- 半七捕物帳<1>年代版<1>
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江戸に実在したシャーロック・ホームズ
江戸時代を舞台にした時代小説には、しばし現代の世を離れ古き世の情緒に浸
る癒しの作用がある。それが捕物となれば、謎解きによる読者の正義感を触発してくれる。それらを最も自然に感じさせるのが、岡本綺堂の「半七捕物帳」ではあるまいか。しかもこの物語こそ捕物小説の嚆矢であり、六十九編からなるこの捕物帳は天保時代から幕末に至るまで、江戸が激変した明治に最も近い時代が背景となっているから、それだけまた親近感も感じさせる。
綺堂は明治五年生まれで、江戸時代を生きた人々に囲まれて育った。リアリティーに江戸が描けるのは、そのためであろう。しかも岡本家の環境が、最後の江戸時代を強烈に生き、さらに明治時代の変化を最も強く体験したものであった。綺堂が逝去した二カ月後の昭和十四年五月に発表された「岡本綺堂年賦」に「わたしは一家一門が敗残の歴史を余り多く語りたくない。
約めて云えば、わたしの一門の大部分は維新の革命の際に、佐幕党として所々に戦って敗れたのである」との一文を遺している。年賦によれば、父君は幕軍として各地に転戦し、江戸が東京となってから横浜の居留地に潜伏したのが縁となり、「英国公使館のジャパニーズ・ライターに雇われ」公使館の東京移転について東京に移り、そこに明治五年、綺堂が生まれた。ここに時代作家・綺堂の原点がある。「ジャパニーズ・ライター」の父君は元百二十石の幕臣で、綺堂は明治二十三年十九歳の時、東京日日新聞の記者となり筆を取る生活に入った。
その綺堂がなぜ時代作家の道を歩み始めたのか。それにはある出会いがあった。昭和十一年に発表された「半七紹介状」によれば、新聞記者になった翌年、綺堂青年二十歳の時である。
浅草公園を散策し、弁天山の惣菜「岡田」へ午飯を食べに入った。日曜日でかなり混んでいて注文の品が出てくるまでけっこう時間がかかり、たまたま隣に座り合わせた老人と話がはずみ意気投合した。話しているうちに老人は文政六年(天保の前、一八二三)の生まれで六十九歳であることを知った。その日一日、綺堂青年はこの老人に付き合うことになり、その後もしばしば老人を、当時はまだ田舎であった新宿の隠居宅へ訪ねた。そのなかで老人は自分の「友人に岡っ引がいた」と話し、「これは受け売ですよ」と断わったうえで「『半七捕物帳』の材料を幾つも話して聞かせた」。これについて綺堂は「老人の話が果して受け売か、あるいは他人に託して自己を語っているのか、恐らく後者であるらしく想像された」と記し、「私は彼の老人をモデルにして半七を書いている」と明言している。
「半七捕物帳」で時代背景が最も古いのは、事件の発生を天保十二年(一八四一)とした「大阪屋花鳥」で、それは文政六年生れの老人が十九歳のときであり、ここから維新までの二十数年が半七の活躍の期間となり、年齢的にもこの老人の活動期と合致する。もちろん老人がこのとき青年に告げた名は“半七”ではなく、“綺堂”というペンネームもまだ生れていない。
ならば、この若い新聞記者を捕物小説へ触発したものは何か。そこに英国公使館の「ジャパニーズ・ライター」であった父の存在が、大きく影響したと思われる。この若い新聞記者を刺激したのは、英国のコナン・ドイルのシャーロック・ホームズだった。綺堂がホームズを本格的に読み始めたのは大正五年のころからで、その時の感想を、昭和二年に発表した「『半七捕物帳』の思い出」の中で「探偵物語に対する興味が油然と湧き起って、自分もなにか探偵物語を書いてみようという気になった」と記している。それが「半七捕物帳」になったことについて、綺堂は次のように続けている。いささか長文の引用になるが、お読みいただきたい。
「いざ書くという段になって考えたのは、今までに江戸時代の探偵物語というものが無い。大岡政談や板倉政談はむしろ裁判を主としたものであるから、新たに探偵を主としたものを書いてみたら面白かろうと思ったのです。もう一つには、現代の探偵物語を書くと、どうしても西洋の模倣に陥り易い虞れがあるので、いっそ純江戸式に書いたならば一種の変った味のものが出来るかも知れないと思ったからでした。幸に自分は江戸時代の風俗、習慣、法令や町奉行、与力、同心、岡っ引などの生活に就いても、ひと通りの予備知識を持っているので、まあ何とかなるだろうという自信もあったのです」そこで最初に書き上げたのが「お文の魂」であり、その末尾で半七について「彼は江戸時代に於ける隠れたるシャアロック・ホームズであった」と記している。“綺堂”というペンネームは「狂言綺語」という四字熟語から取ったもので、意味は「美しい言葉で人をたぶらかして幻惑させること、また堕落させること」である。このことからも、江戸情緒にわれわれ読者をいざなってくれる綺堂の、江戸っ子としての洒落っ気がうかがわれる。