と言われて、次の日も、また「帰れ!」と言われたりもしました。それでも付き人としての自分を見てもらい、認めてもらわないといけないという想いがあったので、どんなことがあっても次の日には元気に「おはようございます!」と行って、ちょっとずつ認めてもらえるようになっていた感じでした。今の時代ではあまり聞かない話だと思うのですが。

―― 一回ダメならばもう諦めるという人も多いと聞きます。実はこの本を読んだときに、小橋さんは勝つことよりも敗北や悔しさの方に重きを置いて書いているように思いました。そして、そこに必ず付いているのは、諦めない心、がむしゃらに立ち向かう姿勢です。

小橋:負けから悔しさが生まれて、次は絶対に勝つという想いが湧いてくるものだと思います。負けることはいけないことではなくて、次につなげるものです。そこで生まれた反骨心や劣等感をエンジンにして、負けた理由を考えて、練習をして上がっていったのが僕だったと思うので、諦めることはしなかったですね。

――そういった意味で、「もう立ち上がれない!」と打ちひしがれた試合やエピソードはありますか?

小橋:そうですね…。どれを一番にしましょうか(笑)。1997年ですね、当時やっとの思いでチャンピオンになったけれど、エースとは呼ばれなかったんですね。「チャンピオンは小橋だけれど、エースは三沢(光晴)」と言われていた時期が続いていて、チャンピオン=エースではなく、なかなか認めてもらえなかった。

そんな中の1997年1月、大阪で、僕がチャンピオンで、三沢さんを挑戦者として迎える試合があったんです。その試合の前に僕は母親に電話をしました。「もし俺に何もあっても、決して三沢さんを恨まないでくれ」、と。そのくらい鬼気迫るものがあったし、三沢さんとの試合に向かうには、“一線”を超える覚悟が必要でした。

結果的には僕が負けて、チャンピオンの座を失い、エースも奪えなかった。ただ、その試合を通して、エースとは何かということを感じることができました。

――そのとき感じたエースとは一体なんだったのでしょうか。

小橋:信頼です。ファンからの信頼、会社の信頼。言葉であらわすと、それになります。信頼を一身に背負っている。もちろん選手それぞれも信頼はありますよ。けれども、一番大きい信頼を集めている人がエースなんです。

信頼を得るのはとても難しいけれど、崩れるときは簡単です。それはチャンピオンベルトを取ることよりも守ることの方が難しいと言われるのと一緒だと思うんです。取れるときはラッキーで取れるけれど、それで防衛し続けるはできません。

――守り続けるには、圧倒的な強さが必要です。

小橋:そうです。プロレスは興業ですから、お客さんを集めないといけませんよね。エースは集められるんです。だからプレッシャーも他とは違うし、求められるレベルもすごく高い。エースとはなんたるかをつかんだ大切な試合でした。だから、97年1月の大阪の試合以降ですね、僕と三沢さんの試合が伝説となったのは。

(インタビュー後編は2月12日配信予定!)

■小橋建太さんプロフィール
1967年3月27日生まれ。京都府福知山市出身。1990年代後半からプロレスラとして一世を風靡。がんや数々のケガに悩まされ、リング内外で壮絶な戦いを繰り広げてきた。2001年1月に膝の手術で欠場するも、翌年2月にはアスリートとして前例のない復帰を果たす。また、2006年6月には腎臓がんが発覚。546日の闘病を経て、2007年10月に復帰。レスラーとしての実績は高く、数々のタイトルを獲得し、特にGHCヘビー級王座にあった2年間は、13度の防衛に成功し、いつしか「絶対王者」と呼ばれるようになった。2013年5月に現役を引退。
現在はがんや様々な怪我を乗り越えた経験を背景に、夢やチャレンジ、諦めない大切さについて語る。“夢の実現”“命の大切さ”などをテーマに小橋らしい熱い想いとまっすぐなメッセージを届ける。また、プロレスを少しでも広めていきたいという想いから、2014年よりプロレスの練習を一般向けにアレンジしたオリジナルトレーニング『プロレスエクササイズチャレンジ』を開始。2015年には尚美学園大学の講師、NWHスポーツ救命協会講師にも就任し、プロレスのみならずスポーツ全般の普及に努める。

『小橋健太、熱狂の四天王プロレス』

小橋建太/著、ワニブックス/刊、1728円(税込)
観る者すべてを熱狂させたあの四天王プロレスを、300ページ超の圧倒的ボリュームで小橋建太が振り返る! 小橋建太×和田京平(レフェリー)×宝城カイリ(スターダム)による特別対談も収録。

■イベント情報
「St.Valentine’s Day talk battle 2016」


小橋建太 vs 宝城カイリ
2月14日(日)13時〜 新大久保R&Bバー/料金5000円(ドリンク代別)
詳細:https://tsuku2.jp/events/eventsDetail.php?ecd=41110121100252

小橋建太 vs 潮崎豪
2月14日(日)17時〜 新大久保R&Bバー/料金5000円(ドリンク代別)
詳細:https://tsuku2.jp/events/eventsDetail.php?ecd=01154215042103

■『小橋健太、熱狂の四天王プロレス』出版記念 インゴットカード発売中!
「小橋健太」「三沢光晴」「川田利明」「田上明」の三冠ヘビー級オリジナル純金インゴットカードを3枚1組で限定発売。ここでしか手に入らない貴重なインゴットカードセットです。詳細は下記URLにて
http://gold4u.jp/collaboration/kobashi/

この記事のライター

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金井元貴

1984年生。「新刊JP」の編集長です。カープが勝つと喜びます。
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audiobook:「鼠わらし物語」(共作)

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