せかフツ人に聞く!

グローバルで活躍するために大事なこととは!?
―連載「せかフツ人に聞く!」

 ビジネスの現場に携わっていると、多かれ少なかれ悩みや課題は出てくるもの。そして、その悩みを解決しても、また新たな課題や疑問に立ち向かわなくてはいけません。
 では、そんな課題を世界で活躍しているビジネスパーソンはどのように解決してきたのでしょうか?
 この連載では『そろそろ、世界のフツーをはじめませんか―いま日本人に必要な「個で戦う力」』(日本経済新聞出版社/刊)で日本のエリートビジネスパーソンでも世界に追い付けていない人が多いと指摘する今北純一さんと船川淳志さんのお二人にご協力いただき、ベテランビジネスパーソンとしてアドバイスをもらうという企画です。
 質問者の悩みと少しでも被る人がいれば、国境を越えて活躍をする二人の真摯な回答を是非参考にしてください。(新刊JP編集部)

■ 質問

グローバルで活躍するには、日本人が欧米人のような性格に合わせなければならないのでしょうか?

【船川さんからの回答】
「性格を合わせる≠日本人らしさを捨てる! 日本人としてのアイデンティティを忘れるな!」

 実は、これはよく聞かれる質問ですね。同時に誤解されやすいところでもあります。似たような質問で、「日本人が欧米人のやり方に合わせなければならいないのか?」というものです。
 まず、ご質問の中に「性格」ということばには気をつけた方がいいでしょう。「せかフツ」を読んで頂くと、6つの課題は、あくまでも必要な行動、態度、そして視野や視座についてであって、性格ではないことがおわかりだと思います。つまり、学びながら意図的に変えられることなのです。
 たしかに、コミュニケーションとしては「一を聞いて十を知る」という高コンテクストの日本語のスタイルでは、多様性の高い環境では通じないので、意図的に明確なコンテンツを伝える姿勢が求められます。ただ、それは性格を変えるのではなく、コミュニケーションスタイルを変えて、結果として自らのスタイルの巾をひろげることになるのです。
 また、この質問の前提には、日本人が「日本人らしさ」を捨てて、欧米人のマネをするのか? というような誤ったイメージがあるのではないでしょうか?これも「せかフツ」で強調していることの一つですが、むしろ、日本人のアイデンティティをしっかり持ち、その上で世界のいろいろ人と協業ができればそれでいいのです。
 そして、もはや「欧米」だけではなく、全地球的な、まさに全球化に対応するために必要なことであって、欧米に追従するという話ではありません。

【今北さんからの回答】
「気後れはひとり相撲!」

 外に出張して、現地の欧米人とミィーティングをするといった場合、相手が顔見知りであれば話は別ですが、踏んだ場数が少なければ少ないほど、誰でも緊張するのは当たり前のことです。
 でも、緊張することと、気後れすること、あるいは、物怖じすることとは本質的に異質のものであるということを知っておく必要があるでしょう。

 気後れするとか、物怖じするとかという心理現象の例をあげましょう。パリのエルメスとかアルマーニといった高級ブティークに、女性ならブラウスとか、男性ならスーツを買いに行く、という行為を考えてください。観光客仲間で連れ立って店に入る、という時には心理的なバリヤーはないに等しいくらいに低いですが、たった一人きりで初めて店に入るのには勇気が要ります。そして仮に中に入ったとしても、その次が問題です。店のスタッフがぴたっとくっついて、目当ての商品について好みやサイズを聞いてきます。この瞬間が怖い瞬間です。相手は目の肥えたプロであり、店に入ってきたお客を一瞥するなり、おしゃれのセンスばかりでなく、予算のレベル感についても見抜いてしまうからです。このため、素性を見透かされたような状況に陥り、自分が場違いなところにいるという感覚に襲われ、一刻もはやく店から立ち去りたい、という気持ちになります。そうならない人は、ファッション雑誌から抜け出たかのようなお洒落に完璧な人か、さもなければただただ鈍感でずうずうしい人です。

 でも、欧米人とミーティングをしたり、交渉をしたり、といった行為については、高級ブティークでの気後れや物怖じの感覚からは自由でいてよいのです。なぜなら、それは、個人と個人の間でのコミュニケーションの機会であり、一人の人間同士という意味において、そこには人格の上下や国境の隔たりはないからです。
 にもかかわらず、欧米人に対しては、彼らの性格ややり方に合わせなければならないのではないか、といったように心理的なバリヤーを作ってしまっている日本人は少なくはないようです。

 これにはいくつかの理由があるでしょう。その一つとして考えられるのは、「郷に入っては、郷に従え」という諺が流布していて、これを勘違いしているのではないか、ということです。もちろん、国ごとに文化や慣習は違いますから、外国に行ったら、それらを尊重することは基本です。しかし、文化や慣習を尊重するということと、相手の性格に合わせるということとの間には天と地ほどの差があります。尊重する、ということは、迎合するとか、おもねるということではありません。対話の原点は、相手の人格を尊重することにあります。このことは、相手が外国人であろうと、日本人であろうと、基本原則であるのに、外国人に対してだけ、尊重する代わりに迎合する、あるいはおもねるという行動に出るのはとてもおかしなことです。
 外国語でコミュニケーションするからとか、人種が違うから、というのは、一人の人間という視点からみれば、人格とは無関係の話です。ではどうしたら心理的なバリアーを払拭できるかということですが、それは簡単です。自分の信条や興味のあることをパッションをもって、そしてあくまで自然体で相手に伝える、ということ、そして、同時に、相手の信条や興味のあることに対してパッションをもって真摯に耳を傾けるという姿勢を貫けばいいのです。

(次回をお楽しみに!)

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