新刊くん
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  • 著者:近藤誠
  • 出版社:梧桐書院
  • 定価(税込み):1,785円
  • ISBN-10:4340120022
  • ISBN-13:978-4340120024
近藤誠 インタビュー

なぜ「がんもどき理論」に至ったのか

――従来のがんに対する考え方に、疑問を抱くようになったきっかけを教えてください。

 私が最初に従来の「がん一元論」――「早期がんを放置すると次第に大きくなって進行がんへ移行し、さらに他の臓器へ転移して末期がんに転化し患者さんを死に至らしめる」という考え方――に疑問を抱いたのは、1973年に医学部を卒業し、慶応の放射線科の医局に入って間もなくのころです。
 当時、胃の放射線診断学を専門にしようと考え、『胃と腸』(医学書院)という医学専門誌のバックナンバーを買い込むなどして勉強していました。一方で実際、胃がん検診で要精密検査になった人のレントゲン直接撮影や読影をしていくうちに、早期胃がんでもなかなか進行しないものがあることに気づきました。
 当時の私は、この事実を重大なこととは考えませんでした。「がん一元論」を信じていましたから、これは例外的なことなのではないか、と軽く考えていたのです。しかし、私の中に「がん一元論」に対する疑問が生まれたことは確かで、その後もくすぶり続けました。

――そこから、他の臓器へ転移する「本物のがん」と他臓器へ転移しない「がんもどき」の存在を確信するようになったのは、どういった経緯からでしょうか。

「がんもどき」の存在を確信したのは、乳がん治療を深く考えはじめてからです。
 1988年に「乳ガンは切らずに治る──治癒率は同じなのに、勝手に乳房を切り取るのは、外科医の犯罪行為ではないか」というタイトルの論文を『文藝春秋』6月号に寄稿しました。その際、大きな論議を巻き起こすことは避けられないと考え、執筆するにあたって欧米や日本で発表された乳がん治療の重要な研究論文や報告をくまなく読み込みました。
 そのなかで注目したのが、乳がん手術に関する2つのランダム化比較試験(クジを引くようにして被験者を複数のグループに分けて治療の結果を比較する臨床試験)の報告です。
「早期がんを放置しているとどんどん大きくなって進行がんに移行し、さらに他臓器へ転移して末期がんに転化する」という従来の「がん一元論」が正しいのであれば、切り取る部分を大きくすればするほど転移を防ぐことができ、転移率が下がり、生存率が上がるはずです。しかし、それらの試験では、手術の範囲を大きくしても、つまり拡大手術をしても、切り取る範囲が小さい場合に比べて転移率や生存率に意味のある差はなかった。
 この事実をどのようにとらえたらよいのか、考えあぐねました。それで、矛盾がないようにこの事実を説明しようと、突き詰めて考え、次の結論に至りました。
 転移して患者を死に至らしめた乳がんにおいては、CT(コンピュータ断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像装置)などの画像検査で発見されるはるか以前に、がん細胞が他臓器へ転移している。だから拡大手術を行っても、すでに他臓器へ転移したがんの増大は抑えられず、患者を死に至らしめたと考えられます。
 一方で、患者を死に至らしめなかった乳がんは他臓器へ転移しなかったがんです。したがって、拡大手術や放射線照射などが生死に影響を与えることはまったくない。
 私は前者を「本物のがん」、後者を「がんもどき」と名づけ、がんには「本物のがん」と「がんもどき」の2種類があることを確信しました。そしてそこから、がん手術や抗がん剤の有効性についても、いろいろな事実が見えてくるようになりました。
 この考え方は、乳がんだけでなく、ほかのがんにも適用できます。

がん治療40年の結論

――がんもどき理論こそが、抗がん剤やがん手術の多くは無効であるとする「近藤理論」の根幹ですね。

 いや、私の理論とは言えないと思います。断片的には、以前から言われてきたことばかりです。それを体系的にまとめたのが私だったということです。

――「近藤理論」ということではないにしろ、「近藤哲学」のようなものがあるように思えるのですが。

「哲学」というような大それた言葉は自分では使いませんが、哲学というのは基本となる考え方のことですよね。だとすれば、「がんは症状が出てくるまで見つけないほうがいい」ということです。言い換えれば、「がんは末期発見のほうがいい」ということ。これは、他人から見れば「哲学的」ということになるかもしれません。
 科学や医療の技術が進歩しても、人間の体それ自体は進歩しません。人間の体に起こる病的な現象に対して、科学技術を使ってうまく改善できることもあります。しかしそれらは、おもに急性期の疾患です。
 慢性期の疾患、言い換えると「老化現象」ですが、それに対して科学技術はほとんど無力です。高血圧や脳卒中などもその一つです。なのに、効果があるのかないのかわからないような治療がたくさん行われています。
 がんも同じで、一種の老化現象なのです。これを治療でなんとかする、ということ自体に無理があります。
 これが、がん治療を40年近くやってきた私の結論です。

医学はサイエンスの中でも特殊な領域

――老化現象といえば、近藤先生はご著書『成人病の真実』で、医学界が「成人病」を「生活習慣病」と言い換えたことを批判しておられました。

 それは「生活習慣病」という言葉を作ったことで、いろいろな疾患について「生活習慣が原因だから、それを正せばなんとかなる」という考え方を人々に植えつけてしまったからです。
「成人病」という名称は、ある意味本質を突いていました。要するに、老化現象ということです。ところが、一部の医者が「老化現象を病院で治療するといっても患者は来ないだろう」と思ったのでしょうね。それで、「生活習慣病」ということにして、早期発見を推奨する。人間ドックも、その延長線上で作られたものです。
「早期発見すればなんとかなる」という幻想を作り上げ、病気の発見と治療に人々を駆り立てようとする一つの意図に貫かれています。
 似たような現象が、がんや成人病にかぎらず、インフルエンザもそうですし、医療のいろいろな領域で起こっているように思います。
 医学は医療になったときにビジネスとセットになってしまうんですね。その意味で、サイエンスの中でも特殊な領域といえます。

――ということは、日本だけの現象ではないということですね。

 たとえば「専門医社会」などと言われるアメリカでは、さまざまな領域の専門医が、それぞれ何千人何万人といるわけです。その中には、科学の発達が不十分な時代に、経験主義的に導かれてきた治療法・診断法を続けている医者がたくさんいて、それによって生計を立てています。
 それを科学的に分析して「これはいらない」などと言って廃止すれば、彼らは失職する。とくに抗がん剤治療医は、僕の主張することに従えば、全員失職してしまいます。それがいやなものだから、データ的に判明したことを無視する傾向にあります。あまつさえ、データを捏造することまでやるのです。
 手術にしても、切る範囲を大きくする拡大手術に成功すれば医学界で認められ、患者が集まり、懐も温まり、出世もできます。検診も同じです。発見が早ければ早いほど、もてはやされ、患者が集まります。
 医者たちは、早期がんを見つけたからといって、記念パーティを開くようなこともするのです。それは患者のことを考えていないでしょう、と思うのですが。

疑問を持たない医者たち

――そうはいっても、お医者さんといえば頭脳が優秀で、論理的な思考ができて、ものごとを科学的にとらえることのできる人たちというイメージがあります。医療がビジネスとセットだとしても、科学的なデータや近藤先生の理論を無視するようなことができるんでしょうか。

 今、医者になるために何が大事にされているかというと、記憶力です。英語や数学の試験があるにしても、結局は記憶力を試しているにすぎません。サイエンスというのは疑問を立てて正しいかどうかを検証していく作業ですが、多くの医者はそういうことに慣れていないのです。ものごとを深く考えれば、時間がかかります。それよりも、試験に出そうな解剖学の名称を二つでも三つでも覚えた方が効率的、ということなのでしょう。
 そういうふうにして育った医者は、手術をする分には上手なのですが、「こんなに切っているのに、どうして再発するんだろう」という疑問を持ちません。疑問を抱けば、違った方向も見えてくるはずなのに、「切ってみて、だめだったらもっと切ろう」となってしまうのです。
 僕の慶應の講義でも、「質問はないか」と学生たちに聞いても、なかなか質問してきません。ゼロということもあります。僕が学生のころは、授業に出たときは必ず記念に一つ質問をして帰ろうと思い、矛盾点はないか、質問のタネはないかと思って講義をよく聞くようにしていました。僕みたいなタイプは当時から少なかったですが、そういう訓練をしてこないと、論理的にものごとを考える力が身につかないでしょう。

――最後に、この記事を読む人たちや、医者になろうとしている若い人たちに向けて、アドバイスをお願いします。

 一般の人たちへのアドバイスは、何か病気を思わせる症状がなければ、できるだけ医学検査を受けないことです。検査は受ければ受けるほど、病気とは言えない異常を発見されて治療されてしまい、結果、不健康になるという背理があります。職場健診も受けないのが一番ですが、強制される場合には、被ばくするので、なるべく放射線検査をはずしてもらうことです。
 若い医者に希望するのは、医学的事実を大切にし、真実を見極め、合理的な診療を心がけてほしいということです。