私の人生観を決定づけた悲しい記憶
強く生きたい――そう思い始めたのは、いつの日からでしょうか。
そんなことを考えるとき、いつも私の胸によみがえってくる悲しい記憶があります。
私は十歳のとき、最愛の母を病気で亡くしました。まだ三十六歳という若さでした。幼い子どもを残して、三十代半ばで生を閉じなくてはならない母の無念はどれほどだったでしょう。私も、自分が死んでもこれほどつらくはないだろうと思えるような、体がちぎれんばかりの悲痛を味わいました。
その体験、その記憶はどこか決定的なもので、以来、私は人は必ず死ぬ。人間の時間は有限であり、しかも、その生命の終焉は自分が考えるよりもはるかに間近にあるものだという死生観を、否定しようとしても否定しきれない強い実感として、心の底に植えつけられてしまったのです。
だから、私はムダな時間は一分たりとも使いたくないと考えています。自分の意識が届かない時間を過ごすことを自分に禁じてもいる。ですから、ボーッとするときでも、意識的に「いまから一分間は何も考えずぼんやり過ごそう」と考えるほどです。
できることなら、人が十年でやることを一年でやり、人の十倍人生を「濃く」したいと思ってもいます。
そんな私にとって、人生は「一円玉の詰まったガラス容器」としてイメージされます。
そのガラス容器は大きな砂時計の形をしています。中にはぎっしり一円玉が詰まっていて、私たちが一日生きるごとに一枚ずつ下へ落ちていきます。一円玉の数は人生の全日数分、すなわち、ほぼ三万枚です。
しかし、そのなかに一枚だけ金色の一円玉が混じっていて、その金色の一円玉が落ちた途端、残りすべての一円玉も一気に落ちてしまう。つまり、それが死です。
金色の一円玉がいつ下へ落ちるかは、神のみぞ知るで、わかりません。それが最後まで残る保証もどこにもない。むしろ、途中で落ちてしまう(寿命をまっとうすることなく死んでいく)ケースのほうがずっと多い。それは三十年先のことかもしれないが、明日のことかもしれない----。
私には、人間の生がそれほどはかなく、死はそれほど確固としたものに感じられるのです。その事実を悲観的にとらえれば、人生のすべては死に至る過程であり、今日を生きることは死に一歩近づくことでしかないということになるでしょう。
しかし、誰の命も有限であり、明日を確約された人間など誰一人としていない、誰にも必ず----予想したよりも早く----明日が来ない日が訪れる。この非情な事実を前提として、だからこそ、その砂漠の水の一滴一滴のように尊い一日一日を完全燃焼、完全納得しながら生きていかなくてはならないと思うのです。
ムダや隙間を排して、隙間や余白を残さず、みっしりと中身の詰まった密度の高い一日を生き切る、一日一生の生き方を心がけること。それは、この世に生を与えられた生き物の義務であるとさえ、私には思えます。
今日がもう一日あろうとも同じ過ごし方をする
人生が二度あれば、最初は下書き、二度目は清書と言った人がいます。しかしもし、明日に今日と同じ日が用意されていたとしても、私は迷うことなく、今日と同じ過ごし方をしたいと考えています。
たとえ今日が昨日とまったく同じくり返しであっても、それで一片の後悔もなければ、一行の余白も残らない。つけ加えることもなければ、やり直したいこともない。思考も行動も態度も、何一つ変える必要を感じない。
そんな中身の濃い一日を一つひとつ積み重ねていく確固たる生き方を、私はいつも自分に課したいのです。
私は、「一日とはすなわち一生のことだ」と思っています。
今日は長い人生のうちのたった一日にすぎない、そう考える人は少なくないでしょう。人生八十年として、ほぼ三万日。今日一日はたかが人生の三万分の一にすぎないではないか、と。
しかし、あらゆる一日は人生の凝縮です。なぜなら、一つでもピースが欠ければパズル全体が決して完成しないように、雑な下書きから素晴らしい清書が生まれることはないように、一日をおろそかにする人に、人生をきちんと生き切ることはできないからです。
だから、あたかも全生涯を生きるように今日一日に全力を尽くす。今日が人生最後の日だと思って、その一日を悔いも余りもなく、濃密に「生き切る」。それが人生をより豊かに、より深くするために大切になってくるのです。
一日一生と考えれば、どんな小さな行為も重大事になってきます(逆に、どんな重大事もささいなことに過ぎないともいえる)。掃除をしているときでも、たかが掃除とは思わず、箒で掃き、雑巾で拭く、その行為に意識を集中し、自分の全体重を乗せることが重要になってくる。
一日一生においては、一日の些事はそのまま人生の大事に直結していくのです。したがって、掃除と思うな、人生と思え。仕事と思うな、人生と思え。そのように、長い一生を短い一日に詰め込むような濃密な思いで、私は時間を積み重ねていきたいと考えています。
そうして、やがて人生が終わる日が訪れても、やはり昨日まで植えていたのと同じ木を、昨日とまったく変わらない心持ちと手つきで植えたい----そのことは、私の大きな望みである以上に、私の人生を根っこで支える、揺るぎない生き方の基軸でもあるのです。
人生三万日。それらはすべて異なる日から構成されています。
今日は昨日の続きではあっても、昨日と同じ日ではありません。全部で三万日もあるのに、今日というこの日は後にも先にもたった一度きりで、二度とめぐってくることはありません。あらゆる一日はかけがえのない、他の日では代替のきかない尊い一日なのです。
その大切で貴重な一日をムダに過ごさないためにも、一日一生の心がまえで生きることが必要になってきます。100の力ですむことにも120の力を注いで、夜、寝るときには「このまま死んでも悔いはない」と思えるほど完全燃焼する。
一日一生の心がまえが、今日をこのうえなく充実させると同時に、明日にまた、まったく新しい一日を生んでくれるのです。
その店から夢との追いかけっこが始まった
十歳のときに母を病気で亡くしたことはすでに述べました。さらにその半年後、父が経営していた会社を清算することになったのです。私はそのとき「社長になろう、社長になって母を喜ばせ、父の果たせなかった夢を代わりにかなえてやろう」と決意しました。
その幼すぎる「志」が、人生最初の夢の始まりでした。第二の立志は大学時代です。
世界をめぐる貧乏旅行からの帰途、ニューヨークのあるライブハウスにふらりと立ち寄ったときのこと。その店の醸し出す、何ともいえない親和的な空気に私は深く魅入られてしまいました。
心地よい音楽が流れるなか、お客たちがほろ酔い加減でおしゃべりや踊りを愉しんでいます。黒人と白人の客がともに語らいながらジョッキを空にしているかと思えば、ダンスフロアでは白髪の初老の男性客が娘ほど若い女性客と踊っている。
酒と食事と音楽、人びとの愉快そうな笑顔や笑い声。みんなが国籍や人種や年齢を超えて分け隔てなく楽しんでいる、陽気で温かい満ち足りた空気。その店には「幸福感」が充満していました。
こういう店を持ち、こういう雰囲気を演出して、多くの人たちの楽しみや喜びに寄与できたらどんなにいいだろう----私は鳥肌の立つような思いで店内をながめ、そこに自分の一生を注ぎ込むのに足る夢を見出した気がしました。
その熱い思いを発端として、私と夢の長い追いかけっこが始まったのです。
夢を夢のままで終わらせまい、何としても現実のものにしたいと追いかける。何とか追いついたと思ったときには、また別の夢、それ以上の新しい夢が現れて、さらにそれをキャッチアップすべく走り出す。
自分の夢にそそのかされるようにして、おそらくは死ぬまで終わることのない“永久運動”が始まったのです。
むろん、すべては素手からの出発でした。夢以外には、何一つ持っているものはありません。資金も乏しければ、飲食店で半年間の修行をしただけで外食のノウハウもありませんでした。
それでも創業当時、私は店が終わると生ビールを片手に、スタッフ相手にこんなことを飽くことなく、くり返し話しかけたものです。
「来年にはもう二店舗出店する。十年後には必ず公開企業になる。お客さまに酒や食事だけでなく、感動を与えられるような店を全国に広げたいんだ」
当時の状況からすれば、ホラやはったりでしかない夢でしたが、私はその思いをいくら語っても語り足りない気がしていました。私には夢しか売り物がなかったが、夢だけは売るほどあった。むろん、夢を人に語りながら自分を鼓舞してもいました。
夢を追う、その道筋も平坦なものではありませんでした。けれども、もうダメかと思えるような困難に出会っても、私はふしぎなくらいめげませんでした。
「そうだよな。最初からそんなにうまくいくはずがない。誰だって、こうやって辛酸をなめながら大きくなっていくんだ」「この失敗は絶対、成功の肥やしになる失敗だ、悪いことが呼び水になって、次にいいことが起こるんだ」。
そんなふうに、いつも前向きに考えて、めげるどころか、失敗から力を得るようにして困難を乗り越えてきたのです。それもすぐ前方に、あるいは彼方に、いつも夢の灯台があったから可能だったことでした。
まさに夢に導かれ、夢に励まされながら、私は自分の人生を構築してきたのです。その過程でさまざまな苦楽を味わい、そのことによって人間を磨くこともできました。生きる力、生きる術、生きる糧、みんな夢が紡いでくれたのです。
夢を追うプロセスで人は成長し、心を磨き、その人間性を高めていく。夢を追うことは人生そのもの----そのことを私は身をもって体験してきたのです。
なすべき仕事をすれば夢は半ばにして成就する
生きているかぎり、夢を追い続けよ――私は社員にくりかえしそう語り、またこれまでの著書でもその重要性を再三、強調してきました。
しかし、追い続ける限り、けっして果たせないのもまた夢です。
たとえば「最後の夢」。
人の生には限りがあり、私たちの命はある日、この世から断ち切られます。だから、それまでどれほど多くの夢を現実にしてきた人間も、最後に抱いた夢だけはけっしてかなえることができません。
私たちはみんな、夢半ばの途上で金色の一円玉の落ちる音を聞くことになるのです。いいかえれば、人生とはついに未完成のものなのです。
では、未完成の人生は不幸なのか?
老いた農夫が畑にリンゴの種を蒔いた。彼の命は、種が芽を出し、幹を伸ばし、枝を広げて、実の成る前に尽きてしまうだろう。彼はみずからが育てた果実を味わうことなくこの世を去っていく運命にある。
この老農夫の人生は不幸なのでしょうか。彼は夢の途中、志半ばで無念にも死んでいくのか。そうではないはずです。
老農夫は、彼がすべき毎日の仕事を、その日もまたいつもと変わらず、誠実にこなした。種を蒔くという、ささやかで地味な行為を疑うことなく、疎んじることなく、先延ばしすることなく、淡々と果たした。
であれば、その人生は十分に満ち足りたもの、大いに報われたものと考えるべきです。なるほど、自分の行為の最終結果を見られないという点で、彼の夢は半ばであり、その人生は未完成といえるかもしれません。
しかし、それでも彼はなすべきことをした。最善を尽くして、その日一日をまっとうした。そのこと自体が、彼の一生における成功や完成、あるいは充実や幸福を担保するのだと思います。
その手に実を得られないことはよく承知していながら、必要な種を蒔く。事の成否は天の意思にまかせて、なすべき人事を尽くす。よりわかりやすい言葉で言えば、結果は二の次で、プロセスに全力を傾注する。
そうした日々を積み重ねたとき、私たちの人生は「未完成のまま完成する」のではないでしょうか。夢半ばのまま、夢は成就するのではないでしょうか。
夢をかなえることよりも大切なのは、夢に向かって、倦むことなく今日も一粒、二粒の種を蒔くことです。夢を追い続ける限り、夢は必ず途切れる。そうと知りながら、それでもなお夢を追い求めることです。
その見果てぬ長いプロセスこそが、人生そのものであり、幸福の分母ともなるのです。
夢を追うことの意義や価値の重さに比べたら、その夢がかなうことは「単なる結果」にすぎません。
人は夢を追うことで成長できる
夢をかなえるよりも、夢を追うことのほうが大切なのは、その過程で、私たちの「人間性を高める」ことが可能になるからです。
何でもいいから、一つの夢や目標を描く。それを何とか現実のものにしたい。そう思ったら、私たちは否でも応でも努力というものをしなくてはなりません。どんな小さな夢でも、それを達成するには多かれ少なかれ、苦労や辛抱、がんばることやがまんすることが必要になってきます。
むろん途中で、さまざまな壁にもぶち当たります。もうダメかとあきらめかけることもある。しかし、ここでくじけたら、また振り出しに戻るだけだと自分を叱咤激励して、一つひとつ困難を乗り越えていく。
そうして一つ目標をクリアしても、ほんとうに目指すべき峰はまだはるか高いところにある。だから現状に満足せず、しばしの休息を自分に許した後に、再びさらなる高みに向けて歩き出す。
夢を手にするためには、多少の差はあれ、誰もがこうしたつらく苦しい過程を経ることを余儀なくされるものです。
けれども、その過程で知らず知らずのうちに、あたかも辛苦への報酬のように一つの大きな成果を得ることもできる。それが「人間が磨かれる」ということです。努力の前と後で、いつのまにか自分が成長していた、能力ばかりでなく、人間としての器量も一段向上していた----そういうことが可能になるのです。
私は、夢を追うことのほんとうの意味はそこにあると思っています。すなわち、夢への道筋を歩むプロセスのなかで自分という人間を磨くこと、おのれの人間性を高めることです。別の言い方をすれば、人生最大で最終の目的、それは人間性を高めることであり、夢とはいわば、そのための手段にすぎません。
したがってもし、夢はかなったけれども、少しも心が成長していない。そんなケースがあったとするなら、それはその夢が間違った方向に設定されたか、さもなくば、その人の心のありようが正しくなかったということになるでしょう。
いずれにせよ、私たちは心を高め、人間を磨くためにこそ、夢を必要とするのです。このことはまた、「人は何のために生きるのか」という難問への私なりの解答にもなっているはずです。
人はなぜ生きるのか。人生の意味は何か。それは人間性を高めるためであり、夢を描くこと、夢を追うことはそのための最良の手段であるということです。
いまの社会には、無力感や嘲笑癖がはびこっていて、夢の大切さや人間の生き方を正面から論じることをさげすんだり、敬遠する風潮があるようです。
では、そういう人が確固とした生き方の土台を築いているかといえば、けっしてそうではありません。働いて、稼いで、死んでいく、ただそれだけの人生でいいのか? 満腹は得られるが、けっして満足を得られない、そんな日々が死ぬまで続くのか? 多くの人がそんなふうに生き方に迷っています。
ワタミに入社を希望してくる若い人も例外ではありません。彼らは「何になりたいか」「何をしたいか」についてはうるさいくらい主張するのに、「どう生きるか」「何のために働くのか」といった根源的な問いかけを、まっすぐ自分の胸に突きつけることからは逃げている人が多いように見えます。
だから、利口ではあっても生きる重心が高く、世間知に長けてはいても全体重をかけた夢に乏しい。その生き方はどこか軽量で希薄です。
この本で私は、本気で夢を見ることの意義や、愚直に壁に体当たりすることの価値を臆することなく、正面から説きたいと考えています。
なぜなら、くり返しになりますが、それが私たちの心を高め、人間を深めるための、あるいは、人生を幸福に導き、確固とした生き方を可能にするための----迂遠に見えながら----もっとも効果的で、かつ最良の方法だと信じるからです。
強さとは「変わらないもの」をもつこと
強い生き方をするといったとき、その「強い」とはどういうことでしょうか。負けないこと、自分に厳しいこと、思い切りがいいこと、くじけないこと、ひるまないこと、ためらわないこと、動かないこと、いさぎよいこと----さまざまありますが、私にとって、「強い」の第一イメージは「変わらない」ことです。
たとえば継続は力なりで、小さなことや当たり前のことでも、それを倦むことなく続ける。その「変わらなさ」に強さの源泉があるのです。
あるいは、いつも変わらない態度や物腰で人やものごとに接することができる。そういう人から、私はもっとも啓蒙されるし、ときには静かな威圧感のようなものさえ感じます。
自分が人を選ぶときの最大の基準も、この「変わらなさ」です。社員でも、調子のいいときには目の覚めるような質の高い仕事をするが、気の乗らないときには、まったく評価の対象にもならない。
そんな起伏の大きな人材よりも、どんなときにも七十点、八十点を取ってくれる安定感のある人材を私は買います。調子の波を自分でコントロールできて、失敗したり迷ったら、そこへ帰って再度やり直せる、自分なりの基準やベースを自分の中にきちんと構築している人。
そういう人が強い人であり、プロや一流の条件であると思います。だから、「あの人はいつ会っても変わらないね」というのは、私にとって最大のほめ言葉です。そこに「誰と会っても変わらない」が加われば、それはもう人間の理想形に近づきます。
また、変わらなさとは静かさのことでもあります。ほんとうに強い人は例外なく静かです。落ち着いていて、穏やかで、軽々しい安請け合いもしなければ、仰々しい自己主張もしません。
「静かに、健やかに、遠くまで行く」
誰の言葉かは知りませんが、いつからか私が自分の中でひそかに大切にしている言葉です。静かにゆっくりと、驕ることなく、おもねることもなく、あせらず、くさらず、前向きに明るく行く人が、もっとも遠くまで行ける「強い」人なのです。
問題は、どうしたら静かで強い人間になれるかですが、まずは、他人と自分を比較しないことが大切になってくるでしょう。
「きみは背が高いね、クラスで何番目?」。こういう相対的な比較を欧米ではほとんどしないそうです。しかし日本人は、彼より自分のほうが成績がいい、あいつよりおれのほうが仕事ができるといった相対比較に非常に熱心であり、それに振り回されることも多い。
いくら人と自分を比べてみても背は伸びません。人間の器量が大きくなることもありません。誰と比較しても、どうおのれを装ってみても、自分は自分以上ではなく、自分以下でもないのです。
だから比べるのなら、「昨日の自分」と比べるべきです。つまり自分自身が相対的にではなく、絶対的に成長することが何よりも大事なのです。
人生の運動会においては、他人との競争で一等になることより、凡事を重ねることによって少しずつパーソナルベストを更新し続けられる人。そういう人がほんとうに強い人であり、また最後に勝利をつかむ人でもあるのです。
一枚一枚の伝票にお客さまの顔が見える
「静かで強い」人間になるために必要なことのもう一つは、小さな事を着実に積み重ねること。些事を愛し、凡事を続けられるかどうかで、その人の「強さ」は決まってきます。一つのことを本気でやり通すことによって、人間としての力は鍛えられるのです。
ワタミの創業期、私がまだ店長として現場を切り盛りしていた時代のこと。営業を終えた明け方近くに、私はその日の売り上げ伝票を一枚ずつ確認するのを日課としていました。
いまのオーダーエントリーシステムとは違って、当時は、複写式の伝票を使用していました。一日の伝票数は百枚くらいだったでしょうか。それをすべて、一枚一枚見直しながら、その日の営業内容を仔細に振り返っていくのです。
「ああ、このお客さんは今日疲れていたみたいだったな。冗談の一つも言って、元気づけてあげればよかったかな」
「このお客さまは、後から一名様が合流した。そのとき、アルバイトの○○くんが追加のお通しを出し忘れてしまったんだ。明日は一番で、ホールマニュアルを確認してもらおう」
「これは初めてボトルを入れてくれたお客さまだ。嬉しくて、ラベルに書かれた名前でお呼びしたら、びっくりなさっていたけれど、どことなく嬉しそうだったっけ。これからはお客さまを名前で呼ぶことにしよう。ボトルだけじゃなく、コートをお預かりしたときなどにも、名前がそれとなくわかるときがある。わかる限りで、それぞれの特徴も含めた名簿をつくって、スタッフのみんなにも覚えてもらおう」
「このお客さまには、店が混んできたときに席の移動をお願いしたら、『ああ、いいよ』と気持ちよく承知していただいた。今度、来店されたときには真っ先に、もう一度お礼を言おう。そうだ、忘れないように、レジの横に『△△さんへ、ありがとう』とメモしておこう」
そんなふうに、一枚ずつていねいに伝票を繰り、お客さまの顔や様子を一人ひとり思い浮かべながら、それぞれの接遇方法や態度を省みて、よかったものには○、可もなく不可もなかった場合には△を、反省が必要なものには×をつけていきました。
お客さまがお帰りになるときは、私は必ず出口の階段のところまで見送るようにしていました。そのとき目が合って、「ごちそうさん、また来るよ」と言ってくれたり、後ろ向きのままでも、手をあげてあいさつを返してくれれば、こんな嬉しいことはありません
しかし、なかには目を合わせず、背中を向けて、無言のまま階段を下っていってしまうお客さまもいました。そんなときは「何か落ち度があったのかな」「もう来てくれないかもしれないな」と、ひどく落ち込んだものです。
注文品の間違いや提供の遅れのクレームにうまく対処できないで、お客さまを怒らせてしまったときなどは、悔しくて悔しくて、家に帰ってからも、なかなか寝つけなかったものでした。翌日、ひょっとして、そのお客さまが歩いていないだろうかとキョロキョロ探しながら店のある商店街を行ったり来たりしたこともあります。
売り上げ伝票は、そんな接客商売における喜怒哀楽の鏡のようなものでした。それは商売の実績を如実に映し出すのと同時に、改善すべき項目の宝庫でもあります。さらに、一時とはいえ、どれだけお客さまと触れ合い、お客さまの楽しい時間に寄与できたか。そのコミュニケーションの深度を計測する指標のようなものでもありました。
私は一枚一枚、毎日それをめくりながら、おおげさでなく、「伝票の向こうにお客さまがいる」ことを実感していました。そして、お客さまの心や人生の一端に確かに触れているような思いも抱いていたのです。
何か大きなものに道具として生かされている
それはおそらく、当時の居酒屋の接客サービスのレベルを超えたものだったのでしょうが、そうすることで私はお客さまと触れ合い、心を通わせる喜びを体の深いところで何度も味わったものです。
お客さまのほうも、「おまえのおかげで楽しい時間が過ごせたよ」「今夜もおまえに会いに来たぞ」などと声をかけてくれる方が多かったものです。そんな会話が交わされる居酒屋も、たぶん当時はほかになかったでしょう。
私は過去を振り返ることをほとんどしませんが、あの店長時代は私のもっとも充実していた時期の一つで、その後の事業の原型を成すとともに、いまも心の財産になっている体験といえます。
あのころのことを思い出すと、私はいまでも胸に熱く、せつないものが湧いてくるような気がします。それほど自分にとって貴重な体験であり、死ぬまで忘れられない幸福な記憶の一つなのです。
こういう話をすると、「なぜ、そこまでできたのか」と聞かれることが少なくありません。「商売とはいえ、なかなかそこまでやれないでしょう」、と。
けっして私はそうした「過剰」ともいえるサービスを仕事の義務感からやっていたわけではありません。そうするのが私にとって、いちばん自然なやり方だったのです。お客さまが喜んでくれる姿を見るのは自分にとっても最大の喜びであり、お客さまに不快な思いをさせるのは最悪の苦痛でした。
お客さまの望むことをいかに徹底してやり続けるか。お客さまがして欲しくないことをいかに徹底してやらないか。その方法をいつも考えて、すぐに行動に移すこと。そのことほど私にとって楽しく、苦にもならず、気持ちのいいことはありませんでした。
当時の私には、お客さまに喜んでもらうことはほとんど生理的な「快」だったのです。したがって私は、自分の好きなこと、楽しいこと、やりたいことをやって、成功することができた稀有に幸福な人間ともいえます。
しかし、その一方で、こういう考えもあります。自分の「やりたい」ことではなく、自分の「やるべき」ことをやったから、私は成功を手に入れることができたのではないか----。
これは私だけの考えかもしれませんが、さまざまな事業を通じて実感したのは、「自分は道具にすぎないのではないか」ということです。私たちはみんな何か大きなものに一個の道具として使われている存在、自分に与えられた固有の役割を果たしている存在なのではないでしょうか。
少なくとも私の場合、人生のいたるところで自分の意思以上のものが働き、それに導かれるようにしてここまできた感があります。たとえば、事業を始めるきっかけは自分で能動的に選んだものは少なく、むしろ、「おまえがやれ」と言わんばかりに「向こう」からやってきたものが多いのです。
介護事業にしても、介護保険が導入されて有力ビジネスとして注目を集めたころは、「自分のやることではない」とほとんど関心はありませんでした。けれどもその後、国の無策ぶりや介護サービス内容のお粗末さを知って、半ば「怒り」にまかせて参入してみると、介護の仕事ほど自分が求めていた仕事はないとまで思えるようになりました。
そんなふうに、私は総じて、自分の意図とは異なるところで始めたことにいい結果が生まれ、逆に、自分の意思ですべてをコントロールしようとしたことは失敗に終わるケースが多いのです。
そのいきさつを振り返るたびに、自分の仕事が単なる縁や偶然ではなく、といって100%自分の意思によるものでもなく、自分の力を超えた大きなものの差配によって与えられ、動かされている気がしてならないのです。
自分はその大きなもの(それは「天」といってもいいかもしれない)の一つの駒や道具として働いている、働かされているのではないかという思いを強くするのです。
もっとさかのぼれば、大学在学中に世界一周の旅に出て、その途上で、外食産業という天職を発見したこと。少年時代に母を亡くし、父が会社経営に失敗するというつらい体験を経て、幼いころから必ず経営者になろう、経営者になって父や母の仇をとってやろうと強い決意を固めていたこと。
そういうことのすべてが、すでにあらかじめ決められていた道のような気がしてなりません。だから自分の意思で自分の道を選んできたように見えながら、実は、与えられた役割をそうとは知らずに懸命に果たしてきた。どうも私はそういう運命にある人間のようです。
言葉を換えれば、それが使命や天命であるということなのでしょうが、いずれにせよ私が、「やりたい」ことと「やるべき」ことが重なった幸福な人間であるのは間違いないことのようです。
人生は一本の川。「流れっぷり」をよくしよう
もし、そうであるなら、すなわち、人はみな天から固有の役割を与えられ、一つの道具として生かされているのだとすれば、だからこそ、それぞれの道を強く、しっかりと歩んでいく必要があります。
たとえば冒頭で述べたように、一生を一日に集約するような一日一生の「濃い思い」で日々を過ごすことが大切になってきます。そうして中味のぎっしり詰まった一日を一つずつ積み重ねていくとき、あなたが追い続けてきた大きな夢もしだいにその射程距離に入ってくるでしょう。
その過程でおのずとあなたの心も磨かれ、あなたという人間の価値、つまりあなたの人間性を高めていくこともできる。また、その結果、「あれこれ苦楽を味わい、幸不幸の波にも洗われたが、振り返ってみれば、充実した楽しい人生だった」と実り豊かな手ごたえを感じることもできる。
そのとき人間は幸福というもの----人生の喜怒哀楽で煮込んだ、酸いも苦いも甘いも含んだごった煮スープの滋味のようなもの----にしみじみと浸されることになるのではないでしょうか。
幸福とは遠くから訪れてくるものではなくて、近いところに少しずつ築き上げるものといえるでしょう。幸せになりたかったら、まず、今日一日をしっかり「生き切る」ことから始めなくてはならないのです。
人生は一本の川のようなものです。
天から雨が地上に降り、地面を伝って、川に注ぐ。その雨滴の一つひとつが私たちの命であり、それぞれの人生がそこから始まります。川を下っていく過程で、あるときは急流に翻弄され、あるときは澱みにつかえ、あるときは日照りに干上がりそうになりながらも、ひたすら河口を目指して長い旅を続けていく。
やがて海という人生の終焉を目の前にする。そこで天が、それぞれの「川の流れっぷり」を判定することになります。
彼は十分に生きた、その役割をしっかりと果たしたと判断されれば、そのまま豊かな水をたたえた海に流れ入っていくことができます。しかし、彼はまだ与えられた役割、「やるべき」使命を十分に果たしていないと判断されれば、その命は再び天に昇り、もう一度、川の上流から流れてくることになる----。
私には、人間が生きていくプロセスや結果がそんなふうにも思い描けます。
したがって以下、本書に綴るのは、人生という川の流れっぷりをいかによくするかについての、いくつかの方法論といえます。
漫然と流されるままに河口へ向かうのではなく、その流れをできるだけ太く、強く、深く、水量豊かなものにして、役割をまっとうした充足感とともに、ある日、生命の始原である広大な海へと帰っていく、母のふところへ「凱旋」する。
そのために、私たちは何をすべきで、何をすべきでないのか。そのヒントや手がかりを、私自身がたどってきた「川」のなかから体験的に提示してみたいと思います。