同氏はFXという言葉が知られていない頃より、その将来性に着眼し、紹介していたこともあってファイナンシャル・プランナー、FXの第一人者として、これまで『日経新聞』『日経マネー』などの執筆・取材や、テレビ東京『Closing Bell』『Emorning』へのTV出演などマスメディアに数多く取り上げられてきた。また、金融危機前、各相場のピークのピ-クで「全ての投資を止める時」と言い切った唯一の投資コンサルタントとしても知られ、その天井を事前に予測できた秘訣は聖書にあったといわれている。また実務家とし、税理士、弁護士など、その分野の専門家に対して、実践的なセミナーやアドバイスを行う。メルマガ会員数は、有料・無料を合わせて約4万人。
エフピーネット有限会社についての詳細は、同社のホームページ(http://www.fpnet.com)を参照ください。また、「獅子」「雄牛」「人」「鷲」の4つの中から成功のためのファーストステップとして自身のタイプを知る簡単な気質診断は、http://www.the-status.com/shindan1/で確認できます。
これは、聖書の中に出てくる天使のケルビムが4つの顔を持っていて、それがそれぞれ人間の気質を示している、というところからきています。具体的には獅子タイプは親分肌で外交型、雄牛タイプは仕えるのが得意で目的志向型、人タイプは情緒面が繊細で内向型、鷲タイプは全体像を見渡す鳥瞰型(物事を高い視点から見る)という4つの性質です。
一つは、自分の長所を伸ばし弱いところを補えること、そしてもう一つ大事なのは、自分の弱い部分と、そこを攻撃されるパターンを知ることで、防衛法がわかることだと思います。
善し悪しというほどのことではないかもしれませんが、“鷲タイプ”と“人タイプ”、“雄牛タイプ”と“獅子タイプ”は性格が正反対なので、お互いを全く理解できないことも多いです。しかし、うまく理解しあえると自分の足りないところを相手が補うという、いい関係を築くことができることになります。
それと“鷲タイプ”は“雄牛タイプ”を、“雄牛タイプ”は“人タイプ”を、“人タイプ”は“獅子タイプ”を“獅子タイプ”は“鷲タイプ”を参考にすると良いという面があります。
私は鷲タイプです。鳥瞰的に高い視点からものを見ることができるタイプです。人がまだ見ていないもの、見えないものを先に見ることができる半面、先に行きすぎると周囲の人がついてこれない、ということになりがちな性格です。
そうですね。確かに自分の性格だな、と思います。
“人タイプ”は感情移入をしやすいので、他人の感情や意見に振り回されてマイナスの影響を受けやすいタイプです。例えばビジネスの場面でも、人からいろいろなことを囁かれたことで、本来うまくいく仕事がうまくいかなくなるのも“人タイプ”に起こりがち。人から悪いものを心に入れられやすいですね。しかし、探究心・向学心が強いというよい面もあります。
そうですね、中小企業は別にして、上場企業など大企業の経営者には鷲タイプが多いと思います。経営者というのは世の中を見つつ、会社の全リソースをどう使うかとか、今後の事業計画を考えなければならないので、職業内容からいっても鳥瞰的にならざるを得ないのだと思います。
基本的にはパーフェクトな人はいませんが、イエス・キリストが一つの例ではあります。ただし、どのタイプかに偏っていた人が年齢や経験を重ねるうちにバランスがとれてくることはあります。
まず、自分が何であるかを知ること。そして、自分は神によって、この地上で最高のステイタスを持って創られたことを知ること。それぞれが神に目的を与えられていることに気付いて、その目的に向かって歩んでいくことが成功だと私は思います。他の言い方をするならば、聖書が伝えている「神に似た者となる」、というのが私が考える“成功”です。
もちろん神そのものになることはできません。聖書的な“神概念”を超えて、自分自身を神と同等にしてしまう人もいますが、それは間違いです。しかし、神に近づけるように歩むことは生身の人間でもできます。そして、色々な経験や年月を重ねて神に似た者となり、自分の周りに神の願うような新しい変化を起こしていくこともできますよ。
私は高校時代、聖書は大嫌い、キリスト教も大嫌い、宗教も大嫌いでした。それで大学に入ってから『聖書には嘘が沢山書いてある』と思って、その嘘を暴くつもりで宣教師にから聖書の勉強をしたことがきっかけです。
科学でどこをどう刻んでも到達できない真理があったからだと思います。私は基本的に理系なので、理論的なことは受け入れやすいのですが“奇蹟”となると途端に受け入れられなくなります。しかし、聖書の中の“隣人を愛しなさい”というのは、科学では説明できない普遍的な真理です。
そうですね、結構いると思いますよ。一番聖書と相性がいいのは、じつは聖書を嫌いな人や宗教が嫌いな人だと思います。そういう人は聖書というものをある意味で純粋に読めるので、本質がわかりやすいですね。逆に聖書が好き、宗教が好きという人は“宗教書”として聖書を読んでしまうので、聖書が書かれた本来の目的ではない方に向かってしまいがちです。
宗教は人を縛りますが、聖書の真理は人を自由にします。一見同じように見えますが、これらは別々のものです。
そうですね。それゆえ世界中で何千年も読まれているのでしょうね。会社の企業理念や大統領の政治理念など、聖書を原点にしたものや聖書に真理を見出したものは多いですよ。
本来、人は成功するようにできているので、本能的に求めるものです。失敗しようとして生きている人はいないので。人間は、創られた当初は最高のものとして完璧に創られ、そこから後は転がり落ちてしまった存在です。ただ、本来の姿(神によって創られた当初の姿)は意識せずとも心の中に備わっているので、そこに向かって歩みたいという気持ちは、皆持っているのではないでしょうか。
お金は手段であって目的ではありません。お金があれば幸せになれるなら、ある意味簡単なことはないです。
聖書の中にはお金があってもなくても幸せを感じること、幸せでいることができる、ということが書かれています。世の中に対してよい影響を与えるためにお金を使うのであって、自分がお金持ちになるためにお金を稼ぐというのは手段が目的になってしまっていると思います。
名誉に関しても、目的があってその地位に就きたいと考えるならいいと思いますが、ただ地位や名誉を求めるのは無意味だと思います。
成功法則の多くが、目的と手段を間違えているところがあると思います。それと、引き寄せの法則などは、自分の周りに様々なものが集まってくるという感覚ですが、それはかなり危ない感覚です。自分中心の視点で見ると、自分に色々なものが集まってきていると思いがちですが、そうではなく神がその人に集めている。その視点でいる時にはじめて“神実現”という感覚が出てくるんです。“神実現”というのは、神が与えたその人の目的を実現すること。
その人の周りに人脈やお金が集まるのは自分によってなのか、神によってなのか、どちらでもない何かによってなのか。その視点によってそれらの使い方も違いますし、ゴールも変わりますし、成功の概念も変わってくると思います。
“聖書を読まなければいけない”というよりも“聖書に書かれている原理原則に従いなさい”、ということなので、読まなくても原理原則に従うならそれでよいかもしれません。ただ、聖書を読まずに原理原則を知ることは難しいと思います。
この本を読んでいただければ“何か”が変わると思います。もちろんそれはいい方向に変わるということで、その人の成功というものが目の前に開けることになりますので、是非読んでいただきたいと思います。読めばわかります。