「100年後の水を守る―水ジャーナリストの20年」

インタビュー

 水不足。記録的な豪雨。いま、わたしたちのまわりには、水をめぐる問題があふれています。そして、それらの問題はいよいよもって、人類の生命をおびやかすほど深刻なレベルに達しつつあります。
 『100年後の水を守る―水ジャーナリストの20年』(文研出版/刊)の著者であり、水ジャーナリスト・アクアコミュニケーターでもある橋本淳司さんは、本書のなかで自身がこれまでに関わってきたプロジェクト、またそれらを通して見えてきた水問題の現状について書いています。
 今回、新刊JP編集部は橋本さんにインタビューをおこない、水問題はいまどのような状況にあるのかをうかがいました。
(インタビュー・構成:神知典)

著者近影

― 世界の水事情について、なんとなく「このままではまずい」と思いつつも、「いまのペースで水を使い続けると、何年後にどれくらいまずい問題が起こるのか?」については、なかなか見えてきません。まずはそのあたりのお話からうかがえますか?

橋本:
 カナダのマギル大学ブレース・センターで、水資源マネジメント研究に従事する研究者たちは、2025年の世界の食料需要予測に基づき、食料生産を増やすためには2000 km3の灌漑用水が必要と試算しています。これはナイル川の平均流量の24倍というものすごい数字で、現実的にこれほどの水を集めるのは無理でしょう。
 意外と忘れられがちなのですけど、水の問題を考えるとき、目の前にある水だけでなく、目に見えないところで働いてくれている「裏方の役割を担っている水」というのも重要になります。その裏方の役割のひとつが「食糧をつくること」ですね。

― 地球上の水の総量自体が減少傾向にあるということなのでしょうか?

橋本:
 地球上の水の総量は、以前と今とでさほど変わりません。ただ、気候変動が激しくなってきていることが問題で、「あるところには沢山あるが、ないところにはまったくない」という「水の偏在」ともいうべき状況が起きています。
 水の多い地域は、気温上昇に伴って湿度も上がり雨が降りやすくなる。それに対して、もともと水の少ない地域は、気温が上がって水分が蒸発したら蒸発したままになってしまい、土地の乾燥が加速度的に進んでしまいます。その結果、雨が降りづらくなります。

― とくに雨が降りづらくなっている地域として、どんなところがありますか?

橋本:
 典型例はアメリカのカリフォルニア州です。州の西側に高気圧がずっと居すわっているため、ここ80年間の観測史上でも記録的なほど雨が降っていません。地下水も使い続けているため、水の量は減るいっぽうです。今年3月にはNASA科学者が「カリフォルニアの水はあと1年分しか残っていない」と発言して話題になりました。

― カリフォルニアがそういう状況に陥ることで、日本にも影響がありますか?

橋本:
 国産牛を育てるときに、トウモロコシや穀物飼料など、カリフォルニア産のものを使っていることは珍しくありません。そう考えると、カルフォルニアで穀物を生産できなくなれば、日本の食糧事情にもダイレクトに響いてくるでしょう。

― 日本の水事情についてはいかがでしょうか? 本書に「日本は水にめぐまれているとはいえないのかもしれない」という記述があり意外だったのですが。

橋本:
 日本の総降水量は世界の平均より多いのですが、人口が多いので、1人あたりの降水量は世界平均の3分の1程度です。まして降る時期に偏りがありますし、しかも日本は急勾配な地形が多いですから、降った雨をためておくことができない。そのため、ひとり当たりが使える水の量は、世界平均にくらべて少ないという状況です。

― 今後、日本における水問題はどのような形で表面化するといわれているのでしょうか?

橋本:
 自治体によって水道料金にばらつきが出るだろうといわれています。水道料金は人件費やメンテナンス費用など運営に要するコストを利用人数で割って算出されます。したがって、コストがかさむ、あるいは利用人数が減ると、料金は上がってしまいます。
 そしてご存じのとおり、地方では今ものすごいスピードで人口減少が進行していますから、今後、水道を維持するのが難しくなる自治体も出てくるだろうと考えています。
 2040年の水道料金をシミュレーションした「人口減少時代の水道料金 全国推計」(「新日本有限責任監査法人」「水の安全保障戦略機構事務局」の共同研究)によると、全国の約半数にあたる604カ所の水道事業体で30%超の値上げが必要になります。もっとも高い自治体では、月額2万6532円(大人2人、子ども1~2人の世帯で標準的とされる、月間30立方メートルの水道水を使った場合)と、現在の3倍近くになる見込みです。蛇口をひねれば水が出るという当たり前の日常が終わる地域がでてくる可能性があります。たとえば、過疎地では飲み水はペットボトルを宅配水で届け、あとは給水車が週2回、地域の拠点まで運んで給水する。大幅な値上げか、あるいは給水車のような代替手段を選択しなくてはならない地域が出てくるのです。

― 国内でも地球温暖化の影響による水の偏在が進み、また、現行の水道システムも限界がきているということですね。どうすれば、そのような状況を改善できるのでしょうか?

橋本:
 まちづくりにおいて水との関係を見直すことです。キーワードは「ゆっくり流す」。近代のまちづくりの考え方は、降った雨をできるだけ早く海まで流すというものでした。雨は下水道に入り、コンクリートで固められた河川を流れていきました。また、森林が荒廃したこと、減反政策によって田んぼが減ったこと、まちがコンクリートで固められたことも、結果として早く流すことになりました。ゆっくり流すためには、これと反対のことをやればいい。自然な護岸に戻す、荒れた人工林を手入れする、田んぼを守るなど、水が染みこむようにすることが有効だと思っています。こうすることで地方では地下水が使いやすくなります。水道断絶が起きそうなところは、比較的地下水のきれいなところに多い。これまでの水道システムとは違う、独自の方法でこの問題を解決できるかもしれない。また、都市部では雨水の使い方に工夫の余地はあるでしょうね。

― 工夫の余地というのは、どういうことなのでしょうか?

橋本:
 東京都民が1年間に使う水の量は20億トンに対し、東京に1年間に降る雨の量は25億トンです。これからはもっと増えるかもしれない。しかし現在、雨水はほとんど使われず、やっかいものとして下水道に集められ、ときに氾濫を起こします。東京は遠くのダムから水を集め、莫大なエネルギーをつかって「おいしい水」をつくりますが、その水でジャバーッとトイレを流している(1回10リットル)。だったら雨水を集めてトイレを流したほうがいい、ということです。

― いまのお話は、先ほどの「ゆっくり流す」というお話につながりますか?

橋本:
 つながります。雨水を有効利用するためには、建物に雨水を貯める装置、地下に浸透させる装置を設置します。豪雨が降ってもすぐに下水管のなかに水が集中しないから、洪水が起きにくくなりますし、あとから植物の水やりに使えます。日中の道路に水をまけば気温を下げることもできます。こうしたことも、健全な水の循環の一助となります。
 ただ、根本的に水の循環速度を緩やかにしていくには、気温の上昇をいま以上に大きくしないことです。それは、人間の経済活動の規模を小さくすることを意味します。それを受け入れるには、価値観の変更が必要でしょう。

― 経済規模を縮小させずに、どうにかして水問題を解決することはできないのでしょうか? 最近では、海水を淡水化する技術も開発されていると聞きますが。

橋本:
 いまはまだ莫大なエネルギーを使うという課題があります。世界各地で、石油・石炭エネルギーで海水を淡水化していますが、真水をつくるためにものすごい量の石油・石炭が消費され、温暖化を加速させることになります。

― 水とエネルギーとは切っても切れない関係にあるのですね。

橋本:
 人類が水蒸気や水流によってタービンを回し始めたときから、水とエネルギーの関係が始まりました。その意味では、水力発電も火力発電も原子力発電も、基本的なエネルギーを起こしている部分に関しては、まったく変っていません。
 ただ昔とくらべ、消費するエネルギー量は増えるいっぽうです。それによって、人間の生活に負の影響を与えている面もあるわけで、そこを断ち切らなくてはなりません。

― 橋本さんの活動の柱である、水ジャーナリストとアクアコミュニケーターについて、それぞれどのようなお仕事をなさっているのか教えていただけますか?

橋本:
 水ジャーナリストについては、水不足、水汚染で困っている地域を取材する仕事が多いですね。最近は豪雨の問題について取材することも増えてきました。
 アクアコミュニケーターのほうは、ジャーナリストの仕事とは一線を引いた形で活動しています。具体的には、学校などの教育現場に入っていて、水の現状を子どもたちに伝える授業をおこなったり、自治体の条例づくりのお手伝いをしています。
 なぜアクアコミュニケーターという名前にしたのかといえば、授業にしても条例にしても、こちらから一方的に何かを伝えるだけではうまくいかず、相互にコミュニケーションをとり合うことの大切さを痛感したためです。

― 最近では、ご自身がアクアコミュニケーターとして活動するだけでなく、橋本さん以外にもアクアコミュニケーターを育てることに積極的な印象を持ちました。

橋本:
「地元の水を語るのは地元の人がいちばん」だと思っているのです。わたしにとっては、ある地域で地元の水のことを子供たちに伝えてくれる人が、どんどん出てきてくれることが嬉しいのです。

― 「地元の水を語るのは地元の人がいちばん」と思われるようになったのはなぜですか?

橋本:
 よそ者であるわたしがどんなに調べたところで、昔からそこにいる人たちが持つ知恵のほうが優れている。そう思わされることが、これまでに何度もあったからです。その土地その土地で、何百年にもわたって培われてきた水の利用の知恵が残っているものです。

― これまで見てきたもののなかでいえば、たとえばどのようなものがありましたか?

橋本:
 ある村では、おじいさんが水源ごとにどんな水質が出るかを知りつくしていて、わずか十数メートルしか離れていない井戸なのに、「この水は山の東側から流れていくる地下水だから飲んでも大丈夫だけれど、あっちの水は山の西側から流れてくる地下水だから鉄分を多く含んでいる。だから飲まないほうがいい」という知恵をまわりの人と分かち合っていました。
 これからますます自然環境が厳しくなっていくでしょうから、自然と共に生きていくためにも、そういった形で上の世代の知恵が、次の世代へうまく伝承していけばいいなと思っています。

― いま「次の世代」という言葉が出ましたが、本書は主に子どもたちに向けて書かれたのかなという印象を持ちました。本書の執筆経緯を教えていただけますか?

橋本:
 最初に編集者の方からいわれたのは「あなたが普段、どんな仕事をしているのか分かりづらいから、それが分かるように書いてほしい」ということでした。いわれてみると確かに、わたしはこれまで水に関する本を何冊か出してきましたが、自分の仕事について書いたことはありませんでした。
 そこで今回は、自分がどのようにして水に興味を持ったのか、なぜこれまでこのテーマにこだわり続けてきたのか、水ジャーナリストやアクアコミュニケーターといった仕事はどういったものなのか等、自分自身のことについて書くことにしたのです。

― 本書の「おわりに」のなかで、「自分について書いたのは初めてだったので、最初は気恥ずかしくもありましたが、最終的には自分のことがよくわかりました」と書かれていましたね。

橋本:
 今回これまでのことを振り返るなかで、自分は「何かの目標を持って突き進む」ということをしてこなかったなと気づきました。逆に、節目節目でいろいろな方にいいアドバイスをいただき、そのアドバイスに導かれるようにして今に至っていることを痛感しまいた。

― そのような出会いも含め、様々な環境変化によって、ご自身の水への興味の持ち方も変わっていったのでしょうか?

橋本:
 最初は水の色に興味を持ちました。「なぜ、こんな色をしているのだろう?」って。その後、大学進学にともなって、地元の群馬県から上京した際に、「水道水の味は、場所によってこんなにも変わるものなんだ」と気づいたことがきっかけで、水の味にも興味を持ちました。
 さらにいえば、中学1年生のときに出会った写真集を見て一目ぼれした、カナダの「レイク・ルイーズ」に20代なかばで行ってからは、水の音にも興味が湧くようになりましたね。現地ではカワセミが水浴びをするときやビーバーがダムをつくるときに立てる音などが聞こえてきたものですから。

― 先ほど「節目節目でいろいろな人にアドバイスをもらった」とおっしゃっていましたが、たとえばどのようなアドバイスをもらったのでしょうか?

橋本:
 ジャーナリストとして初めての単行本を出したときに、大叔父から「おまえの本には、H2Oのことしか書いていない。おいしさや体によいことについての科学的な説明はされているが、かんじんの人間と水についての哲学がまるでない」といわれました。
 この大叔父は、わたしが小学校3年生のときに、栃木県の足尾に連れていってくれた人です。当時、水の色に興味を持っていたわたしは、足尾銅山の水の色が透明であることに疑問を持ち大叔父に質問しました。すると「知らん。自分で調べろ」とだけいって、わたしのことを突き放したのです。でも結果的にはそれがよかったんですね。自分で調べるうちに、水についていろいろとおもしろいことがわかってきました。この経験は、いまの仕事の原点といえます。
 単行本を出版したときの話にもどると「哲学がない」といわれたことで、自分の仕事のスタイルに疑問を持たざるをえませんでしたね。それまでは「どこそこの水がおいしい」といった興味本位のテーマばかりを追いかけていましたが「本当にそれでいいのだろうか?」と立ち止まるきっかけになりました。
 たまたまその少し前から、バングラディッシュなどの水に困っている地域も取材するようになっていたこともあり、自分の仕事が「水をめぐる過酷な状況を伝える」方向へとシフトしていきました。

― 現時点で橋本さんが考える「人間と水についての哲学」とはどのようなものですか?

橋本:
 最近たまたま、京都の貴船神社を訪れる機会があって、そこにあった「御水守り」というお札に、まさに「人間と水についての哲学」ともいうべきものが凝縮されているように感じました。
 このお札には「水は尊し」「水は美し」「水は清し」「水は強し」「水は恐し」「水は深し」と書かれています。この6つに水と人との関係が凝縮されているのではないかと思います。
 詳しいことは本にも書きましたが、わたしは子供のころ親父とドブ川みたいなところで遊んでいたときに、水への恐怖心みたいなものを持ったことがあって、そのときの記憶がいまでも鮮明に残っているんです。このお札を見るまでは、そういった恐怖心は「克服しなきゃいけないもの」だと思っていたんですが、「水は恐いもの」として受け入れることのほうが大切だと思うようになりましたね。東日本大震災や広島の豪雨の例を見ても、水が恐いもので、強いものだということは明らかですから。

― 最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

橋本:
 もともと小学校高学年向けに書いた本なので、子どもたちに読んでもらいたいのはもちろんなのですが、それ以外にも、水の教育に興味がある方、水とどういうふうに付き合っていこうか迷っている方、あるいは地域の水を守っていきたいと思っている方などにも読んでいただきたいですね。
 また、この本のなかに書かれていることが、ゆっくりと読者の方のなかにしみわたり、いつか「あぁ、そういえば、あの本に、あんなことが書かれてあったな」と思い出していただけたらうれしいです。
(了)

著者プロフィ―ル

橋本 淳司 (はしもと じゅんじ)

水ジャーナリスト/アクアコミュニケーター。アクアスフィア代表。水課題を抱える現場を調査し情報発信。国や自治体への水政策の提言、子どもや一般市民を対象とする水の授業などを行う。参議院第一特別調査室客員調査員、東京学芸大学客員准教授など歴任。現在、武蔵野大学講師。静岡県立三島北高等学校スーパーグローバルハイスクール(SGH)推進会議委員として世界と地域の水問題学習を通じたグローバル人材育成サポート。水循環基本法フォローアップ委員として水基本政策策定をサポート。近著は『67億人の水ー争奪から持続可能へ』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『通読できてよくわかる水の科学』(ベル出版)、『いちばんわかる企業の水リスク』(誠文堂新光社)など

アクアスフェアHP

目次

一章 水を五感で楽しむ
  • 水の色は何色なのだろう
  • カナディアン・ロッキーにあこがれる
  • 水の音に心うばわれる
  • いろいろな水を飲みたい
  • ルルドの泉に寄せる人々の想い
二章 水問題の現場へ
  • 水は「薬」じゃない
  • H2Oのことしか書いてない
  • バングラデシュ、シリア、そしてインドへ
  • 海までたどりつかない川
  • 一日二〇リットルの水でくらす人たち
  • 水不足に拍車をかける水汚染
  • トイレがない!
  • 川の水をめぐる争い
  • めぐまれている? 日本の水事情
  • 食べ物をつくるのも、水
三章 学校での水の授業
  • 「水の授業」に挑戦!
  • 「話す」のではなく「伝える」
  • ヒントになったアンケート
  • 一日に使う水の量は?
  • 一日五〇リットルの生活を体験!
  • 残された水をどう使うか
  • 残った水はどれくらい?
  • 青いバケツのなかのたくさんの水
四章 中国の水不足と節水教育
  • 酸性雨をふらせるもの
  • 中国と足尾銅山
  • 中国で節水リーダーを育てる
  • 節水文化がない?
  • 鄭州市の小学校でのデモ授業
  • スタートした節水教育
  • 水問題を通じて国際的な視点を
五章 水のルールをつくる
  • 湧き水をくみにくる人々
  • そもそも水はだれのもの?
  • 「ルールがない」という問題
  • 長野県安曇野市の例
  • 「声なきもの」の代弁者になる
  • 水の憲法、誕生!
六章 水をゆっくりと流す
  • 雨水を活用しよう
  • ほったらかしの森
  • なぜ元気な森は水を育むのか
  • 子どもの力でもできる皮むき間伐
  • 身近な森の間伐材を使おう
  • 地下水をささえる水田を守ろう
  • 日本にも水道のない地域がある
おわりに
ペ―ジの一番上に戻る