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書籍情報

書籍名:環境を知るとはどういうことか
著者名:養老 孟司 岸 由二
出版社:PHP研究所
価格:840円
ISBN-10:4569773052
ISBN-13:978-4569773056

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【まえがき】

養老孟司

  岸さんとは、文中でも述べているように、若いときからのお付き合いである。同じ神奈川県に住んでいたのだが、とくに二人で話すという機会がなかった。たいへん有能な人で、私はお仕事を評価しているのに、ご本人がなかなか本という形にしない。

岸さんは生物学者として価値のある研究を行う一方で、神奈川・三浦半島の小(こ)網(あ)代(じろ)を保全する活動や、都市河川である鶴見川の流域の防災・環境保全活動に奔走されてきた。小網代とは、三浦半島のリアスの湾を囲む一帯を指す。源流から海まで、一つの流域が自然のままで残っている、全国的にも稀有(けう)な所である。この小網代でのお仕事を、前著『本質を見抜く力――環境・食料・エネルギー』(竹村公太郎氏との共著、PHP新書)で少し紹介したら、PHPがそれに注目して、対談を提案してくれた。わが意を得た思いである。共通の知り合いの編集者の水野寛さんがPHPに来られたこともある。

対談の前に、岸さんと小網代を訪れた。小網代には、以前から岸さんに誘われていた。でも行く機会を得なかった。偶然だが、岸さんの弟子筋に当たる、日経BPの柳瀬博一さんと長いお付き合いがあり、小網代の話が出た。そこで虫採りを兼ねて、柳瀬さんの案内で、数年前にはじめて小網代に行った。昨年も保育園の子どもたちにカニを見せたくて小網代に行ったが、なんと当日が台風の来襲となり、仕方がないから水族館でイルカの曲芸を見て帰ってきた。今回の小網代の散策には、柳瀬さんにも来ていただいた。

お読みになればわかるとおり、岸さんは理論家でもあり、実践家でもある。環境の保全がどういうものであるべきか、それがよくわかっているし、そうかといって、実践することの困難も体験され、しかもそれを克服している。そのすべてが小網代の保全という形で結実した。これが小さな仕事か、大きな仕事か、論は分かれるかもしれない。でも私は立派な仕事として評価する。論文を書くだけが学者の仕事ではない。

 小網代の保全の歴史については、表に出せない話も数多くうかがった。なるほど、そうでもなければ、ああいうことは難しいだろう。そう思って、膝を打ったこともある。本書に取り上げてはいないが、そういうことは、それぞれの地域に特異な問題を含んでいるから、一般向けの書物に取り上げるべきでもない。読者の想像力にお任せするしかない。

 私の話が少なく思えるとしたら、もともと岸さんのお話を聞きたいと私が思っていたからである。さらに前著『本質を見抜く力――環境・食料・エネルギー』の共著者である竹村公太郎さんにも参加していただけたので、前著以来、本質的にどういうことを考えているのか、その全体の筋道を、あるていどご理解いただけるのではないかと思っている。

五月の小網代を歩く~完璧な流域を訪れて

第1 章
五月の小網代を歩く~完璧な流域を訪れて

小網代の案内板

小網代の案内板

小網代の森の入口はちょっとした広場になっていて、水道施設(敷地内立入り禁止)や案内板がある。ここから油壺・三崎方面に向かって、水道本管が埋設されている。この一帯は昔はゴルフ練習場だったという。


散策開始
(中央の谷の入口にある案内板の前で)

 ここに北の谷と書いてありますが、われわれは中央をおりてゆきます。いま北の谷は水が豊富で、ベストコンディションです。谷底にはセキショウが一面に生い茂っていて、とてもいい状態です。ただし、普通の人は入ることができません。

養老 まだ道がないんですね。(案内板を見ながら)ここが尾根道ですか。向こうの尾根の反対側が北の谷ですね。

 そうです。中央の谷、北の谷ときて、これが南の谷。北の谷は下も手の湿原に十分な水を供給するためにいずれ棚田状の構造を創出して保水力を強化してゆくことになると思います。これから私たちの降りてゆく中央の谷は、保全・活用がフルに実現されるのに備えて、日常的な管理作業の基地になっている所。作業は私が代表をしているNPOが担当しています。
外から人が入って攪乱するのを防ぐために、最低限の通路整備はしておかないといけません。これで全長が一〇〇〇メートルちょっとです。
ここにNPO法人の連絡先の電話番号が書いてありますが、夕方から夜、電話を取るのは、実はだいたい僕なんです。ちょっと複雑な気分だけど(笑)。
(坂を下りながら)

 森が深いでしょう? 僕が入りはじめた二十五年前は、この一帯にはゴルフの打ちっ放しの練習場があって、カラスがしきりにボールを拾いに来ていました。でも谷は湿度も高いので、木や草がすぐに大きくなります。何にもしないでいたら二十五年でここまで育った。

編集 ひぇーっ、前が見えない。

中に入ると道の両側がいきなり鬱蒼とした草木の天地。向かって右手前にアスカイノデが見える

中に入ると道の両側がいきなり鬱蒼とした草木の天地。向かって右手前にアスカイノデが見える

 このシダがすごい。アスカイノデ(明日香猪ノ手)というシダの一種ですけど、これが茂ると壮観です。二十年前に子どもたちと 来たときは、ジュラ紀の森だと言って大はしゃぎでした。

(崩壊中と思しき山肌を見ながら)

 小網代は表土が浅くて、森が崩れやすいんです。私は二十五年間で大規模な崩壊を三回見ていますが、表土が剥がれると岩肌が現 れます。十年くらいのインターバルで、そうした崩壊を繰り返しているのです。
    *
編集 トンボが飛んでいますね。

 それはアサヒナカワトンボ。昔はヒガシカワトンボだったんですが、いつの間にか呼び方が変わっちゃった。分類は難しいそうです。