だれかに話したくなる本の話

良い小説は「ボイス」が聞こえてくる 平野啓一郎と速水奨が語る小説論、演技論(前編)

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、事故で命を落とした里枝の夫・大祐に関する奇妙な相談を受ける。そこで明らかになったのは「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実だった…。

『マチネの終わりに』(毎日新聞出版社刊)から2年、平野啓一郎氏が満を持して発表した最新作『ある男』(文藝春秋刊)。 「私とは何か?」という問いとともに「愛」をテーマにした本作は小説としても高い評価を受けている本作がこのたびオーディオブック化。

そこで著者である平野啓一郎氏と、オーディオブック版『ある男』で朗読を担当した声優・速水奨氏のお二人に本作への思いとお互いの仕事についてのお話をうかがった。

(インタビュー・記事:大村佑介)

■複雑化した社会における人間の「優しさ」と「愛」

――まずは平野さんにお聞きしたいのですが、本作の執筆のきっかけはなんだったのでしょうか。

平野:いろんなテーマが混ざり合っているのですが、社会が殺伐としていて本を読んでいる間くらいは美しい世界に浸って、精神的に満たされたいという願望を強く感じていて。そういう雰囲気のなかで、人間の優しさみたいなものを、複雑な状況のなかでうまく書ければいいなというのが一つありました。

もう一つは「もし自分がこういう人生じゃなければどういう人生を生きていたのか」という想像が誰しもあると思います。それを実際に実行し、他人として生きた人がいたらどうなるだろうか、ということを考えて、そこから話を膨らませていったんです。

――本作ではヘイトスピーチの話が象徴的に描かれていすが、そこにどのようなメッセージをこめられたのでしょうか?。

平野:「男だから」とか「何歳だから」とか「会社員だから」とか。そういったカテゴリーで判断されたりすることってありますよね。

今、社会の中にそういう雰囲気があって、それが差別的感情や憎しみと結びついてしまっているように見えます。でも、そのカテゴリーのなかに生きている一人ひとりは、それぞれの事情を持ちながら生きているし、多面性も持っている。そういうことを丁寧に書きたいなというのがありました。

――速水さんに伺いますがオーディオブックご出演に際して本作を読んで、どう感じましたか。

速水:いろんな事情があるなかで人が人を思う気持ち――男性が女性を思う気持ち、親が子を思う気持ち、いろいろな気持ちがあると思うんですけど、根本は「愛」だと思うんですね。 この作品にはその愛がとても感じられて、愛があるゆえのすれ違いもある。主人公の城戸と子供の話とか、それが全部上手い……いや、もちろん上手いのは当たり前なんですけど(笑)

一同:(笑)

速水:「やるなあ!」と、「これがここにくるのか!」と(笑)。 伏線の結実の仕方や、心地よく最後にはまるカタルシスも素晴らしく、読んでいる自分の意思がエンディングに向かっていく感覚がありました。いろんなテーマがこの作品には包含されていますが、読んだ後に最も強く感じたのは「人の愛」でした。

――速水さんの感想を聞いて、平野さんはいかがですか?

平野:そう言っていただいて本当に嬉しいです。 今、対立や分断がいろんな形であらわれていて、それが目に見える時代になっています。そのなかで、人が人を大事にしたい、一緒にいたいという気持ちをシニカルに、綺麗事として見るのではなく、「それは大事なんだ」と信じられる価値観を、作家は提示しないといけないと感じています。だから、そういう風に読んでいただけたのは嬉しいですね。

現代はいろんなことが起きていて、現代人はそれと無関係ではいられない複雑な社会に生きていると思うんです。だから小説も「デザイン」をすごく意識して書かないと乱雑になってしまうんですよね。要素が増えて、複雑さが増しているぶん、どうやって全体のデザインをするかを意識して書いているので、その部分を受け止めてもらえたのも嬉しいです。

――本作ではスタンダールの「小説は街道を歩んでゆく鏡」という言葉通り、現代社会の空気感を色濃く映し出しています。速水さんはそういった社会情勢や世の中の空気の移り変わりを出演作から感じることはありますか?

速水:僕らの職業は、自分が発信するよりも作家が書いたものや文字をいかに言葉として正確に伝えるかがメインですが、言葉が変化していることはすごく感じます。 日本語の意味や言葉のとらえ方もそう。「殺すぞ」って普通にジョークで言われるし、元来の意味とは違う意味を持っている。僕らはそこから逃れられないので、そこに変化を感じますね。 でも、そういう言葉を使っていると、心にも影響するんじゃないかと。そういうところから、世の中が乱雑になってきているのかなとは思うことはあります。

■小説にある「声」、演技にある「分人」

――本作の「他人の人生を生きる」というコンセプトは平野さんが提唱する「分人主義」が色濃く反映されています。一方で速水さんの俳優という職業は「個」の中のいろんな顔を使い分けて他人の人生を表現するものだと解釈しています。その意味で、今回『ある男』のオーディオブックからお互いに受けた刺激があればおうかがいできますか。

平野:日本だと小説は「文体」についてすごく言うんですけど、欧米、特にアメリカの文学関係者は「ボイス」という言葉を使うんですよね。 読んでいる時にいい「ボイス」が聞こえてくると、個性的で良い小説なんだという評価があって、僕もある時から「文体」だけでなく、自分なりの「声」のようなものを意識するようになったんです。 今作での速水さんは、僕が想像していた以上にすっと胸に染み入るような声、読み方で朗読してくださっていて、それは本当に嬉しかったですね。

分人主義というのは、一人の人間の中には、対人関係毎の色々な人格があるという考え方で、その一つ一つの人格を「分人」と表現しています。僕たち一人一人は、いろいろな「分人」の集合体として存在していて、重要な分人もあればあまり重要じゃないのもある。その構成の比率はどんな人と接するかによって変化していくんですね。

本作のなかに出てくる「ある男」は、生きていて楽しいという自分をなかなか持てない中で、違う自分として生きたいという願望を実践しようとしたことが物語の核になっています。 そして、主人公の城戸もまたそういう人に感情移入するというか。他人の人生を通じてなら、自分に正直になれるという感じは小説を読むときにもある感覚だと思うんですよ。

自分の考えを自分の名において引き受けるって結構大変じゃないですか。卑近な話だけど、不倫についてどう思うか「自分の意見」を話してもらうとします。ここで例えば、テレビカメラが回っていたりしたら「良くないことだと思います」と、大体みんな保守的なことしか言えなくなる(笑)。

だけど『アンナ・カレーニナ』という、ある女性が不倫をする小説を読んで、「アンナ(不倫をした女性)をどう思うか」と聞くともうもっと複雑で繊細な感想が出てくる。「不倫は良くないが、夫とうまくいっていないときに別の男性に心惹かれる気持ちはわかる」とかね。 フィクションを通せば、自分のもうちょっと繊細で複雑な本心を語れるというところがあって、それが小説やアニメといったフィクションの良さじゃないかと思うんですよね。他者に対しても優しくなれる。

――本心という言葉も出てきましたが、速水さんにとって演技は「自分」の一部分を使っている感覚ですか。それともまったく自分と切り離したものなんでしょうか。

速水:切り離したものは無理ですね。フェイクな感情はどこまでもフェイクなんですよ。 平野さんがおっしゃるところの「分人」――自分の中にある嫌な自分、優しい自分を把握して、自分を通して役のフィルターをつくって、なるべくナチュラルな自分を投入していく、というのが役の作り方なんです。 だから、まずは自己分析をしないと演じるための基礎的な喜怒哀楽も表現できません。たとえば自分が夫婦喧嘩したときのことを「あの時の怒り方か」というようなものを引っ張り出してこないとリアリティが出ない。だから常に自分の中の分人を無意識に分析しているんだと思いますね。

――そういう意味では俳優は分人の構成比率を意図的にする達人なのかもしれないですね。

平野:いろんな人と接していろんな自分になる経験があると、「あの時の自分の感じ」というバリエーションが増えるんじゃないかと思います。アニメーションがなぜリアルな人間のように感じ取れるかというのは、いろんな技術の集積だと思いますけど、やはり「声」というのが大きいでしょう。 だから、フェイクな感情では演じられないという速水さんの言葉はよくわかります。そこがフェイクになるとすべてが作り物になってしまうんじゃないかと。

特別対談後編へ続く

オーディオブック版『ある男』特設サイト

ある男

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「マチネの終わりに」から2年。平野啓一郎の新たなる代表作!

この記事のライター

大村佑介

大村佑介

1979年生まれ。未年・牡羊座のライター。演劇脚本、映像シナリオを学んだ後、ビジネス書籍のライターとして活動。好きなジャンルは行動経済学、心理学、雑学。無類の猫好きだが、犬によく懐かれる。

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