自己紹介の趣味欄に「読書」と書いたことがあるだろうか? 読書を趣味としている人たちはどんな本を読んでいるのか!? 新刊JPが緊急調査し、趣味としての「読書」の実態を暴きます。さらに特別コンテンツとして、「読書の限界に挑戦」「読書家たちの目利きの一冊」も用意しています!

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一日の読書、何冊が限界!?

 世の中には「速読」というスキルがある。言うなれば、本を速く読む技術だ。特にビジネス書なんかでは有効で、効率的にたくさんの知識を本から吸収することができるのだから、実践しているという人もいるだろう。中には大学生の間に1万冊の本を読んだことのあるビジネス書著者もいるという。

 しかし、読書を趣味として楽しんでいる人たちにとっては、知識の吸収だけでなく、本自体を楽しむことも大切な要素の1つ。速さにこだわらずにしっかりと本を読むだけで1日を過ごしたら、一体何冊の本を読めるのか? というわけで、ある日の日曜日、新刊JP編集部の金井が休みを使って丸一日ずっと読書に専念することになった。

■11:00~14:00

 10時30分頃に起床。普段の休日はもっと遅くまで寝ていることが多いため、正直言って眠い。頭がまったくまわっていない。こんな状態で本を読んでも頭には入ってこないだろう。それでも本を読まなくてはいけない。頑張ろう。
さて、普段の金井、仕事場ではよく本を読んでいる(つもりだ)が、プライベートで読む本は月に最大で10冊ほど。1週間に2冊以下がほとんどだ。しかし「大学4年間で1万冊」を基準とすると、1日で7冊弱を読みこなさければいけない。これは大変だ。

 まず1冊目に選んだのが、たまたま家の本棚にあった『「あたりまえ」を疑う社会学』(光文社)。新書なので、そこまで難しくなく読むことができるだろうし、頭を読書モードに切り替えるにはピッタリだということで手にとってみたのだ。
本書のテーマは「フィールドワーク」。社会学系の学部・学科を卒業した人にとっては、もしかしたら耳が痛い言葉かも知れないが、「フィールドワーク」を通して得られる言説や知識は、データに浮かび上がってこない、データ化されることで切り捨てられる現実が浮かび上がってくるのだ。なお、ブックガイドも兼ねており、エスノグラフィー系の専門書なども紹介してくれる。

 11時から読みはじめ、最後まで読みきると13時30分をちょうど過ぎた頃。学生時代に勉強していた頃を思い出し、付箋をつけながら読み進め、最後の1ページをめくり終わると、どっと疲れが出てくる。急に頭を使ったせいだろうか? 次の本を読もうと思ったが一休みし、家の近くの喫茶店に移動することに。


■14:00~18:00

 家から4冊の本を持ちだして、近所の喫茶店に移動。その4冊はこちら。
 『ぐうたら社会学』(集英社)
 『子規は何を葬ったのか―空白の俳句史百年』(新潮社)
 『失われた日本の風景 都市懐旧』(河出書房新社)
 『本の現場』(ポット出版)
特に理由もなく、本棚にあったものを選んだ。

まず、僕が持ち出したのが『失われた日本の風景 都市懐旧』。いわゆる昭和中期頃の日本の都市の写真集である。路地から盛り場の街角へ、という紹介文にもあるように、当時の人々の生活を写し出している一冊だ。写真集はさすがにページの進みがはやいが、ときに考えることもあり、読みきるまでに1時間を費やした。ダージリンティーは既に冷めはじめていた。

 続いて休みを入れずに手に取ったのが『子規は何を葬ったのか―空白の俳句史百年』。行きつけの書店の店員さんが、正岡子規のファンを自称する僕に「こんな本入ったよ」と紹介してくれて購入した本である。
子規は俳句界の革命児であったが、そんな子規が月並調と批判し切り捨ててしまった「100年間」があったことをご存知だろうか。本書では著者がその100年間を掘り起こし、江戸から明治の俳句史をまとめる。それは決して子規の功績を否定するものではなく、子規がどんな俳句を駄句といったのか、子規の俳句を見直すことにもつながるのだ。

 これは、なかなか読み応えがあった。あったからこそ、大変だった。いつの間にか時間は経ち、読み終えたときは17時30分。いや、これでも読むスピードは速いのだと思う。しかし、また疲れてしまった。じっくりと考えながら読む、理解して読むということはとても疲れることのようだ。それはそうだ、頭を動かしているのだから。


■18:00~23:00

 僕はすっかり疲れてしまった。ダージリンティーを飲み終えると、ヘロヘロになりながら、家に戻る。読書がこんなに疲れるものとは。いや、知っていたけれど。しかし、改めて体力勝負だな、と思う。
 ここまで3冊。目標まであと4冊。絶対無理。
 家に戻り、再度読書を再開。軽いエッセイでも読みたいな、ということで遠藤周作の『ぐうたら社会学』をチョイス。『海と毒薬』や『沈黙』で見せるシリアスな小説家の文章ではなく、かなり軽いタッチでユーモア溢れる日常をつづった本書は、かなり読みやすい。途中、夕食の時間を織り交ぜながら、遠藤周作の“イタズラ”に笑いっぱなしであった。

 そして21時、読了。次の本を、と思ったが今日読んだ本の内容を読書記録としてまとめなければいけない。ここで5冊目は断念した。
読書とは元来、とても疲れる行為であると思う。ある一人(もしくは複数)の人間の思想と対峙しなければいけない。それなりに身構えて読まなければいけない。読み進めるのが遅いという人もいるが、一文一文、ちゃんと咀嚼して読んでいるのであればそれは当然のことだろう。じっくりと読むということは、とても頭を使うことなのだ。
という言い訳じみた弁明はともかくとして、1日で読めた本は4冊。これが小説であったり、ビジネス書であったり、一冊の本の長さによっても変わっくるのだろうが、こんな感じだった。とはいえ、一日中、丸っきり自分の読みたかった本を読めるというのも良いもの。皆さんも月に1度、「一日読書日」を設けて読書に浸ってみてはどうだろうか。ただし、かなり疲れるけど。
(テキスト/金井)


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