だれかに話したくなる本の話

小説家と声優「表現者」としての違いとは? 平野啓一郎と速水奨が語る小説論、演技論(後編)

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、事故で命を落とした里枝の夫・大祐に関する奇妙な相談を受ける。そこで明らかになったのは「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実だった…。

「私とは何か?」という問いとともに「愛」をテーマにした本作は小説としても高い評価を受けている平野啓一郎氏の最新作『ある男』(文藝春秋刊)。

そのオーディオブック化を記念して平野氏とオーディオブックで朗読を担当した、声優・速水奨氏のお二人に本作への思いとお互いの仕事についてお話をうかがう対談企画。小説家と俳優、分野の異なる表現者ならではの話が展開するインタビュー。その後編をお届けします。

特別対談前編「良い小説は『ボイス』が聞こえてくる」はこちらから

(インタビュー・記事:大村佑介)

■「若いときのものは恥ずかしい」とは思わない

――平野さんはご自身の活動を一期から四期まで分けていて、『透明な迷宮』以降が四期。そして、本作『ある男』も四期に含まれますが、本作はそのなかでどのような位置づけになりましたか。

平野:三期のあたりから分人主義ということを考えはじめて、三期はどっちかというと「個人の中には色々な人格があって、それが普通なんだ」ということを色んな形で表現していったんですね。

でも、対人関係ごととか場所ごとにいろんな自分になるということは、結局、外の世界からの影響を大きく受けていることになる。だから四期以降は、運命論的じゃないですけど、いろんな環境とか社会制度の影響をうけながら一人の人間の人生が翻弄されて、うまくいくこともあればうまくいかないこともあるという、環境と人間との関係に重点を移して分人を考えていこうとしています。それを突き詰めた一つの形が『ある男』という小説かなと思いますね。

――ちなみに四期の出口は今の段階では見えているんでしょうか?

平野:今度、新聞連載がはじまるんですけど、そのあたりで一区切りかなと考えています。

――それは次作も見逃せませんね。平野さんはデビューされて21年のご自身の活動をこのように「期」にわけて考えていますが、今年で活動40周年となる速水さんは、ご自身の俳優人生を「期」で分けるとしたら今はどういう段階でしょうか?

速水:アニメの評論家の方が僕の活動を「期」でわけている方がいらっしゃいますが、僕のなかでは明確に変わったのは、デビュー12、3年くらいの頃ですね。 アニメーションって子供向けのものと思われがちですけれど、今世の中に出ているアニメのほとんどは大人向けなんですよね。僕のデビュー作もそれこそ大人向け作品でした。

それが変わったのが『勇者エクスカイザー』という作品です。当時、ロボットは人が乗って操縦するもので、ロボットが声を出すという設定はあまりなかったのですが、そこで僕は主人公のロボット生命体の役をやったんですね。 そうしたら、アニメを見ていた子供たちがお手紙をくれるようになって、それも「声優・速水奨」ではなくて「勇者エクスカイザー」に。

「地球を守ってくれてありがとう!」みたいなメッセージをもらいました。

それまで僕は、自分の職業は、完成されたセリフを録音したら終わりだと思っていたんですけれど、そういう手紙や声をもらったときに双方向の仕事だと思ったんです。

「声というパーツを提供しているだけの自分」だったのが、作品世界の中に一員として、子供たちに発信して、子供たちがそれに応えてくれるということを感じた。そのときに「この職業ってなんて素敵なんだ」と思えるようになりましたし、仕事においてアンサンブルのようなものを意識するようになりました。これは自分にとっても大きな変化でしたね。

平野:キャリアの中で声優というお仕事への考え方が発展したり変わったりしたかと思うんですけど、一方で『超時空要塞マクロス』のような長い年月にわたって関与する作品があるときに「今だったらこういう風にこのセリフを言いたいんだけどな」っていう、自分の変化と作品の連続性の間でギャップを感じることはないんですか?

速水:よくあります。端的にいえば、「今だったらもっとうまくできるのにな」とか。 ただ、23歳のときに演じた自分と、今、歳を重ねた自分だと、テクニックは増しているかもしれないけれど、若さとかその時もっていた感情をまっすぐ出す部分とかの自然さは違いますよね。 今も『スーパーロボット大戦』というゲームでかつてのキャラクターが出てくるんですけれど、新しいシリーズが出るたびにDVDをいただいて「あの時はこうでしたよ」と、参考で自分の声を聞かされるんです(笑)。 なるべくそれに近づけてくれということなんですけれど。でも、当時の自分にはかなわないですよね。

――平野さんは自分の昔の作品を書き直したいと思うことはあるんですか?

平野:あまりないですね。文庫化や新装版が出る時に読み返すことはありますけど。ただ、今、速水さんがおっしゃったのと同じで、もちろん若い時のものって未熟なところもありますけど、今じゃ書けないなっていう表現もあるんですよね。自分で言うと変だけど、感心することもあって。「文章がキレているな」とか(笑)。

でも、それがプロとして仕事をしていくことなんじゃないかという気もしています。 僕、昔バンドやっていた時のテープを聞くと恥ずかしいんですよ。でも作家になってデビューしてからのものを読んでも、客観視して読んだりすることもできて恥ずかしいという感覚はないんです。 いろいろなことで「若いときのものは恥ずかしい」と思うことが多いんだけど、小説に関してはそういう感情は湧いてこないんですよね。それは仕事として成り立っていることだからかもしれない。

■小説家と声優の「表現者」としての違い

――プロだからこそ過去も含めた自分を受け入れられるということですね。ところで、今回、小説家と俳優というそれぞれプロフェッショナルとしてお話しいただいていますが、お互いの仕事をやってみたいと思いますか?

平野:いやあ、僕はできないと思いますね。表現者には、俳優とか歌手とか「その現場での自分自身が表現そのものであるという人」と、「部屋にこもって表現するものを作ってそれを外に出していくという人」という、大別して二つあると思うんですけど、同じ表現者でもその間には大きな距離があるような気がします。

パフォーマンスをやっている人が部屋でモノを書くことはできると思うけれど、部屋にこもっている人がパフォーマンスをするのは無理です。だから舞台に立ったり声優として何かをしたりというのは僕には出来ないですね。

――と言いながらも、どの役とまでは言いませんが、今作のオーディオブックでは一役演じていらっしゃいます。

平野:あのくらいならね(笑)。しかも自分の作品ですから、それで何かが悪くなっても人に迷惑はかけないから気楽ですけど。他の人のものを読むのは無理だなあ。

――速水さんはいかがですか。

速水:憧れますよ。小説家は子供の頃のなりたい職業でしたから。小学校6年生の時に医者になりたくて、同時にノーベル文学賞もとりたかったんですよ。子供が考えがちなことだけど(笑)。 医者でノーベル文学賞をとるっていうのが最高にかっこいいことなんじゃないかと。

平野:安部公房はぎりぎりのところまでいきましたね

速水:そうですよね。

――今、小説を書いていみるという選択肢は。

速水:自分に才能があればね。でも、これだけ生きていれば自分の頭の中もだいぶわかります。ボキャブラリーの数も数えられるくらいですから。そこまで不遜じゃない(笑)

平野:でも、油断ならないですよ。ある日突然すごい本を出したりするんじゃないかと。最近そういうことが我々の業界でも増えていますから、戦々恐々としてます(笑)

速水:いやいや。又吉(直樹)さんみたいにはなれないですよ(笑)

――では、最後に本作の読者の方々とオーディオブックを聴く方々にメッセージをお願いします。

平野:すごく思い入れのある本をオーディオブックにしていただけて、僕も嬉しいです。 本の読み方はいろんな形が増えていますけど、通勤時間にオーディオブックで聴くとか寝る前に聴きながら眠っちゃうとか、そういう人もいますのでぜひ読んで、聴いて楽しんでもらえればと思います。

速水:オーディオブックで地語りの部分を担当して、この作品と触れ合うなかで感じたのですが、本作を読むことで感性が磨かれたり刺激をされたりして、この小説と出逢ったことで日常のなかに一つ彩りが増えたという気がするんです。 そういう出会いというのはとても大事だと思うので、男女問わず若い方々にこの小説を読んで、オーディオブックを聴いていただいて、さまざまな思いを感じてほしいなと思います。

(了)

特別対談前編「良い小説は『ボイス』が聞こえてくる」はこちらからオーディオブック版『ある男』特設サイト

ある男

ある男

「マチネの終わりに」から2年。平野啓一郎の新たなる代表作!

この記事のライター

大村佑介

大村佑介

1979年生まれ。未年・牡羊座のライター。演劇脚本、映像シナリオを学んだ後、ビジネス書籍のライターとして活動。好きなジャンルは行動経済学、心理学、雑学。無類の猫好きだが、犬によく懐かれる。

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