上司は、部下を育てるうえで、手取り足取り教えるべきか、それとも、思い切って仕事を丸ごと任せてしまうべきなのか。もちろん「どちらが正しい」と言えるような単純な話ではないが、部下を持つ上司にとっては常に頭をもたげる問題だろう。
この問題に関するヒントを示してくれるのが、『社員、取引先、家族を守るために、まずは会社を守る! その極意』(明日香出版社/刊)。著者は、社員数30名超、年商10億円のばねメーカーの経営者である土屋一延氏。銀行のATM、駅の自動改札などに使われる「ばね」の製造・販売を手がけている。本書のなかで土屋氏は、ばねにヒントを得て、経営論や人材育成論を展開している。
約30年にわたって組織を率いてきた土屋氏が現場で見てきた実例を通して、人材育成の要諦について話をうかがった。今回はその前編である。
― まず本書の執筆経緯を教えていただけますか?
土屋:今年、当社が創業30周年ということもあり、何かと過去を振り返る機会が増えまして。そのなかで、サラリーマン社長として9年、オーナー社長として6年の経験を何かの形で残せないかなと思うようになり、このような形で本を執筆させていただくことになりました。
― 本書を読み、土屋さんの「人材」に対するユニークな考え方が随所に出てくるという印象を持ちました。御社では、パートタイマーのスタッフが経営のカギを握ると書かれていましたね。
土屋:はい、お客様にとって電話越しに対応してくれる人が正社員かパートなのかは関係ありません。また、当社の強みのひとつはスピードです。迅速な対応をするためには、パートさんが正社員と同じクオリティの仕事をしてくれなければ、経営が立ちゆかなくなるんです。なので両者の間に「仕事の質の差」をつくらないようにしています。
― 「迅速な対応をするために、仕事の質の差をつくらない」というのは、どういうことですか。
土屋:会社として困るのは、パートさんに「私は正社員ではないので、それについてはわかりません」と言われてしまうこと。そこで正社員にもパートさんにも「ばねのプロフェッショナル」として働いてくださいとお願いしているんです。正社員であるかどうかにかかわらず、会社の価値を下げてしまうような、いい加減な仕事は困ります。したがって、両者の「価値」に変わりはなく、違いといえば、フルタイムかどうかという点ぐらいです。
当然、責任を負ってもらう分、待遇面でも差はつけないようにしています。パートさんにもボーナスは支給しますし、福利厚生や定年も正社員と同じにしています。
― 本書の人材育成のくだりに、「ばね社員、非ばね社員」という表現がありますが、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。
土屋:ばね社員とは、小さな仕事をコツコツ行ない、物事を柔軟に考え、困難やピンチをエネルギーへと変えていく力を持った社員のことを指します。それに対して、非ばね社員は小さな仕事をバカにし、物事を一つの方向からしか考えられず、困難やピンチに直面すると、すぐに心が折れてしまいます。どちらがより成長するかといえば、前者です。
― 土屋さんがこれまでに目にした「ばね社員」で印象的なケースがあれば教えてください。
土屋:ある町工場の跡取りが「将来、家業を継ぐことになるので、勉強したい」といって、当社に入ってきたことがありました。彼は「なんでも吸収してやろう」という思いがあふれていましたね。まわりから「こうしたほうがいいよ」とアドバイスされたことは本当に何でも取り入れて実践していましたし、地味で小さい仕事も嫌がらずにコツコツとやっていましたから。
彼の場合、目的が明確だったということもあるのでしょうが、短期間でグングン成長していき、1年も経たないうちに入社数年の社員と肩を並べるほどになっていました。すると、こちらとしては、ますます難易度の高い仕事を任せるようになる。本人としては、ピンチだと感じることも多かったかもしれませんが、それをはねのけるだけの意志をしっかり持っていました。入社して3年ほど経ったときには、かなりの戦力になっていましたね。
― いま「任せる」という言葉が出ましたが、社員の成長を加速させるうえで、「任せる」ことは重要でしょうか。
土屋:重要です。人は結局、任せれば、大抵のことはできるんですよ。社員の失敗を恐れず、どんどん仕事を任せることが、社員を最短スピードで育てる方法ですから。すぐにできない場合でも、経営者は親のような愛情深い心を持って社員の成長を見守ること。本当に、上司が「任せるか、任せないか」だけの問題だと思いますね。
わたし自身、37歳でこの会社の社長になったばかりのころは、社長としての経験もスキルも持ちあわせていませんでした。もちろん辛いこともありましたが、任せてもらえたらこそ、ここまでがんばってこれたと思うのです。そういった経験から、社員で経営者になりたい人がいるなら、どんどん「社長になる」チャンスをあげたいと思っています。
― 具体的に、どのようにチャンスをつくろうとしているのですか。
土屋:当社がこれから「100億円企業」を目指すにあたって、積極的に分社化を行なおうと考えています。ひとつの会社で年商100億を目指すのではなく、年商10億の会社を10個つくる。そこで、社員のなかに希望者がいるのなら、「会社の社長になる」という選択肢を与えてあげたいと思っています。
― 本書には「ばねの特性や強みは中小企業経営者にも役立てられる」という一節があります。土屋さんがこのように考えるようになったきっかけはあったのでしょうか。
土屋:きっかけといいますか、およそ30年にわたって、ばね事業と向き合うなかで、そういうことに少しずつ気づいていったように思います。
ばねは本当に地味な存在ですが、世の中には銀行のATMや駅の自動改札などのように「ばねがきちんと働いてくれないと動かないもの」が沢山あります。あるとき、ばねの「目立たないけれど、黙々と働く」姿が中小企業に重なる気がしたんですよね。ばねのように小さな仕事を正確に積み重ねていくことで社会に対して貢献することは可能でしょうし、それこそが中小企業の生き残る道だと思うようになっていったのです。
― 今、「長い時間をかけるなかで気づいた」とおっしゃいましたが、これはまさに、ばねの特性を経営に活かすための考え方として本書に出てくる「ばねの5つの法則」の「ばねの第2法則―やり続けることで見えてくる」につながるように思います。また第2法則に関して、何かを継続するコツとして「70%で走り続けること」を挙げられていますが、経営者にかぎらず、「成長したい」と思っている個人がこれを実践するにはどのようなことをイメージすればよいのでしょうか。
土屋:ジョギングで例えてみましょう。走っていて「もうやめたい」と思うようなら、「100%の力」で走っているということだと思うんです。こういうとき、まわりの景色を楽しむだけの余裕を持てていないことがほとんどです。それに対して、70%の力を出し「ほどよく頑張って」走っているときは、身体に負荷がかかりつつも、「葉っぱが色づいてきたな」「そろそろ肌寒くなってきたな」と、まわりの変化を感じ取るだけの余裕があるはず。「100%の力を出して頑張る」というと聞こえはいいですが、これは「ひとつのことに集中しすぎて、まわりが見えない」状態になってしまっているともいえるのではないでしょうか。そうではなく、まわりのことを観察できるほどの余裕がないかぎり、物事は続かないのではと思うんです。これは経営者であっても、そうでなくても「成長したい」と思っている人であれば、ぜひ取り入れてみてほしい考え方ですね。
― しかし「限界まで力を出したほうが成長できる」という考え方もあると思います。「つねに70%」というのは、見方によっては出し惜しみをしているようにも見えますし、結果的に、その人の成長を阻んでしまうことがあるのではないでしょうか。
土屋:そこで「続けること」の意味を考えてほしいんです。たとえ70%でも1ヶ月走り続けていれば、翌月には同じ70%の力でもっと速く走れるようになるでしょう。さらに3ヶ月、1年と続けていけば…言わずもがなです。つまり、続けることで自ずと成長もついてくる。逆に、100%の力を出して頑張っても、1週間でやめてしまったのでは、そこで得られる成長はたかが知れています。
「ただガムシャラに走る」よりも「ほどよく頑張りながらも、季節の移り変わりを楽しみに走る」ほうが長続きするのではないかというのがわたしの考えなんです。
ちなみにこれは余談ですが、ばねのたわみ量は70%付近のとき、そのばねは最も安定すると言われています。つまり、ばねにとっても70%が「ほどよい」数値なのです。
― 最後に読者の皆様へメッセージをお願いします。
土屋:本にも書いたことですが「ピンチは最大のチャンス」ということをぜひお伝えしたいですね。ばねは衝撃を与えられたり、力を加えられると「縮み」ます。でも縮んで終わりではなく、その後に必ず反発力が生まれる。これと同じように、ばね社員はピンチに直面すると、いったん縮んで力を蓄え、そのあと一気に力を解放して、見事な成長を遂げるものです。そして、この「はねかえす力」を持つためには、「ぜったいにうまくいく」という根拠のない自信を持つことが重要なのだと思っています。逆にいえば、根拠のない自信さえ持つことができれば、どんな人でも逆境を乗り越え、成長することができると信じています。
(了)