だれかに話したくなる本の話

「自分しか見えない景色」をいかに伝えるか 「私と本の物語」第3回・小林春彦さん(講演家・コラムニスト・見えない障害者)

あの本の中の、あの一文に心を動かされた。そんな経験をしたことはないでしょうか。
本は、時に読者の人生を肯定し、時に読者の背中を押し、そして時に強く叱咤してくれるものです。

さまざまな人に心を動かされた本の一文にまつわるエピソードを語っていただく「私と本の物語」。
第3回は『18歳のビッグバン』(あけび書房刊)の著者で、自身の経験を通して“見えない障害”の啓発活動に取り組む小林春彦さんです。

■18歳のときに脳梗塞に…それから数年後、本屋で“奇跡の再会”

傍から見れば健常者に見える小林さんですが、実は“見えない障害”を抱えています。
具体的には、先天性の発達性障害のような傾向に、脳梗塞による後遺症(両眼の視野狭窄、左半身の麻痺、相貌失認、左半側空間無視、左半側身体失認など)などがあります。

脳梗塞を発症したのは18歳のとき。すぐに緊急手術が行われ、一命はとりとめたものの、およそ1ヶ月、昏睡状態が続いたといいます。そして、目覚めたらそこはICU(集中治療室)の中。身体の至るところにチューブがつながれていました。
その後、一般病棟に移るものの、脳へのダメージで「一過性全健忘」という一時的な記憶喪失や視野の狭さ、思うように動かない身体に、小林さんは苦しみます。

「12年前の当時、受験生だったんですよ。予備校の代ゼミ(代々木ゼミナール)で先生が開いていたオリジナルの録画授業を受けたりしていました。結局、浪人を決めたのに、途中で脳梗塞を発症し予備校の授業も一学期きりで止まってしまったのですが。
私が受けていたのは、富田一彦先生という英語講師のオリジナルのゼミで、当時は神戸に住んでいたのでサテライトで授業を受けていたんです。
先生の印象は…毒舌家というか、噂によると一学期と二学期、直前期で浪人生への接し方がかなり変わるらしくて(笑)、一学期は『だからお前らはダメなんだ』と、まず受験生のプライドをひたすら落とす。そして受験本番に向けてモチベーションを高めていくというやり方をしていたそうです。だから、私は二学期以降の穏やかな富田先生を知りません」

脳梗塞を機に、小林さんの生活は一変。そして、リハビリをしながら、自身が経験している“見えない障害”を多くの人に伝える活動を始めます。その一環として書いたのが『18歳のビッグバン』という本です。

しかし、自身の主観的な経験を相手に分かりやすく伝えることは容易ではありません。どうすれば伝わるのだろう…。そう悩んでいた小林さんに手を差し伸べたのが、富田先生の本でした。

「富田先生を思い出したのは、25歳くらいのときですね。自分自身の体験や見えない障害を執筆しようと、昔のことを思い出す過程で、受験勉強で代ゼミに行って富田さんのゼミを受けていたな、と。
それで本屋の参考書コーナーを見ていたら富田先生の本が並んでいて、手にとったのが『試験勉強という名の知的冒険』『キミは何のために勉強するのか~試験勉強という名の知的冒険2~』という2冊の本でした」

(写真はいずれもKindle版、大和書房刊)

この2冊は参考書ではなく、試験勉強とは一体何なのか、何のために勉強をするのか、生きるための知恵を身につけるためにはどうすればいいか、教育者としての視点から、教師や親、そして受験生に向けての教育論が書かれた先生のエッセイです。

小林さんはこの2冊の本に通して書かれている、考え方、伝え方について感銘を受けます。

障害者である自分が今認識している世界を、他者が経験することはできない。では、そこに発生する「困難」をどう伝えればいいのか?

■「障害」ではなく「困難」を乗り越える 新たな提言のために

「障害やマイノリティに関するさまざまな支援団体やサークルで講演会をする中で、当事者不在の支援現場が多いことに気付くんです。
実は、見えない障害を持っている当事者が情報発信をできるケースって少なくて、多くは医師や家族がしています。でも彼らは当事者ではないから、本当に何が問題だと感じているのか言語化できないところが出てくる。
だから、この『18歳のビッグバン』を書くにあたって、自分にしか分からない感覚だったり、困難だったりを表現しようと思ったのですが、それを分かりやすく説明する上で、この2冊のノウハウがとても役に立ちました。」

例えば、2冊の本に通して出てくる「やじろべえの精神」という言葉があります。
「やじろべえ」とは、綱渡りをする人のように腕を左右に伸ばし、常にゆらゆらと揺れながらバランスを取り続ける人形のこと。その「やじろべえ」の特徴をモチーフに、知恵の本質を富田先生は説きます。

「ゆらゆらと揺れ続けるが絶対に倒れない」ことが「やじろべえの精神」である。「揺れ続ける」=「融通が利く」「ゆるい」であり、「絶対倒れない」=「常に一定の範囲内にある」である。つまりここで私が言いたい「やじろべえの精神」とは、先ほど私が「知恵」の定義に使った「ゆるやかだが、常に一定の範囲にある」という性質と見事に一致している。
(『試験勉強という名の知的冒険』第二部第二章より)

自分に起きていること、目の前で起きている現象を正直に見つめることは実は簡単なことではありません。勝手にバイアス(主観や希望的観測)を入れてしまったり、悪意や嫉妬からねじ曲がった見方をしてしまうこともあります。「特に見えない障害の場合、それが多い」と小林さんは吐露します。

「例えば車椅子に乗っている友人と出歩くと、私は疲れているのに、彼は疲れていないということが起こるんです。でも、車椅子に乗っている友人の方にヘルプが行きやすい。皆さんからすればこう見えるかもしれない。
だけれども、実際に抱えている“困難”は違うんだ、と。いきなり自分が感じている困難から話すのではなく、健常者の視点をまず受け入れてから、見えない障害について話していくんです」

「やじろべえの精神」。それは、自分の視点の側だけに立たずに、融通をきかせながら伝えたいことを伝えていく。それを最も表している言葉が「困難」といえるでしょう。

小林さんは、自分が抱えている問題を「障害」ではなく「困難」という言葉を使って説明します。そして、その「困難」は見えない障害だけではなく、健常者を含めたすべての人が多かれ少なかれ普遍的に抱えてものだと指摘します。

「外見から障害を抱えているとは思われないので、優先席を譲ってもらえないとか、そういうこともあります。ただ、それは例えば左利きの人が駅の改札でICカードを右側の方にタッチしにくいというように、健常者の中でも『困難』があるんです。
私はもともと健常者だったから、その時に感じていた困難と、障害者になってからの困難を話しながら、『原因としての障害と結果としての困難を区別して考えて、社会を考えるためには困難に焦点を当てるべきでは?』と言うんです。人間の負った障害はなかなか克服できないかもしれないけれど、社会の側にある困難ならば社会が変わることで乗り越えられるかもしれないって。
実はこれも10数年の時を経て奇縁なのですが、今、富田先生の主宰する「西進塾」に顔を出しているんです。先生は、英語はもちろん、読解力・表現力としての国語力全般を高めたいという学生・社会人向けに私塾を昨年始められたのですが、私はその第一期生で、今は教材制作のお手伝いをしたりしています。ここでも改めて、言葉の力について考えさせられますね」

小林さんは今、自分にしか伝えられないことを、いろいろな人に伝えようと活動しています。しかし、「当事者だからこそ語れること」を、当事者ではない人が必ずしも理解してくれるとは限りません。

だからこそ、小林さんにとって、富田一彦さんが執筆した『試験勉強という名の知的冒険』『キミは何のために勉強するのか』は、何かを発信していく上での原点ともいえる2冊になっているのです。

(取材・文/金井元貴)

■小林春彦さんのご活動

DO-ITJapan(小林さんががリーダーを務める障害者の当事者団体)
https://doit-japan.org/2017/about.html

日本HL(ヒューマンライブラリー)学会
http://www.humanlibrary.jp/conference/

富田一彦主催「西進塾」
http://tomita-english.com/seishinjuku/

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金井元貴

1984年生。「新刊JP」の編集長です。カープが勝つと喜びます。
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