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書籍情報

著者インタビュー

 世界のグローバル化は進む一方、しかしそれはその土地やその地域独特の価値観や考え方が薄まり、世界中が均質になっていくことを意味します。子どもを育てる親としては、自分の子どもに世界の舞台で活躍してほしいと願いつつ、日本人としてのアイデンティティもしっかりと持っていてほしいものですよね。
衣食住の神さまシリーズ』は、そんな「日本人らしさ」「日本人の価値観」の部分を子どもにわかりやすく教えることができる絵本シリーズです。今回はこのシリーズの作者で和作法講師の森日和さんにインタビュー。日本人としての心とアイデンティティについて語っていただきました。

― 『衣食住の神さまシリーズ』についてお話をうかがえればと思います。このシリーズは「日本のこころ」がテーマになっていますが、森さんが一番伝えたかったことはどんなことですか。

森: 社会の中で生きていくうえで大切なことは「役割分担」だと私は思っています。皆それぞれに役割を持って、足りない部分は互いに補い合うということです。皆で協力し補い合うためには、己を知ることで自分の役割を知るということが大切となります。特に国際化した社会においては、「世界の中で日本人の役割とは何なのか」ということに気づいていただきたいと思っています。そのためには、己を知ると同様に「日本人は何者なのか」を捉える必要があります。それを捉えるために「日本のこころ」が大切なのです。将来を担う子どもたちが誇りを持って国際社会で活躍していけるように、「日本のこころ」を伝えることができればいいなと思い、この絵本シリーズを作らせていただきました。

― 森さんが考える「日本人の役割」とはどういったものなのでしょうか?

森: 日本人の役割を知るには、日本の国柄や美徳が大切なのです。日本の文化は、たくさんの国の文化を受け容れ、醸成させてできあがったものです。そういう意味では外のものを拒んだりせず、受け容れて、調和を図るという「受容と調和」の文化は日本の国柄のひとつだと言えます。また、「八百万の神々」を奉るということは、どんなものに対しても畏敬と感謝の念を持つことで学びを得るという「日本のこころ」そのものなのです。現代の国際社会の中で、「日本のこころ」を以て受容と調和を図るということが日本人の役割と考えています。

― 絵本ということで子ども向けかと思いきや、読んでみると大人でも忘れてかけていることがたくさんありました。こちらについて、森さんはどのような想いをお持ちだったのでしょうか。

森: 私の講演会に来てくださる方は子育てをしているお母様方が多いのですが、講演を聴いてくださると、日本の伝統文化をもっと勉強して子どもたちに伝えていかなければならないとおっしゃいます。しかし、勉強したいという気持ちはあっても、家事があり、お子様も見なければなりませんし、仕事をされている方もいらっしゃいますから、何かを学ぶために家を空けることはなかなかできません。そのような声をうかがい、絵本であればお子様を寝かしつける時などに読み聞かせすることで、お母様もお子様も、日本の伝統や精神に息づく「日本のこころ」を学んでいただけるのではないかと考えました。こういったことは本来しきたりや型を通じて各家庭で伝えられてきたものです。今回絵本にすることによって、お母様の声でお子様に「日本のこころ」を伝えてほしいという想いがあります。それは、お子様が「お母さんは何でも知ってる」「お母さんはすごい」という関係性になることを望んでいるからです。このシリーズの別冊の小冊子はお母様向けの読本になっていて、それを読んで得た知識を絵本の補足としてお子様にお話しいただけたら、現代のお忙しいお母様がしきたりや型を各家庭で伝えることにつながっていくと考えます。

― 「たたみの神さま」も「ごはんの神さま」も、「八百万の神々」を信じる神道の考えに基づいているかと思いますが、この「神さま」を子どもはどのように理解するのでしょうか?

森: 子どもたちは大人よりもずっとシンプルに神様の存在を受け容れているようです。
目には見えないけれど、あたかもそこに人がいるかの如く捉えています。それは、私が幼かった頃の子どもたちと何ら変わっておりませず、今も、大人が話す「神さま」を、子どもたち各々のイメージをふくらませて見ています。見ていると言いましても、実際は子どもたちにも目には見えていません。イメージのなかに存在するだけです。目に見えなくて良いのです。子どもたちに目に見えないものを心の眼で見せて差し上げるということが大切なのです。

 行動や言葉にはしていないけれど、相手が想っていること、言わんとしていることを察して、酌んで、それを含めて「見たこと」「聞いたこと」であろうと想います。今の日本が目に見えたものや耳で聞こえたものだけを下に、「言った・言っていない」「聞いた・聞いていない」の世界になりつつあることを私は憂いています。なぜそのようになってきているのかと考えますと、その原因のひとつに日本人の「神様離れ」がある気がしてなりません。「神様」という目に見えない存在を心の眼で見ることと、言葉になっていない相手の気持ちを酌みとることはつながっているのです。

― なるほど。そういう意味では今おっしゃった「神様」や「ご先祖様」を意識することはある種の「大らかさ」につながるのかもしれませんね。

森: 目には見えないけれど、いつも誰かが見守ってくれていると想えますと、心強く、心にゆとりを持つことができます。また、陰徳を積むという行動にも結び付きます。昨今は神様ではなく、防犯カメラの「目」を気にする世の中になりつつあるように思います。そうしますと、防犯カメラに映らないから少しくらいなら道に外れることをしてもよいかなという考えに至る可能性があります。

 神さまは目には見えないからこそ、畏敬の心を育てます。親御さんのお言葉が子どもたちに届かない時期も、畏敬の心から、神さまの声なら届くということもあります。
子どもたちが道義を養ううえで、神さまはとても有難いご存在なのです。

― 「禮(いや)のこと教室」を設立して様々な場所で講演活動をされ、和作法を通じて日本の心を伝えている森さんですが、この世界に入ったきっかけはどんなことだったんですか?

森: 社会人となり、初めて就いた職務が秘書業務でした。私は短期大学を卒業したばかりで、一般的な社会人としてのマナーさえ心得ておりませんでした。しかし、秘書という仕事は当然ながら即戦力としてマナーの知識が求められます。先輩や周りの方にご迷惑をおかけしてはならないという想いから、すぐに、終業後に通うことができる西洋式マナーの学校に通い始めました。勉強を始めてまもなく、当時、経営者としてとても尊敬し、お世話になっておりました女性より、「マナーを勉強するなら日本のお作法がいいわよ」とご助言をいただきました。そうして出逢いましたのが、700年余り続く礼儀作法の流派でございました。

― 仕事上の必要からマナーを学び始めて師範にまでなるとはすごいですね。

森: 入門しました時は、最低限の知識を得させていただきたいという程度の想いでございました。しかし、すぐにその流儀の深さに圧倒され、最低限の心得さえ険しい道だということに気付かされました。例えば、質問をさせていただく時のことですが、質問は受講生であれば、講師に対して与えられている権利とお思いではないでしょうか。おそらく門弟として学ばせていただく世界では共通と存じますが、質問は、師匠に対して行使できる権利ではなかったのです。そういう価値観が、質問させていただけることへの感謝を忘れさせず、教えていただいた学びは尊いものとして自分の心にしっかりと刻まれます。質問の仕方も、相手を困らせたり、恥をかかせないような質問の仕方、できますれば、相手がより一層輝くような質問をするようにいたします。どんな時でも相手や周囲に心を配って言葉を発するということを教えていただきました。
 修業の時を経るほど自分の至らなさに気づかされ、まだまだ、まだまだと思っているうちに師範の資格をいただいておりました。今もそうですが、当時はなおさら、決して師範の資格条件を満たす私ではなかったと想います。資格を与えた恩師の想いはおそらく、「資格に値するあなたとなりなさい」という励ましであったのではないかと想います。

― そこまでの気遣い、心配りは確かに日本特有のものかもしれません。

森: 先日ある日本の精神文化に詳しいアメリカの方にこのような質問をされました。「リンゴが3個欲しい時、八百屋さんに何と言いますか?」と。私は3つ欲しいのだから、「リンゴを3つください、でしょうか。」と答えました。それを聞いて、そのアメリカの方は「あなたは日本人ではない」とおっしゃったのです。「日本人ならリンゴが3つ欲しい時に、“3つください”とは言いません。“3つほどください”と言うはずです。」とおっしゃいました。どういうことかと尋ねますと、“3つください”と言うと、もし八百屋さんにリンゴが3つなければ、八百屋さんに恥をかかせてしまうことになります。“3つほど”とあいまいな個数にしておけば、たとえリンゴが2つしかなくても八百屋さんに恥をかかせずに済む、という理由でした。

 昨今は、日本でも、「Yes、Noをはっきり言わないといけない」という海外の考え方が浸透しているからか、このような相手を想うあいまいさは失われつつあります。海外の方と話すときは相手の価値観に合わせることが大切だと想いますが、こういう日本人らしいおもいやりも大切に受け継いでまいりたいものです。

― しかし、その場に応じて態度を切り替えるのはかなり難しいことではないでしょうか。

森: 元来日本人は、場を汲み、場に応じて最適な自分で居住まうことが得意だったようです。それは日本語の文章の構成によく表れていて、日本語の主語があいまいだと言われるのは、日本人が時々に応じていろいろな人・物・事からの目線で物事を捉るため、一文であっても主語がさまざまに変化する為なのです。たとえば、英語と比べるとその違いはわかりやすく、英語の場合はYouが主語なら「あなた」の目線で見たことしか話しませんし、Iが主語なら「私」の目線で見たことのみを話します。日本人は、いくつもの物差しを持ち合わせます。物差しとは、価値観のことです。人はそれぞれの価値観という物差しで状況(情況)の解釈・状況(情況)判断をしています。物差しをひとつしか持ち合わせていなければ、その物差しで測ることができない事象は規定外となります。日本人の場合は、物差しをたくさん持ち合わせることから、人や事物を規定外にすることはありません。異なる価値観を受け容れることが得意なのです。このような能力のように、日本人に古くから具えられていて、日本人が得意なことがたくさんあり、それを知り、社会生活、特に国際化された社会に於いて存分に発揮していただきたいという想いもこの度の絵本には込めております。

― 最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いいたします。

森: しきたりに意味なく残っているものはありません。日本の伝統やしきたり、それに付随する型には「今を生き抜くための知恵」が残されています。ご先祖様たちが後進の私たちを想い、残して下さっている「知恵」に、このシリーズを通して改めて触れていただけましたらと願っております。

(新刊JP編集部)