本書では「行動経済学」という経済学の中でも比較的新しい一分野を、具体例を用いながら、分かりやすく解説している。そこは『はじめての行動経済学』という副題の通りである。
「行動経済学がどういう学問か」については別記の解説を参照して頂きたいので詳しいことは割愛するが、無理やり簡潔に説明してしまうと、経済学と心理学、生理学が融合した学問であると言うことができるだろう。
さて、本書を読み進めていくと、ここであげられている様々な具体的な意思決定のシーンが、自分の生活と重なることが多いことに気付く。以下の設問について考えて欲しい。
【1】1万円の有名交響楽団のコンサート前売りチケットを買ったが、会場の入り口でそれを紛失していることに気付いた。あなたはチケットを買い直すか?
さて、どうだろうか。私だったら、またチケットを買う気にはなれなくなっているだろう。 では、こちらならどうだろう。
【2】有名交響楽団のコンサートを見ようと、会場の入り口の窓口で1万円の当日券を求めた。ところが、ポケットに入れておいた1万円がなくなっていることに気付いた。あなたはチケットを買うか?
この2つの設問は本書の20ページで説明されているものを引用させてもらっている。尚、本書であげられている設問は「コンサート」ではなく「オペラ」だが、「オペラ」は日本人にとってはあまり馴染みがないと思うので、「コンサート」に置き換えさせて頂いた。
実は、この2つ、どちらも「1万円の価値があるものを紛失している」という意味では、損失額は同じである。しかし、【1】で買いなおすと答える人は少なく、逆に【2】で買うと答える人が多くなるという。
それは何故か。このケースの場合、前者は1万円が娯楽代金への上乗せとして価値が認識されるため、買い直す人も少なくなる。詳しく言うと、先に紛失した1万円は既に娯楽代としてペイされている認識がある。そして、2枚目のチケットはそれに上乗せするように感じられるため、「娯楽代に2万円も払うなら・・・」という意識になり、買い直すことをためらってしまうというのだ。ポケットの中からなくした1万円は娯楽代という認識ではないため、チケットを買うと答えた人が多くなる。
これは本書の入り口であるが、こうした設問が続いており、それに答えながら行動経済学とはどういうものかをつかんでいくことが出来る。
カジュアルな表紙に騙されてはいけない。本書は立派な学術書だ。時折、難しい用語も出てくるが、難しさに怖れてはいけない。読み終えた頃には、きっと行動経済学の虜になっているに違いない。
イギリスの哲学者であるアダム・スミスが経済学を定義して以来、経済学を考える上の人間のモデルとなってきたのが「経済人」である。この人間モデルは「ホモ・エコノミクス」とも呼ばれ、自己利益を極大化することを唯一の行動基準であり、常に完璧な合理的決定を下すと設定されている。
近代経済学はこの「経済人」の行動モデルを前提として発展を遂げてきた。しかし、実際のところ、人間は完全な合理的に意思決定を下しているとは限らず、「経済人」だけでは説明できない現象も多々あった。そうした「経済人」という行動モデルへの批判の中で誕生したのが、この「行動経済学」という学問分野である。
行動経済学において最も著名な研究者はダニエル・カーネマンというアメリカの心理学者だ。カーネマンは、現実の人間は必ずしも合理的な意思決定をしないことを心理実験によって実証し、「プロスペクト理論」を提唱。2002年には「心理学的研究を経済学に導入した」という功績が認められ、ノーベル経済学賞を受賞している。