何を考えているのか
―知られざるビジネスの知のフロンティア
著者: 入山 章栄
定価: 1,995円
出版社: 英治出版
ISBN-10: 4862761097
ISBN-13: 978-4862761095
■ 国際的な経営学の世界ではドラッカーは引用されない?
―この『世界の経営学者はいま何を考えているのか』にはたくさんのデータが掲載されていますが、これを一つずつ掘り下げていけば、それぞれ一冊の本になりますよね。
「そうですね。この本はなるべくいろいろな方に読んでもらおうと思ったので、本質の部分だけを幅広く取り上げて、読み手に分かりやすく読んでもらえるようなストーリー作りをしています。だから、データを一つ一つ丹念に分析していけば、また違うものになるでしょうね」
―例えば、グローバル化が叫ばれる中で「国民性」というのは大きなキーワードになるかと思いますが、数値化してみると日本と最も国民性が近いところがハンガリーであり、アジア圏よりむしろ東欧圏の方が近いことが実証されています。このように、データを一つ取ってみても意外なものが多くて驚きました。
「実はこの本に書かれていることは、日本ではあまり一般的に知られていないだけで、海外、特に欧米の研究では常識とされていることが多いんです。だから、欧米の研究者から見れば、『なんで今さらこんなことを言っているんだ?』と思うかもしれませんね」
―そもそもこの本を執筆した経緯はどのようなものだったのでしょうか。
「これは僕自身のバックグラウンドにつながるのですが、実は僕は日本で経営学の勉強をしていないんです。日本では修士まで行きましたが、そのときは経営学じゃなくて経済学だったんです。ご存じのように経済学と経営学は別の学問なので、全く触れたこともなかったんですね。
大学院を修了した後、三菱総研で働いていたときに経営に興味を持ち、博士課程に進んで経営学を勉強し始めたというのが経営学との出会いです。そこでアメリカに行ったのですが、しばらくして気付いたことの一つ目が、欧米の経営学研究の舞台に日本人がほとんどいないということです」
―社会科学系の分野では、国際的に活躍している日本人研究者は少ないと聞きますね。
「経営学においては、全くいないと言ってもいいくらいです。今、30代後半から40代前半くらいの若手と呼ばれる年代で、アメリカのビジネススクールでプロフェッサーのついた肩書きを持って経営学者として研究活動をしている日本人は、僕を入れて3人くらいですね。
気付いたことの2つ目は、アメリカでの経営学しか知らなかったせいか、何年かして日本に帰ったとき、日本の状況がアメリカと全く違っていたということです。日本で経営学の著作といえば、ドラッカーの著作や『ビジョナリーカンパニー』といった本が代表的です。もちろんこれらの本はアメリカでも売れていますが、実は経営学のアカデミアの世界では取り上げられることがほとんどありません。だから、良いか悪いかは別にしても、日本人に知識として知っていてもらった方がいいと思いました」
―そういった部分が執筆のモチベーションにつながったんですね。
「こういった本を書ける人間――アメリカで研究をしていて、こういった問題意識がある日本人は、おそらく僕しかいないだろうと思いましたし、あと一つ、この本は博士号を取得してから書き始めたのですが、学者ってキャリアを積むほど知識が狭くなっていくんです。これは専門領域しか研究しなくなるからですが、逆に博士課程にいる間はいろんなことを勉強させられるので、実はものすごく幅広い知識を持っている状態になるんです。だから、これらの知識を忘れないうちに書こう、というのがきっかけでしたね」
―知り合いの社会科学系の領域の研究者の方々と話していてよく、海外と比較して、日本は遅れていると聞きます。これはどうしてなのですか?
「日本の社会科学が遅れているかどうかは僕には分かりません。少なくとも日本の経営学については、独自の進化を遂げているだけで、遅れていてはいないと僕は思います。ただ、客観的に見ていると、日本の社会科学系の研究のいくつかの領域は、あまり国際化できていないしてきているということは言えると思います。
たとえば経営学の分野においては、日本以外の多くの国では急速に国際標準化が進んでいます。つまり、どの国の研究者も共通の手法で、共通の文献を読み、同じ学会に行って、知識の基盤が共通化され、その中で議論をし合うということですね。アメリカやヨーロッパだけではなく、今は香港、シンガポール、中国や韓国の研究者もその舞台に出てくる人がものすごく多くなりました。ただ、日本人はなかなか出てきてないんですよね。
じゃあ、だから遅れているかというとそれは分からなくて、実は独自の進化を遂げているだけだと思うんです。実際、本でも書きましたが、僕は日本の経営学に精通はしていませんが、それでも日本の研究者の論文を読むこともたまにあってそれはすごく勉強になっていますし、リスペクトしている研究者も多くいます。ただともあれ、他の国と違うというのは間違いないことだと思います。ではどうしてそんなことが起こるのかというと、これは僕の仮説なのですが言語が要因の一つになっていると思います」
―言語が壁になっているということですね。
「例えば自然科学や物理学の分野では、国際的に活躍している日本人が多いですよね。それは何故かというと、共通言語が基本的に数学、数字だから、というのが大きいと僕は思っているんです。だから多少英語が出来なくても、自分の研究の情報を国際的に発信できますし、国際的な学術誌にも投稿できるのではないかと。理系の研究をしている学生って修士でもどんどん海外の学会に出ていって発表したり、雑誌に投稿したりしていますが、それは世界で一番の共通言語である『数学・数字』を使っているからです。逆に社会科学では、自然言語が壁になります。いくら素晴らしい研究ができても、英語でそれをちゃんと表現し、発信できなければ認められません。
ただ、社会科学の中でも濃淡があります。比較的国際化が進んでいる領域といえば経済学ですよね。経済学は主に数学を使うので、そこまで英語が上手くなくても、数学の能力があれば論文を通して伝えることができることも多いですから、国際化しやすい。逆に経営学や社会学の分野は自然言語の影響が強いので、バリアが高いのだと思います。そうなると独自の文化圏をつくりやすくなりますよね」
―先ほど少しお話しましたが、日本ではP・F・ドラッカーは経営学者として認識されているところがあります。ただ、調べてみると「社会生態学者」と名乗ったり、「未来学者」と呼ばれたりしていたようです。では、ドラッカーは欧米のアカデミアの中ではどう評価されているのでしょうか。
「これは本にも書いていますが、まず、僕はドラッカーが経営学者であるかどうかというのは分かりません。肩書きやレッテルの問題もありますし、そもそも経営学者がどんな定義かにもよります。ここで、事実として言えることは、アメリカの経営学者たちは、ドラッカーを使って研究していないということです。
それは何故かというと、今、経営学は『科学』になることを目指していますが、実はドラッカーの手法はそうではないんですね。ドラッカーの本では、自分の取材経験などを通した経営の普遍的な考え方が語られていますが、科学的な方法ではないため、どうしても研究で使いにくいんです。
だからといってドラッカーが良い悪いという問題になるわけではないし、彼の言葉が科学的に分析できないと言っているわけでもありません。本でも触れていますが、クレアモント大学のビジネススクールはドラッカービジネススクールと呼ばれていて、アメリカで唯一ドラッカーを研究しています。そこではドラッカーの考え方を科学にしようとする試みがなされています」
―では、ドラッカーの文献が学術的な論文で引用されることはほとんどないわけですね。
「ほとんどありませんね。僕は論文で一度だけ見たことあって、その研究者が自分の仮説を主張するときに、『そういえば、マネジメント・グルのドラッカーはこういうこと言っています』というようなニュアンスで使っていました。グルっていうのは教祖や強い影響を与えられる存在とかそういう意味です」
―その「マネジメント・グル」っていう表現は面白いですね。いわゆる自己啓発の分野の人という認識ですね。
「そうですね。いわゆるそのゾーンの人ってことですね」
■ 日本の経営は海外の研究者にどう見られている?
―経営学について少しは知っていると思っていたところもあるのですが、本書を読んでいると、知らないことが多くて驚きました。
「先ほども言いましたが、これは良いか悪いかは別にして、日本の中で議論されていることと、国際標準で議論されていることは結構違っています。ただ、この本に書いてあることのほとんどは基本的なことですね。タイトルにもあるように『フロンティア』の基本の話を書いています」
―どのような人に読んで欲しいと思って執筆されたのですか?
「この本は、国際標準の経営学ではこういった研究がされているということを、幅広く日本人に知って欲しいという位置づけで書いています。だから、ビジネスの示唆になることもあるでしょうから、普通のビジネスマンはもちろんのこと、経営学を勉強している学生や、経営に興味を持っている学生でも読み解けるはずです」
―では、経営学の国際的な最先端を知りたいと思ったときにはどうすればいいのでしょうか。
「これは本のあとがきにも書いていますが、結局は原書で論文を読むしかないんですね。
日本では独自の経営学が研究されていることが多いので、海外の文献や資料が少ないという実情があります。ただ、今では海外で博士号を取られている方も多くなってきていて、国際的な学会に出られている方もいらっしゃるので、そういった方々が書いた本を読むのは一つありますね。また、『ハーバード・ビジネス・レビュー』もこの本で述べているように本当の学術誌ではないですけれど、読んでおくと役に立つかも知れません。日本の『一橋ビジネスレビュー』も有用な情報が書かれているはずです。
ただ、本当のフロンティアを知りたいと思ったら、原書の学術論文を自分で読むのが一番です。さらにその先が知りたいとなると、学術論文でも遅くて、現在進行形で経営学の知は開拓されているので、そのコミュニティに飛び込んで、学会に参加して、学術誌に投稿される前の段階の、今、真っ最中の研究を聞くしかないですね。
それと、これは日本でもそうですが、アメリカでは学者間の交流が盛んで、研究成果の情報交換もよくしています。これが本当のフロンティアだと思いますし、多分コミュニティに入らないと手に入らないものでしょうね」
―私は日本の大学院しか知りませんから海外については分からないのですが、大学院には研究をしようとしている人、自分のテーマを持って取り組んでいる人が多くいる一方で、就職できなかった学生たちが行くという側面もありますよね。
「それはすごくよく分かります」
―だから、こうした本を通して経営学の面白さに気付いて、研究者を志して海外に出ていく人が増えればいいかなと思いました。研究って本当に面白いと思わないとなかなかできないことですよね。
「その通りだと思いますね。研究が面白いと思えることも大事ですし、あとはアメリカでいえば研究者って一人一人が個人事業主なんです。だから競争もし烈だし、そこで勝ち上がっていかないといけない。これは厳しいことですが、反面、自分の好きなことができるというのは魅力的ですね。また、他の職業と比べると自由です。服装とかも軽装でいいですし(笑)」
―この本でも少し触れられていますが、日本にも少し前、MBA(経営学修士)がブーム化したことがありました。でも正直なところ、MBAを取得する意味はあるのですか?
「意味というのをどう考えるかでしょうね。MBAは役割が一つだけではありません。勉強をして知識を得ることも役割の一つですが、ハードな勉強をさせられるので勉強する行為そのものが鍛えられますし、あとはネットワーキングも重要な要素です。つまり、たくさんの優秀な同期たちと勉強して、そこで生まれる友情や仲間意識を求めてMBAを取りたいという人が、アメリカでは本当に多いです。修了生にも優秀なビジネスマンが多いですし、そのネットワークを得るために通うという人も結構いるんですよ。
だから、ハーバード大学やペンシルベニア大学に行きたいというのは、良い教授がいて、良い授業が受けられるからだけではなくて、同期が優秀で、世界のトップで活躍している人たちが多いから、そういう人たちとネットワークを持っておきたいという目的があるからなんですね。
一側面だけ見るとMBAは意味があるのかどうかは分かりませんが、総合的に見ると意味はあるはずです。ただ日本のビジネススクールの多くがそのレベルに達しているかどうかは、僕は日本のビジネススクールを経験したことがないので分かりません」
―もう一つ、正直なところを聞きたいのですが、日本のアカデミア、特に社会科学、その中の経営学の分野というのは、海外からどのような評価を受けているんですか?
「経営学に関して言いますと、アメリカの研究者は日本の経営学についてそもそもあまりよく知らないと思います。それは、先にも述べたように日本人がそんなに情報発信をしていないということも大きいかもしれません。ただ、例えば野中郁次郎さんのような方々の研究は、引用している人もとても多くいますし、重要とされています。だから、日本が軽んじられているのではなく、評価されている部分も多くあります」
―昔、ジェイムズ・アベグレンの『日本の経営』が注目され、日本式の経営が脚光を浴びましたが、今でも日本の経営を研究している研究者は多いのですか?
「極めて少なくなってきていますね。ただ、面白いと思うのが、去年、一昨年とアカデミー・オブ・マネジメントという世界最大の経営学会があって、国別でのセッションをするんですね。ちょっと前までは中国やインドが人気で、何百人もの聴講者が集まっていたんです」
―日本でいうところのいわゆる分科会ですね。
「そうそう、そんな感じです。学会自体の参加者が1万人近くいるのですが、何百人ってやはり多いんですよ。でも、最近は中国もインドも時代遅れで、トレンドはアフリカらしいですよ(笑)。この前、大御所の教授とご飯を食べに行ったときに、これからは中国でもインドでもなく、アフリカを見ておかないと駄目だよって言われました。でも、中国やインドもまだまだすごい人数が集まります。
それで、日本のセッションが一昨年あったのですが、参加者が20人いなかったくらいで、その3分の1くらい日本人でした。残りはドイツ人研究者だったり、日本に興味のある人たちですね。そのとき話題にのぼったのが、なんで日本は注目されなくなったかということでした」
―それはなんだか寂しいですね
「そうなんですよ。決して発表者に非があったわけじゃないのですが…。ただ、繰り返しますが、全体的なトレンドはそうなっているけれど、日本が全く注目されていないわけではないですし、研究されていないわけでもありません。今でも日本のデータを使った研究が学術誌に掲載されているし、決して注目されていないわけではありませんよ」
■ メディアでの「学者」の意見、どう接すればいい?
―お聞きしたいことがあるのですが、よくニュース番組や新聞、雑誌などで学者が何かの事件についてコメントをすることがあります。そうしたコメントって、学者の権威性もあってどうしても鵜呑みにしてしまいがちなところがあると思います。でも、例えば自分のよく知っている領域であるならば、「この意見は全然合っていない」ということもあるはずです。では、学者の言うことに批判的に接するにはどうすればいいのでしょうか。
「その質問はすごく難しいし、面白いですよね。学者と教授って肩書きがつくと権威だと思ってしまうみたいですね。でも、アメリカでは大学教授はただの仕事だと思われているので、全然偉くないんですよ。特別にステータスがあるわけでもないんです。
で、質問の回答ですが、結論から言えば分からないんですよ(笑)。おっしゃる通り自分の研究している分野については分かるけれど、例えば今なら地震や原発について、何が正しいのか、どうすることが正しいのかは分からないですよね。原発をそのまま稼働させるべきか、廃止させるべきか、学者たちも意見が分かれましたから。そういう意味ではどっちが正しいかとかは、みんな分からないんじゃないでしょうか。僕も分かりません。
また、もうすぐ選挙がありますが、景気対策の政策についても経済学者の間で論争になっていて、賛否両論あるわけです。それはどの研究者も『自分の主張が正しい』と信じていることを言っているのであって、研究の先端にいる人たちでさえこうやって割れているわけだから、僕たちに政策が良いか悪いかを見抜くのは極めて難しいことだと思います。
だから、最後は自分で考えるしかないんだと思います。社会科学では『実証』と『規範』が大事で、実証というのは世の中の物事がどうなっているのかを調べて考えること、規範は社会がどうあるべきか考えることです。実証についてはとにかくそれについての情報を集めて、調べて勉強して、規範は『自分の価値観で判断する』ということを自覚する。つまり、自分の価値観を自分で認識した上で、判断するということですね」
―最終的には自分の価値観に合うものを選ぶ、と。
「そういうことになります。とはいっても、社会科学の分野で言わせてもらえれば、普段からあまりにもテレビによく出演している人はあまり信用しないほうがいいかも知れませんね。学者にとって大事なのは研究して論文を書くことなので、一生懸命研究して論文を書いていると、あまりメディアに出ている時間は取れないはずなんです」
―しかも、一度テレビで見かけたなと思ったら、別の分野にまでコメントをしていたりしますからね。
「正直言うと、僕はこの本を書くことをすごく悩みましたし、今でも半分後悔しています。僕も学者として半人前で、まさにアメリカで競争している最中なので、1分でも1秒でも長く研究しなきゃいけないはずなんです。でもこの本だけは、強い問題意識があったので書かせてもらいました。でも、もしこの本を書く時間を論文にあてたら、良い論文が1本ぐらいは書けたかも知れない、という想いは今でも持っています。
ただ、社会科学はある程度、社会に影響を与えられる学問ですから、啓蒙をしたり、多少テレビに出たり、本を書いたり、雑誌に寄稿したりするのはすごく大切なことだと思うんですよね。だから否定はしないけれど、ちょっと出過ぎている人はちゃんと研究できているのかなと思いますね」
―(笑)ちょっと話が戻りますけど、受け手側は本書のような文献などを通して、社会科学で実証されていることを知っておくことは大切ですよね。
「この本では、これが正しいと言っているわけではなく、考える契機にして欲しいと思って書いています。タイトルには『世界の経営学者』ってスケールの大きな言葉がつけられていますが、それが正しいか、正しくないかという規範的な話は、社会科学で語るのは難しいと思いますから」
―入山さんが影響された経営学の本をあげていただけますか?
「これはですね、ないです(笑)。それはどうしてかというと、僕は日本の経営学の本をほとんど読んでいないからです。僕はアメリカに行ってから経営学をはじめたので、経営学歴はまだ9年なんです。それで、アメリカに行ってからは基本的に論文を大量に読んだり、ケーススタディ、実務家との対話、あとは教科書みたいなものがメインなので、本という意味ではあげられないですね。
それ以外だと、家ではマンガを読んだりしています。だからお勧めの本と聞かれたら、諫山創さんの『進撃の巨人』(講談社)をあげようと思って今日は来ました(笑)。面白いですよね。あとは、『週刊アサヒ芸能』(徳間書店)で連載されている『めしばな刑事タチバナ』(原作/坂戸佐兵衛、イラスト/旅井とり)ですね。B級グルメマンガなんですが、本当に面白いです」
―じゃあ、『週刊アサヒ芸能』をアメリカで読まれているということですか?
「『進撃の巨人』はインターネットで評判を聞いて、どうも面白いと。それで日本に帰ってきたときに手を出したのがきっかけです。『めしばな刑事タチバナ』は仲の良い友達からある日突然、航空便で郵送されてきて、無言で『読め!』と。それを読んだら面白かった(笑)。
で、強いてマンガ以外で影響を受けた本をあげるとするのであれば、経済学で、木村福成さんという国際経済学の研究をしている方がいらっしゃるのですが、今でもバリバリ現役で、政策にも携わっている凄い方なんです。その木村さんは以前、僕と同じニューヨーク州立大学にいたのですが、十数年前に日本の大学に帰ってきて、僕はその1年目に受け持ったゼミのゼミ生だったんですよ。その先生が書いた『実証国際経済入門』(木村福成、小浜裕久/著、日本評論社)という本があるのですが、いまだに自分の中で一番重要な本ですね。社会科学における『理論と実証のせめぎあい』の重要性をわからせてくれました。最初の2、3章は当時読んだときすごく難しかったけれど、知的興奮がすごかったですし、今でも考えの基盤になっていますね。
あともう一冊、東京大学で宇宙物理学者をされている吉井譲教授の『論争する宇宙』という本にも影響を受けました。この本は宇宙物理学の歴史をたどりながら、アインシュタインが最終的に放棄してしまった『宇宙定数』が、後の時代の研究者によって実は宇宙を説明する上でとてもだいじであることがわかった、というすごくロマンのある話で、なんというか、研究者の『宇宙の謎を解き明かしたい』っていう思いが伝わって来るんですよ。実は、僕の『世界の経営学者は』は、この『論争する宇宙』の経営学版を書きたい、と思ったのが着想のきっかけなんです。
でも、普段はやはり『進撃の巨人』とか、あとは『HUNTER×HUNTER』(冨樫義博/作、集英社)も面白いです(笑)」
―では、最後に読者の皆様にメッセージをお願いできますでしょうか。
「書いている僕が言うのもなんですが、日本人にとっては、革新的な内容が書かれていると思います。欧米を中心に国際標準になりつつある経営学で、こういう研究が行われている、フロンティアではこういうことが発表されている、ということを体系的に紹介した一冊になっています。幸いなことに『とても読みやすい』という感想を、ビジネスマンや学生さんなどすごく多くの方からもいただいていますので、経営や経営学に少しでも興味がある方には是非、目を通してもらいたいです。きっと、得るものがあると思います」
―ありがとうございました!