だれかに話したくなる本の話

「介護と仕事は両立させたほうがいい」――「介護うつ」にならないために必要なこと

ある日、突然夫が倒れた――。

高齢者が高齢者の介護をしないといけない「老老介護」が社会問題になっているが、その始まりは突然訪れるものだ。

日本を代表する麻酔科医の一人であり、エッセイストでもある川村隆枝さんが夫・圭一さんの介護をすることになったのは、2013年のことだった。 産婦人科医院を営む圭一さんが、脳出血で倒れた。その一報が隆枝さんのもとに届き、その瞬間から2人の人生は大きく変わる。

川村隆枝さんが執筆した『「夫の介護」が教えてくれたこと』(アスコム刊)は、終わりの見えないリハビリと介護、産婦人科医院の行く末、自身の仕事…さまざまな壁を2人で乗り越えていく夫婦のエピソードが詰まった一冊だ。

「今は夫が倒れる前よりも幸せを感じている」とは隆枝さんの言葉。その壮絶な介護生活の先に見えた「夫婦の愛」の形とは? 後編は仕事と介護の両立、「笑顔」と「歩くこと」の重要性についてお話を聞いた。

(聞き手・文:金井元貴)

■「介護と仕事は両立させたほうがいい」 その真意とは?

――夫の圭一さんが介護生活に入っても、隆枝さんは仕事と介護を両立しようとします。その際に、仕事場の人など、周囲に協力を仰いだりはしたんですか?

川村:言って回るということはしなかったですが、自然と助けてくれました。

実は、主人が倒れたあとに、私には2つの仕事の選択肢があって、一つは主人の川村産婦人科医院を継ぐということでした。私はもともと産婦人科医でしたから、それは可能なんです。

もう一つは麻酔科医を続けること。結局こちらを選択しましたが、麻酔科のマンパワーが不足している状況はよく知っていましたし、私が産婦人科医をしていたのはだいぶ前のことでしたから、今いきなり復帰をすることは無責任な決断になるのではないかと思ったんですね。

私の弟も産婦人科医なのですが、相談をしたところ「今戻るのは無謀だから麻酔科医として続ける方がいい」と言われました。だから、勤務する医療センター側も私が麻酔科医として残ってくれたことに恩義を感じているのではないかと思います。

――働き方としては倒れる前と変わらず?

川村:そうですね。麻酔科医としてこなすべき仕事がありますし、介護があるから早く帰るとは一切言いませんでした。普通に仕事をこなしています。また、主人にも「私は仕事をちゃんとするから普通に働きます」と伝えて、理解してもらっています。

主人は「そばにいて欲しい」という気持ちもあるのでしょうけど…でも、経済的な部分もあって、納得したのだと思います。介護はお金がかかりますから。

――本書には「川村流介護の心得」という、介護をする上での心得が書かれたページがありますが、そこには「介護と仕事は両立させたほうがいい」とありますね。

川村:もちろんです。これはぜひ同じ境遇の方々にお伝えしたいのですが、介護ばかりだと社会とのつながりが切れてしまって、感情が負の方向に走っていきます。だから社会とのつながりは持ち続けたほうがいいと思いますね。

もう一つは仕事をしている時間って没頭しますよね。だから少しでも介護のことを忘れる時間を取れてリフレッシュになるんです。

――「介護うつ」が問題になっていますが、そういう状況で精神を蝕まれていく人も多いそうですね。

川村:マタニティーブルーや「産後うつ」も似たところがあると思うのですが、どうしても向き合うものが一つだけしかないと、世界が小さくなってしまうんですよね。 だから、介護の時間とは別に完全に自分自身になれる時間をつくることが大切なのかなと。

――なるべく向き合うものを介護だけにしない。

川村:そうです。よく、奥さんの介護のためにご主人が仕事をやめて家で介護をする道を選ぶという話を聞きますが、経済的にもメンタルとしても不安ばかりになるんですよ。逃げ道がなくなってしまう。

この本で読者の皆さんに伝えたかったのは、認知症は別として、介護のほとんどは一生続くんです。私の主人は、頭はしっかりしているけど左の手足が動きません。だから今までのように仕事ができないし、動くことはできない。けれども、人間の尊厳を保ってあげないと心を痛めてしまうんです。

私たち医者は、治してあげられるところは治します。でも心の痛みまでは取り除くことができません。だから、なるべく身近にいる人が同情するのではなく、普通に接することが相手の尊厳を守るためにとても大事なことなのだと思います。

■笑わなかった圭一さんに「笑顔が戻った!」

――今、圭一さんは介護有料老人ホームに入居しているそうですが、圭一さんの様子はいかがですか?

川村:以前は知っている人に会いたくないと言っていましたが、今の「ブライトステージ」という介護有料老人ホームに移ってからはすごく前向きになりました。

本にも書きましたが、盛岡に牛タン焼き屋が新しくできたことをどこからか見つけてきたので、一緒に食べに行ったりしました(笑)。私よりもいろんなことに詳しいかもしれません。
介護生活が始まってから最初の1、2年は主人に一生笑顔が戻らないんじゃないかと思ったくらいでしたから。

――「笑顔」はやはり大事なんですか?

川村:医学の世界ではよく言われるのですが、喜怒哀楽の中の「喜」は最も遅れて出てくるもので、「怒」「哀」は早く出てくるんです。圭一さんもそうでしたね。「怒」「哀」ばかりで、「喜」「楽」はほとんどなかったけれど、この1年くらいで笑うようになって…。

――以前の圭一さんに戻られているわけですね。

川村:はい。主人は笑っているところを見られるのが嫌で、我慢して鼻をヒクヒクさせるんです(笑)。それと、映画を観ていても私の前では涙を流せないから、後ろを向いて泣くんですよ。それで「泣いてる?」って聞くと「うるせえ!」って怒るんですよ(笑)。
でも、笑わないのは心配でしたね。笑うようになったのは、本当に嬉しかった。

――ここまでお話をうかがってきて、隆枝さんご自身が働き過ぎにならないかと少し心配になりました。リラックスするタイミングはあるのですか?

川村:大丈夫です(笑)。今は家でも一人なので、リラックスできています。また、私はもともと怠け者なんですよ。だから次に何かやることが決まっていたり、目標がないと自分で動けないんです。
そんなに忙しいのによく本を書いたねと言われるんですけど、忙しいからこそだと思いますね。

――本にも出てくる愛犬の存在も大きそうですね。

川村:これまでも今も、愛犬たちの存在は大きいです。ここまで頑張れたのは愛犬がいたからだと思います。メルとラルフという2匹の犬がいて、ラルフは13歳で死んでしまいましたが、この本で泣けるところはそのシーンですね。

――もう一つうかがいたいのですが、ヘルパーさんとの関係を良くするにはどうすればいいですか? 見極め方といいますか。

川村:人間と人間には相性がありますからね。ケアマネージャーさんは、相性が合わなければいつでも言って下さいとおっしゃっていました。だから、相性が合うまで何度も変えるしかないんです。

ただ、どうしても介護される側が弱い存在になってしまうので、不満を言い出せない環境になりやすいんです。一方で介護士の給与面の待遇は悪いといいますし、国が対策を講じないとヘルパーさん側も、介護される側も不幸になりやすいままなんですよね。

■今の夢は「圭一さんを歩かせること」 そのための秘策とは?

――今の隆枝さんの夢はなんですか?

川村:私の夢は主人を歩かせることです。彼も歩きたいと思っていますが、まだ歩けない。でも、3歩歩けばトイレまで行けるし、オムツも履かなくていいし、尊厳も保つことがっできます。

なかなか上手くいかない状況ですが、つい先日知人から教えてもらった情報がありまして。筑波大学発のベンチャー企業が開発した「HAL」(Hybrid Assistive Limb)というロボットスーツがあるそうなんです。(*1)

――これは身体の動きをサポートするロボットスーツですか?

川村:そうです。さっそく主人にもその話をしたら喜んでいました。 介護生活になって初めて気付いたのですが、歩くっていうのはすごいことなんです。両手両足を使えることは本当に幸せなことなので、主人にも早く歩けるようになってほしいです。

――まさに最新テクノロジーですが、テクノロジーの進化で介護の方法も変わっていくでしょうね。

川村:そう思います。ただ、例えば「HAL」というロボットスーツがあるというインフォメーションが届く人とそうでない人がいますよね。

私の前著にあたる『救いたい』は映画化されましたが、もしこの『「夫の介護」が教えてくれたこと』が映画になったら、こういう最新テクノロジーの話も入れてほしいです。そうやって知らなかった人にも情報が広がっていければと。

――本書のテーマの一つが「幸せ」です。介護生活の中で見えた幸せはなんでしたか?

川村:2人でいられることですね。介護生活になる前も幸せだったとは思いますが、より2人で生きていきたいと思うようになりました。失ったものは仕方ないと主人に言っています。全然変わってない。圭一さんはずっと圭一さんだよ、と。

ただ、寂しいと思うこともあります。介護生活なので夫は頻繁に外出ができなくて、一人で出かけたときに、たくさんの夫婦が楽しそうに食事をしている姿を見たりするとね…。だけど帰ると主人はいますから。それだけでも幸せです。

――この本をどのような人に読んでほしいですか?

川村:まずは介護生活に悩んでいる方々に。介護を受けている方と家族、後は周囲の人や知人の方々にも。 介護生活を余儀なくされた家族って心ない言葉を向けられてしまうことが多いんです。でもそれは戸惑いやどう接せばいいのか分からないからだと思うんです。だから、この本を通して、どう振る舞えばいいのか参考になるかもしれません。

主人の場合、大学時代の仲間はいつも通り接してくれますし、同級生とも親しくしています。従来の飲み仲間や仕事仲間は足が遠のいてしまいましたけど、それは一緒に飲んで騒げなくなったり、話題に困ったからでしょうね。それだけの御縁だったということでしょうけど、主人は淋しそうでしたね。意外なところでは主人がよく行っていたバーのママたちも変わらず付き合ってくれています。

いろいろな人に支えられてここまできました。だから、今はまず歩くことが目標です。そのためにも最新テクノロジーを試しながら、春に向かって歩いていきたいと思います。

(了)

【参考資料】

*1…「HAL」は身体機能を改善、補助、拡張、再生することができる世界初のサイボーグ型ロボット。医療用タイプは世界初の「ロボット治療機器」として注目を浴びている。
・CYBERDYNE社による「HAL®」の説明
https://www.cyberdyne.jp/products/HAL/index.html
・大同生命による「ロボットスーツHAL®」の説明
https://www.daido-life.co.jp/knowledge/hal/about.html

「夫の介護」が教えてくれたこと

「夫の介護」が教えてくれたこと

読むと勇気と希望がわいてくる、夫婦愛の物語。

この記事のライター

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金井元貴

1984年生。「新刊JP」の編集長です。カープが勝つと喜びます。
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audiobook:「鼠わらし物語」(共作)

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