対談特集 働き方 最先端のビジネス戦略を考える小玉 歩氏と対談者にとっての働くとは

■対談PROFILE
中谷彰宏 氏画像

中谷彰宏なかたに・あきひろ

1959年大阪府生まれ、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。
84年、博報堂に入社し、CMプランナーを務める。91年、独立、(株)中谷彰宏事務所を設立。著書は、『なぜあの人は人前で話すのがうまいのか』『なぜあの人は整理がうまいのか』(ダイヤモンド社)など、800冊を超す。「中谷塾」を主宰し、全国で、セミナー・ワークショップ活動を展開。2008年からは自社でも、「中谷塾」ブランドの書籍を刊行している。公式サイト:http://www.an-web.com/

中谷彰宏氏

対談特集

■しんどい時、つらい時が成長のタイミング
中谷
「本を読みました。面白かった。小玉さんが本で書いていたけど、僕も異業種交流会とかパーティ事は嫌いなのよ。だって、行ってもおもしろい話はないよね。ああいう場に行けばチャンスをつかめるんじゃないかっていうのがそもそも幻想で、みんなまずはその幻想から抜け出さないといけない」
インタビュー画像、小玉歩さんの画像
小玉
「ありがとうございます。結局、何も持っていない人が、何か持っている人を探しに来ているという図式ですからね」
中谷
「合コンの理屈と一緒だよね。合コンにいい人が来ることはまれで、旅行に行ったり習い事をする方が、出会いはあるよね」
小玉
「まあ、パーティも一回行ってみるという意味では、こういうものだと勉強になるかもしれません。中谷さんの本の中にも“一次会で帰るのも人間力”というのがあったと思うんですけど、僕もそういうことを本の中で言っているので、間違っていなかったなと思いました」
中谷
「最後までいれば、何も考えなくてすむ。 ところが、早く帰るとなると、嫌われないためにも後のフォローを学んでおかないといけない。その方が難易度が高い」
小玉
「今日は、“働き方”というテーマでお話させていただこうと思います」
中谷
「この間、起業家になりたい人たちが集まる研修に行ったんです。それで僕がリーダーシップについて話したんだけど、一人の人が質問をして“混乱しています”と。僕は“じゃあ混乱しよう”と言った。混乱しなきゃダメなんです。 混乱したら考えなくちゃならない。混乱があるから、考えられるチャンスがある」
小玉
「その起業したい若い方は何に混乱していたんですか?」
中谷
「同じやり方でやってもやっぱりダメで、逆をやらないとうまくいかない。 ペットボトルの蓋が開かないって言っているのは、回す向きが逆なんだね。それ以上力を入れても、バキッと割れるだけだから、逆に回さないといけない。これがわからないのが混乱しているということで、過去の自分にしがみついているから起こる現象なんだね。みんなと同じところで答えを探しても見つからない」
小玉
「今までと違う概念に出会った時に混乱したり、理解が出来ない。でも中谷さんの本にも書かれていますけど、しんどいとか辛いとか思った時が成長のタイミングですよね」
中谷
「今までの発想で解決できなかったり、今までの仕組みでうまくいかなくなった時は、進化する瞬間です。起業ができる人たちというのは、高い理想を掲げて今の自分とその理想との距離をどんどん広げることによって、そこに到達する力を引き出せるんです。今の自分とのギャップを楽しめるというのが本来の起業家なんだね。だから新しい考えや概念に出会っても拒絶せずに受け入れないといけない」
小玉
「中谷さんも、以前は会社に勤められて、それから独立されたじゃないですか。その時にどういう心の動きがあったのか、非常に興味があります」
中谷
「僕は入社したての頃から、早く辞めたい、辞めたいと言っていました。もう組織には向かないから、辞めたい、辞めたいって」
小玉
「でも、入社する時にはやりたいことがあって入社されたわけですよね」
中谷
「僕はもともと映画監督になりたいと思っていたんですよ。ただ、当時はチャンスがなくて、日活ロマンポルノでバイトをしていた。その時に、専務が、『俺が東京で助監督として採用するから』と言ってくれたの。
当時は助監督で入ると最初は映画館の支配人をやらされる。ポルノ映画館の支配人だよ。直営映画館は全国にあるから、地方に行ってしまうと地元の名士の娘なんかと仲良くなっちゃって、戻ってくる気持ちがなくなってしまう。特別に東京で働かせてくれることになった。
でも、僕はバイトしていたから、ポルノ映画館の状況はわかっていた」
小玉
「僕は、行ったことがないです。どういう状況なんですか?」
中谷
「当時は、おっちゃんが平気で一人でしているからね、映画見ながら。トイレじゃなく席でやってるの。もちろん掃除をするのは従業員。そんな場所だったんだけど、それを我慢して、映画会社で助監督から監督になった人が出た。でも42歳ですよ。42歳まで待つのかと思ってね。大学生からしたら、42歳ってものすごく遠い。
当時、スピルバーグが出てきた時代だったんだけど、彼やジョージ・ルーカスは20代で監督になっている。それを目指そうと思っていたから、とてもじゃないけど42歳まで待てなかった。
じゃあ他の道はないかということで見ると、当時一番活性化していたのは広告業界で、コマーシャルをたくさん流している。そういうコマーシャルの撮影で演出をやりながら、いずれは監督になると。これだなと思ってそういう撮影ができる会社ということで広告代理店に入ったわけなんだけど、実際にやっている仕事はとてつもなく泥臭い仕事だった。そこで20代を過ごしたんだけど、刑務所だったね。でも、今思うと最高の刑務所だと思っていて、そこで生きていくためのサバイバル術が身についた」
■待っている人のところにチャンスは来ない
小玉
「中谷さんも、最終的には組織が合わないなということで会社を辞められたと思うんですけど、退職された時のエピソードはありますか?」
中谷
「サラリーマン時代の最後の方は、もう自分の本を出していた。テレビでレギュラー番組も何本も持っていた。比較的自由だと思われている広告代理店にしても、副業に対しては厳しいんだね。年中呼び出しを食らってたから。
いつも広報から呼び出された。
その当時の上司がいい人でね、お前は“二足のわらじ”で行けと言ってくれた。俺もそうするから、と。でもその人は社内遊泳術がなくて、飛ばされてしまった。
次に来た上司は全く別のタイプで、はっきりしていた。“俺とお前は上司と部下ではない。お前は俺の奴隷だ”と、こういうタイプ。“奴隷になるのが嫌だったら、クビを選べ”と、そういう風に言われた。僕は“王様の奴隷ならいいけど、奴隷の奴隷は嫌だからクビにしてください”と言って、それでクビになった。
つまり、上に中途半端に“いい人”がいると、逆に自由になれないっていうことなんだね」
小玉
「それで独立されたわけですね。独立して一人で食べていくっていうことだと、今はインターネットがありますし、中谷さんが独立された頃よりは簡単になっている気がしますね。僕自身その恩恵を受けていますし。」
中谷
インタビュー画像、中谷彰宏さんの画像
「僕らの頃は、会社を作ろうと思ったら1000万円必要だったからね。アメリカは2ドルでよかったのに。28歳くらいの時にそれを知って、これはかなわないなと思った。
当時から、向こうでは大学生がみんな会社を作ってる。USCの連中もそうだし、美術の専門学校の学生だってそう。たとえば美大の学生なんかは、最初は自分でデザインしたTシャツを売るところから始める。そこからのし上がっていくんだね。
当時僕はロサンゼルスで仕事することが多かったから、現地でそういうのを見ていて、アメリカはチャンスの国なんだなと思った。チャンスは待っている人に与えられるのではなくて、アグレッシブに動いている人のところにくる」
小玉
「風か吹くのを待つんではなく、自分でスカートをめくってしまえ、というの中谷さんの本にあったじゃないですか。そういうことですよね」
中谷
「つまり、条件がそろうまで待つなっていうことだよね」
小玉
「それと似た話で“ただいま起業準備中です”という方、結構いませんか?」
中谷
「名刺に書いてある人がいますよね」
小玉
「その人は、永久に準備をしているのでしょうね」
中谷
「ハリウッドでヘアメイクをやりたいので、今日本で勉強しています、お金をためています、なんて言う人は、毎日1万人やって来る列の後ろにが並ぶっていうことがわかってない。
とりあえずアメリカに行って列に並んで、それから考えればいいのに、並ばないでどうすると。
例えばすごく混んでいるお店に行ったとして、僕ならどうするかというと、知り合いが来ているかもしれないと言って、とりあえず中に入れてもらって、グルッと一周します。本当に知り合いがいたら合流してしまえばいい。いなかった時は、また来ますと言って別の店に行く」
小玉
「なかなか行動を起こせないというのは日本人の気質なのでしょうか」
中谷
「最初に立てた予定通りに進めたいというのはあるんだろうけどね。
僕の出身は堺で、南蛮貿易の地なんです。昔、種子島に鉄砲が伝わった頃、その鉄砲が堺まで届けられて、刀鍛冶の職人が“何だこれ、自分でもやってみよう”と。そして、種子島に鉄砲が伝わった2年後の1545年にはもう国産の銃を作ってしまった。これはすごいよね。
そういう刀鍛冶の職人は、江戸時代になって銃が出回らなくなったら、今度は天体望遠鏡を作るようになった。明治時代になって自転車が日本に入ってくると、ぶつかって曲がったスポークを直すようになった。はじめて見るものだからちゃんとできるかわからないわけです。それでも職人は頼まれたら引き受けてしまう。実際、宮田工業は元々は鉄砲鍛冶ですよ。
よく、起業を目指す人たちが、何をやりたいかが見つからないと言うけどね、職人の人はそういうのとは正反対だよね。何をやりたいとかはなくて、来た仕事は何でもやるっていう」
小玉
「中谷さんの本で、『面接の達人』という、就職活動をしている学生に向けた本がありますけど、学生に対してはどのように考えますか?“とりあえず就職しろ”というスタンスなのでしょうか」
中谷
「好きなことをやるというのは大前提なんだけど、世の中の仕組みはこうなっているんだというのが一回分かると、もっと好きなことができる。
それと、日本の会社っていうのは、理不尽なことに対する耐性ができるし、自由のありがたみがわかる。そういう意味では、会社に入るというのはいいこともあると思う」
小玉
「サラリーマン生活に不満を感じながらも長い間がんばった人って、意外と独立した後に一気に成功するイメージがあります」
中谷
「一回エネルギーをため込んでいるから。だから、巌窟王が無実の罪で牢獄に閉じ込められたというような体験をしておくと、後で効いてくる。 ただ、あまりサラリーマンになじみすぎてもいけない」
小玉
「最後にまとめの言葉をいただいてもいいですか?」
中谷
「キーワードとしたら、“味わい尽くす”ということですね。面白い仕事、面白くない仕事と区別しないで、全て味わい尽くすという」
小玉
「僕は、目覚まし時計で起きて行く仕事は良くない。そうやって強制的に起きて行かざるを得ない仕事は良くないと思っています。でも、サラリーマンの8割、9割がそうだと思うんですよ。その状況すらも、味わい尽くすことによって学ぶこともあるし、その先もあるというのは、僕の中で今日、一番に得たものですね」
インタビュー画像、小玉歩さん×中谷彰宏さんの画像