だれかに話したくなる本の話

「明日が人生最後の日だと思って生きよう」と決めた私がまずやったこと

提供: 新刊JP編集部

「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」
と言ったのは、確かスティーブ・ジョブズだったと思うのだが、新刊JP編集部の2人、私(カナイ)とヤマダも先週の金曜日、ジョブズとほとんど同じ境地に至ったのである。

「ほとんど」というのは、私たちが至った境地は**「明日が人生最後の日」**だったからである。
今日と明日では24時間も違う。端的に我々が怖気づいているということでもある。

さて、こいつはいきなり何を言い出すのだと思う読者も多いだろう。
事の発端は、ヤマダが週明けの火曜日に健康診断を受けるという話をしていたときのこと。

ヤマダ「その場で大きな病気が見つかってそのまま入院ということもありえる」
カナイ「そうね。即手術ということもありえる」
ヤマダ「余命宣告をされることもありえる」
カナイ「もしかしたら急に容態が悪化して、そのまま死亡することもありえる」

急に未来が断たれた気分になり、陰鬱になる編集部2人。
最近、若くしながら大病を患うケースをよく見聞きする。若いからといって健康でいられるとは限らない。もしかしたら、健康は幻想なのかもしれない。病は気から、というが、気だけで健康であれるならば、医者はいらない。

こうして我々は**「一寸先は闇」という結論を導き出し、冒頭の「明日が人生最後の日だと思って生きよう」**という標語を掲げるに至ったのである。

明日が人生最後の日であるならば、今日は人生最後の日の前日である。もう幾何の時間も残されていないのだから、やりたいことをやるべきだろう。しかし、いきなりやりたいことをやれと言われても「エッ、もう1日ちょっとしかないのに…」ということになる。そのための準備ができていないと大抵はこうなるものである

24時間あれば、少しばかり動くことはできる。しかし、今からその日発つ航空券を取ってアメリカ・ニューヨークに行こうともあちらで生きられる時間は数時間だろう。空港からマンハッタンまで行く間に最後を迎えることもありえる(とはいえ、日付的にはニューヨークは東京よりも遅れているので、人生最後の日の時間が延びる可能性もある)。もちろん、海外の秘境にある美しい風景を見たいというのはより非現実的である。

会いたい人に会いに行くというアイデアはどうか。しかし会いたい人の予定がそもそも空いているか分からないし、いきなりアポなしで会いに行って「ハイ!明日が人生最後の日なんです!そんな僕、どうでしょう!」と言われても、あちらは「なんなのこいつ」と思うだけだろう。むしろ、その人には私を忘れ去ってほしい。

いろいろ考えた挙句、肝を据えて、ここは今できることを精一杯やろうという気持ちになり、ワードを開き、書きかけの原稿を書き始める。

そんな私を見てヤマダが告げる。

ヤマダ「明日が人生最後の日なのに、やっていることは原稿のリライトですか」

これが今のあなたの人生です、と言わんばかりにパソコンのモニターが私の目の前にそびえ立っていたのである。

【ダイエット速報】

9月12日、無事63キロを切ることに成功しました。
皆さん、応援ありがとうございました。

次は11月末までに60キロを目指します。

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金井元貴

1984年生。「新刊JP」の編集長です。カープが勝つと喜びます。
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