人はどうして「健康にいい!」に振り回されるのか?
――まず『「健康第一」は間違っている』というタイトルについて伺いたいと思います。とてもセンセーショナルな書籍名だと思うのですが、一方で非常に誤解を招きやすいところもあると思うのですね。このタイトルにした意図から教えていただけますか?
名郷さん(以下敬称略):誤解されるという点でいえば、実は驚いていまして、「健康第一にすると健康になれない」というメッセージを受け取ってしまわれることがあるんです。これは私にとっては意外なことでした。
そして、おっしゃる通り、手にとって読んでもらうためにタイトルをセンセーショナルなものにしようという意図はありました。実はこの本、冒頭の部分にすごく悩みまして、書いてはやめて、書いてはやめて…ということを繰り返して、結論の「健康第一をやめませんか?」を頭に持ってきてようやく原稿が進んだのですが、それまでのタイトルは全く別のものだったんです。
――とても一般の方を意識して書かれたという印象を受けました。
名郷:そうですね、この本のメッセージは実はこれから高齢者になる人や高齢者の方々に向けたものです。若いうちであれば、健康はすごく重要です。健康を損なうと働くことが難しくなることがありますし、ご家庭もあるでしょう。ただ、リタイアして「よく生きた!」と思っているような方々は、なおも健康を追求するよりも、それを手放した方がいいのではないですか? と問いかけたいという想いがありました。
――本書の序盤で、肺がんになった2人の80代の男性の、治療を受けた後と拒んだ後の人生の例が書かれていましたが、考えるところがありました。治療を受けた人はがんがなくなったけれど、治療で肺炎を併発して亡くなってしまった。一方で治療を受けなかった人は、腫瘍は大きくなっているものの特に体に変調が出ていないというものでした。
名郷:治療を受けないほうが長生きしたというケースですよね。でも実はあの例は、最後にひっくり返したくて、冒頭で出したんです。
最後の方に、気管切開を拒んで亡くなってしまった方の例をあげたのですが、手術を拒否したから長生きできるというわけではありません。ならば、健康を追い求めるのではなく、もう健康という欲を手放してもいいのではないですか? そうした方が楽しく生きることができませんか? ということを伝えたかったんです。
元気であること、健康であることは間違いなく良いこと。ただ、年齢的にどこかであきらめないといけないポイントが出てくるのは確かです。「ずっと健康でいたい」と言ったまま、健康を失う不安や恐怖に怯えて、いざ病気になったときに「あんなに健康に良いことしていたのに」と後悔して亡くなる人もいます。
境目がはっきりしていれば、そこで切り替えればいいのでしょうけど、その境目はないですからね。やはりどこかで健康をあきらめないといけないと思うんですね。
――そのお話から2つ、お聞きしたいことがありまして、一つ目は人間の健康欲の深さについてです。本書でも書かれていますが、健康欲に際限はありません。だからこそ、メディアはこぞって健康ネタを取り上げるのでしょうし、それにつられて健康食品や体のいいものを求めて旅をしてしまう。朝のニュース番組で紹介した健康食品が飛ぶように売れるということもありました。こうした状況について名郷さんはどのようにお考えですか?
名郷:そうなんですよね、健康欲には底がありません。自分が今、健康であるとか、将来もずっと健康でいられると実感するのは、おそらく基本的には不可能なので、どこまでも欲を刺激できるんです。
それを利用して儲けようと考えている人たちがいるのも事実で、ちょっとでも「体にいいですよ」という文句を振りまけば、そこに向かって人は動いてしまう。でも健康欲はまだ満たされない…その繰り返しにはまっています。そういう意味では健康って中毒性があるものですね。
――それが行き過ぎた結果、「ある食材にこんな効能があった!」とねつ造してしまうテレビ番組が出てくるケースもありました。
名郷:そもそもとして、社会全体の医療分野に対するリテラシーが低いという点はありますね。情報をきちんと読みこめていない。また、これはビジネスの話になると思いますが、物を売ることが健康よりも必ず優先される。健康を目指すといいつつ、実は優先されているのは「物を売る」ということなんです。
――ビジネス的な背景があるということは、「そうであること」を知っておくことが大事だと思いますが、健康にまつわる情報を読み解くリテラシー能力については、専門領域である以上、一般の方々が容易に入り込めるものではないと思います。だから、“それらしい人”がテレビに出てきて、“それらしいこと”を語っていると思うしかありません。
名郷:その“それらしい人”が、そもそもリテラシーを持ち合わせていなかったらどうでしょうか。例えば高血圧の場合、本書で書いているような臨床データを元にして議論をできる専門医は実は少ないんです。日本の医療は基礎研究が主流ですから。
――メディアの話でもう一つありまして、病気にまつわる広告についてです。本書に掲載されている事例、がん検診や認知症などはよく大きなキャンペーンを打たれますし、メディアにも取り上げられやすいですよね。今年、「アイス・バケツ・チャレンジ」という筋萎縮性側索硬化症の研究を支援するための寄付をする運動が話題になりましたが、あのような広がりがなければその病気を知らない人も多かったと思います。
名郷:まれな病気を広く知らせようとするのと、ありふれた病気とは区別して考える必要があります。それは市場の大きさというものが背景にあると思います。高血圧だと言われている人はたくさんいるし、認知症患者が推計で500万人近くもいるからという構造ですね。
この本にも書きましたが、例えば早期の認知症だと診断されても、その方々に対するサービスはまだまだ整ってはいません。本当であれば、まずは認知症が進んでいる方々のサービスをちゃんと整えて手厚くした上で、次に早期認知症の方々に対してサービスや治療を行って、臨床データを積み重ねていくというのが順番なのに、サービスを提供する仕組みが整っていない状態で見つけるだけ見つけてしまおうとしているのが現在です。だから、現場は疲弊していくのです。
■健康寿命は70代前半の時代に、70代をどう生きるか
――お聞きしたいことのもう一つは、健康と不健康の「境界」についてです。この本でもテーマの一つになっていますが、どこからどこまでが健康でどこからが不健康かというその境界がどこにあるのかは悩むところだと思います。その一つの基準となるのが、健康診断で出てくるような数値だと思うのですが、名郷さんはこの「境界」についてどのように捉えていらっしゃいますか?
名郷:この本にも書いてあるように、実は境界というものはないように思います。例えば収縮期血圧が140を超えると高血圧だと言われていますよね。でも、140というのは平均値に近い値ですから、140付近の数値になる人って非常に多いんです。そういった状態で、140以上と以下を比べても、あまり変わらないという結果になってしまう。もちろん収縮期血圧が180というような高い数値を境目すると、結果は変わってきます。
これはつまり、多くの人の場合、血圧が基準値よりも少し上回るくらいならば慌てなくてもいいということです。140以上だから薬を飲まないといけないというわけではなく、個人の生き方として、もっといろいろな選択肢を持つべきだと思うんですね。健康診断などの基準は個人と関係なく決められるものですから、極端な数値が出てしまったときを除けば、基準値周辺のわずかな異常で、基準に振り回されるのは、血圧自体よりも不安な気持ちが逆に負担になります。
また、血圧は変動しやすいもいのですから、例えば15分安静で計測したデータと、5分安静のデータでは異なります。さらに2回測って平均をとる、もしくは2回目のデータを採用するとか、どういうシチュエーションで血圧を測るかというタイミングによっても変わってきます。定期診断の場合、流れ作業的にだいたい1回か2回計測して終わりだと思いますが、そのようにして計測されたデータはそもそも基準を当てはめることはできないのです。ちゃんと計測するのであれば、自宅で毎日5分以上の安静で同じ時間に血圧を測るとか、そういうことが必要になります。
――ただ、私たちが自分で健康か不健康か判断つかない以上、定期健診の基準値はある一つの大きな指標です。
名郷:おそらく、指標から外れてしまったその先に、不健康や病気になること、そして死ぬことが怖いという感情があるんですよね。お子さんや若い方、働き盛りの方は自分自身のこれからの人生であったり、家族の人生もあるわけで、そのために健康を追求するのが自然だと思います。その指標に対して一喜一憂するのは分かります。
ただ、一つ頭に入れておいてほしいのは、健康というのは年齢とともに少しずつ失われていくものです。生まれたときが一番余命は長い。体力も少しずつ衰えていきますし、年齢による死亡率も少しずつ高くなって、だいたい70歳を過ぎるころから急速に高くなり、80代でそのピークがきます。ある病気を患っても、別の要因で亡くなることも多くなる。ならば、ある程度高齢になったらもういいじゃないか、と。
――先ほど、高齢者に向けて書かれたというお話でしたが、自分の生き方を見直そうというメッセージが込められています。
名郷:そういう意味では高齢者だけでなく、50代や60代の方々にこそ読んでほしい本ですね。これから70代をどう生きますか? と問いかけたいんです。健康ばかりに気を使いすぎていませんか? と。もちろん若い世代の方にも読んでほしいです。自分がこれからどうなっていくのか、親世代のことについて想いを張り巡らせることもあるでしょう。
また、もう一つ重要なことがあって、これは医者側の問題なのですが、例えば高血圧になってしまったとき「血圧を下げる」ことは確かに重要です。でも、それは決して「血圧を下げればいい」というだけではありません。本来は、脳卒中を減らすにはどうすべきか、心筋梗塞を減らすにはどうすべきかという課題の中で、高血圧が一つの要素として出てくるのですね。糖尿や喫煙習慣、肥満など様々な要因が組み合わさっている中で脳卒中などの合併症が出てしまうものなので、本来はすごく複雑です。医者の中には「薬を出して血圧を下げればいい」とだけ思っている人もいるのは確かで、でも、薬で血圧を下げればいいというだけではありません。
――薬を処方しない医者や薬剤師というような方々がいらっしゃいますが、薬を処方しないでいたら病気が進行してしまったというケースもあると思うんですね。
名郷:もちろんその責任は負わないといけません。ただ、そこまで厳しくする必要がないと思われるような状況で、厳しいことを言われて不安になることに対しても責任を負わなければいけないはずです。厳しく生活管理をされて、脳卒中や心筋梗塞が減ればいいのですが、実はデータを見ると本当にそれに見合った効果があるのか…ということもあります。薬を出す場合にも出さない場合にも医師として一人ひとりの患者と向き合い、その患者の人生に対して責任を負う覚悟が必要なんです。薬を出していれば責任をとる必要がないというのは、実は無責任というほかありません。
――名郷さんが医者として大事にしていることはなんですか?
名郷:よく勉強し、その勉強の結果を説明し、個々の患者さんに合わせて実際に利用すること。それに尽きますね。
――少し話は逸れますが、名郷さんが以前ツイッターで「風邪の診療に必要なのは、風邪の特効薬ではなく、風邪で休める世の中だと思う」とつぶやかれていたのを拝見して、その通りだなと。「健康になりたい!」とみんなが望むわりには、社会が健康体でいられるような環境を提供してくれないように感じています。労働も、食事も含めて。
名郷:これは本当にそうなんですよね。健康を損なうことが、社会からの排除につながるのが一番の問題です。例えばもしがんになったとしても、仕事をやめないといけなくなったり、寛解したら復帰できたりするような環境ができないといけないように思います。
――では、最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
名郷:生きる上で重要なことはたくさんありますが、健康が一番ではなく、重要なことの一つだと私は思っています。健康に気を使うあまり他の欲望を抑えつけすぎていては、楽しむことはできません。健康欲の支配から脱して、自分の生き方を考えてみるきっかけになれば幸いです。
(了)
1961年名古屋生まれ。自治医科大学卒業。愛知県作手村国民健康保険診療所に12年間勤務。2003年より公益社団法人地域医療振興協会で僻地医療専門医の育成に携わる。同法人の地域医療研修センター及び東京北社会保険病院臨床研修センターのセンター長を経て、2011年、東京・国分寺市に武蔵国分寺公園クリニックを開院、同院長。地域家庭医療センター長として、あらゆる健康問題に対処するプライマリ・ケアに従事。また、20年以上にわたりEBM(根拠に基づく医療)を実践している