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書籍情報

書籍名:寿命はどこまで延ばせるか?
著者名:池田 清彦
出版社:PHP研究所
価格:840円
ISBN-10:4569772072
ISBN-13:978-4569772073

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■生命の起源についての諸説



生物の二大特徴─代謝と遺伝

 「万物は流転する」と言ったのは古代ギリシャの哲学者・ヘラクレイトスである。ヘラクレイトスの言う通り、この世界に永久不変のものがないのであれば、ある意味では万物には寿命があると言えないこともない。大統一理論という物理学の理論は、陽子の崩壊を予測する。まだ観察されたことはないけれども、本当に陽子が崩壊するのであれば、物質にも寿命があり、ヘラクレイトスの予言の通り、永久不滅のものはこの世界には存在しないということになる(もっとも陽子の寿命は10の33乗年以上〈一兆年の一兆倍のさらに一〇億倍〉という気が遠くなりそうな長さだけれどもね)。

 地球上に生物が誕生してからまだ三十八億年しか経っていないわけで、生命の長さは物質の寿命に比べれば、タカが知れているには違いない。それでも三十八億年前に生まれた生物は細胞分裂を通じて、連綿として生をつないでいるわけで、生命自体の寿命は地球の寿命とさして違わないのかもしれない。

 それに比べれば、個体の寿命は圧倒的に短い。生物は進化の過程で個体という機能体を作り、短い寿命と引き換えに、極めて複雑で高度なシステムを作りあげた。本章では、地球上に誕生した単細胞の生物が、寿命をもつに至るまでの歴史を振り返ってみよう。

 生物は無生物には見られない二つの特徴をもっている。一つは代謝、もう一つは遺伝である。生物の体は統一性を保っていて、生きている限り短期間ではあまり変化しているようには見えないが、体を構成している物質は時々刻々と入れ替わっている。物質というレベルで見れば、一年前の私と今の私は、ほとんど別人と言ってもよい。人間の体を作っている組織の中で最も物質の入れ替わり速度が遅いのは骨であるが、それでも七年間で物質はほぼ全部入れ替わると言われているので、十年前の私と今の私は異なる人である。

 そうは言っても、十年前の借金は私が借りたわけではないと言って返さないというわけにはいかないのは、何らかの自己同一性を保っているからであろう。これを「動的平衡」という。生体の動的平衡は代謝と呼ばれ、これを担ういちばん重要な物質はタンパク質である。生命の存在のためには様々な種類のタンパク質が必要なのだ。代謝システムが壊れれば、通常、生物は死ぬ。

 生命にとってもう一つ重要なのは、動的平衡を保っているシステムとしての同一性を、細胞分裂を通じて次の世代に伝えることだ。これは遺伝である。遺伝を担う最重要の物質はDNAと呼ばれる高分子である。現存する生物はすべて、代謝と遺伝の二大特徴を有している。


タンパク質とDNAはどちらが先か?

 生物が無生物から進化したのであるならば、タンパク質とDNAが無生物的に作られる必要がある。しかし、代謝に必要なタンパク質は複雑な物質で、しかもたくさんの種類がある。現在の生物では、これらのタンパク質はDNAからはじまるプロセスにより作られている。すなわち、DNAはタンパク質を作る情報を担っている。ところが、DNAもまた複雑な物質で、DNAが複製されて、自身と同じものを作るためにはタンパク質が必要なのだ。タンパク質もDNAも、相手の存在なしに独立には作られていないとすると、生物誕生のためには、これらが同時に生じなければならない。

 これは「ニワトリが先かタマゴが先か」という話と同じタイプの難問で、普通に考えれば、無生物から生物が生まれるのは不可能だ、という話になってしまう。それで、今でも地球上の生命体は宇宙から飛来してきたという説を真面目に唱えている人もいるくらいだ。しかし、考えてみれば、その生物は宇宙のどこでどのように作られたのだと問えば、話は元に戻ってしまって、生命誕生の謎は解決されないままだ。  「RNAワールド仮説」というのがある。RNAはDNAによく似た物質で、通常の細胞の中ではDNAのもっているタンパク質を作る情報を、タンパク質を作る工場であるリボソームに伝える機能をもつ。DNAと少し異なるのは、DNAはタンパク質の存在なしには自己複製ができないのに対して、あるタイプのRNAは自分だけで自己複製ができることだ。遺伝、すなわち自己複製を最も重要な生物の基本特性だと考えれば、現在の生物に広く見られる、DNA―タンパク質ワールドに先だってまず、RNAワールドがあった、と考えたくなる。

 事実、RNAワールド仮説は少し前まで、生命の起源を研究する多くの学者に広く受け入れられていた学説であった。ところが、いちばんの問題は、RNAもまた複雑な物質で、無生物からどうやって作られるか、皆目わからないことである。ここが解決できないと、RNAワールド仮説も生命の起源を解決したことにはならないのである。


生命の起源についての有力な仮説

 最近になって、池原健二(奈良女子大名誉教授)という方が、生命の起源の説明として、GADV仮説を唱えている。これはかなり有力な考えだと思われるので、簡単に紹介してみよう。

 この考えは、生命の起源は、無機的にタンパク質ができることからはじまったというものだ。GADVとはグリシン(G)、アラニン(A)、アスパラギン酸(D)、バリン(V)の四つのアミノ酸の略号で、いずれもアミノ酸としては単純な物質である。

 生物の体を作るタンパク質は、二〇種類のアミノ酸が様々な組み合わせでつながった物質である。ここに示した四種のアミノ酸は比較的簡単に無機的に作ることができる。昔の高校の「生物」の教科書にも載っていたのでご存知の読者も多いと思うが、「ミラーの実験」というのがある。太古の地球の大気を想定して作った、水蒸気、メタン、アンモニア、水素の混合気体に雷を模した放電をすると、グリシンやアラニンといったアミノ酸や核酸塩素(DNAやRNAの構成要素)が容易に得られる。