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第一章 瞳 ―スカウト―
第一章 瞳 ―作戦―
第一章 瞳 ―女の幸せ―(7月1日配信!)



第一章 瞳 ―女の幸せ―

「お連れ様がお見えになりました」
 ホールスタッフに案内されて、瞳は細部に彫刻が施こされた豪勢な個室に通された。花沢と彩夏は先に席に着いていて、ジャスミン茶を飲みながら和やかに談笑している。その隣に、数合わせで連れてこられた村田という若い専務も座っていた。彩夏はブルガリの紙袋を持っていた。瞳と会う前に買って貰ったに違いない。彩夏はまるで瞳に見せつけるかのようにバッグから小さな箱を取り出して、嬉しそうに当時大流行りだったビーゼロ・ワンのリングをはめた。
 自信に充ち溢れた彩夏の表情――直感的に瞳は二人がすでに体の関係を持っていると感じとった。
「彩夏さん素敵! 超似合います~」
 瞳は笑顔で見え透いたお世辞を言った。花沢はバツが悪そうに煙草をふかした。
 初めて食べた北京ダックも、フカヒレの姿煮も、不思議なくらい味がわからなかった。緊張している。フィンガーボールを出された時は、昨日読んだ食事のマナー本が大いに役に立った。今までただの食事にこんなに気を遣うことはなかった。静かな店内にカチャカチャと箸の音が響く。
 他愛のない会話、味気ない食事、勝ち誇った彩夏の顔、全てが苦痛だった。
 今日わかったことは、花沢は確かな確率で彩夏と寝ているということ。そして極度のヘビースモーカーだということ。花沢は約二時間の食事中に、一箱半の煙草を吸った。
「今度は上海蟹を食べに来ような!」
 お抱え運転手に「ダリア」とだけ言い、長細いロールスロイスで店に向かった。
「瞳、最近頑張っているね」
 仕事帰り、久しぶりに麗子と[幸鮨]で食事をした。
「そうでもないよ……本当はもっと売れたいの。彩夏さん達見返してやりたいから」
「瞳なら出来るよ」
 そう言って麗子はいつも優しく瞳を励ました。瞳はそんな麗子が好きだった。けれど今日の麗子は何だか元気がないようだ。握りには殆ど手をつけず、さっきからお茶ばかり飲んでいる。
「麗子は最近どう?」
「……瞳、私来月で辞めるの。赤ちゃん出来ちゃった」
「えっ!」
 頭の中が真っ白になった。普段から麗子はあまりプライベートな話をしない。
「じゃ、結婚するの?」
「うん」。麗子は手帳から大切そうに一枚の写真を取り出した。
「彼、バス釣りのプロなの。ラストの日に飲みに来るから、瞳にも紹介するね!」
 どこかの湖で撮ったと思われる写真の彼は、釣竿を持つたくましい腕と日焼けした肌が印象的なイケメンだった。麗子が結婚する――不意をつかれて瞳は裏切られたような気がした。
「おめでとう! 彼氏と赤ちゃんと幸せになってね」
「ありがとぉ。近頃悪阻(つわり)が酷くて、これからはお酒も控えなきゃ。瞳は好きな人いないの?」
「お客さんが彼氏だも~ん」
「あははっ! 瞳っぽーい」
 麗子は穏やかに微笑んだ。
 女の幸せを掴んだ麗子と復讐に燃える瞳、共に一匹狼な二人は似ているようで、その生き方は百八十度違っていた。
――私はもっと上を目指しているんだ、迷ったり流されたりする暇はない
 梅雨の蒸し暑い夜だった。瞳は帰り道のコンビニでセブンスターをワンカートン買って帰った。

「ご指名ありがとうございまーす。瞳さんでーす」
 客でごった返した騒々しい店内で、新海は満面の笑みを浮かべていた。
「やっぱり俺の読みが当たったじゃん。俺ってカリスマ店長だなぁ! 素晴らしい」と自分の指導力や読みの鋭さを絶賛した。店内は結構な煩さでトランスがかかっていて、新海は軽くリズムをとっている。カラオケの予約が入っていない間は、その時々の流行りの曲が流れた。
 花沢はそれから必ず瞳と彩夏をW指名した。
 営業中にもかかわらず、彩夏は新海店長に売上が割れてしまう不満を漏らしていた。新海は小芝居がかった同情の意を表明していた。こちらが見ていて噴き出してしまうほど大げさに――。
「はい、もう無くなったでしょ?」
 瞳は花沢の隣に腰を下ろし、昨日購入したセブンスターをそっと手渡した。
「おっ気が利くな! いくらだっけ?」
「いらないよ。花沢さん用に煙草キープしてあるから、また無くなったら言ってね」
 嬉しそうな花沢の顔――特別扱いが好きなことは、日頃の態度と派手好きな性格でなんとなくわかっていた。典型的な成金なのだ。
「おぉ、流石No.1だな! 明日寿司でも食いに行くか?」
「わぁーい、瞳お寿司大好き」
 今度は花沢と瞳の二人で食事の約束をした。

 次の日、専門学校が五時限まであったので、同伴の時間ギリギリに大宮駅に着いた。《ファ~……》大きな欠伸(あくび)が出た。課題も増え、かといって居残りも出来ず、そろそろ両立するのが大変になってきた。
[浜鮨]は北銀座通りの手前にひっそりと暖簾を出していた。狭い店内が常連客で賑わっていた。
「少食だな」
 花沢は旺盛な食欲で、パクパクと美味そうに握りを頬張った。瞳は麗子のことであまり食欲がなかった。「もうお腹いっぱいになっちゃった。二人きりだから緊張しているのかな」
 そう言って笑顔でやり過ごした。
 店を出ると外は雨が降っていた。瞳は花沢に擦り寄り、
「相合傘しよう」
 と花沢の腕に自分の腕を絡ませた。ほのかに香るブルガリの甘い香り――花沢は大人の匂いがした。
「雨も悪くないな」
 花沢は瞳の歩調に合わせるように、ゆっくりと店に向かった。
 今夜の花沢はご機嫌だった。日頃滅多に開けないドンペリを頼み、待機の女の子を手当たり次第に場内指名した。カラオケを予約してビブラートを存分に効かせて「やしきたかじん」を熱唱した。花沢に肩を抱かれながら『今を抱きしめて』をデュエットした。〈ダリア〉で働き出してから、カラオケのレパートリーが格段に増えた。久しぶりのシャンパンでほろ酔いになりトイレに立つと、顔を赤らめた花沢がフラフラとついてきた。瞳の背中を《ドンッ!》と押して、すぐさまトイレの鍵をかけた。
「何っ?」
 いきなり腕を?まれて壁に押しつけられた。瞳の唇にむしゃぶりついて太い舌を入れてきた。
―――酒臭い
 キャミソールの上からホックを外されて、服をめくられ胸を荒々しく揉まれた。スカートの中に手を入れてきた。
「いやっ! 彩夏さんと一緒にしないで」
 花沢の手の動きが止まった。
「俺とは嫌か?」
「私とエッチしたい?」
 瞳は猫のように挑発的な視線を送った。
「したいよ」
 そう言って花沢はまた唇に吸いついてきた。今度はそれを受け入れて、濃厚なキスをした。
「私が欲しいなら本気な証拠見せて」
 瞳は花沢の体を優しく突き放した。
「お前、俺が本気になっても知らないぞ?」
「いいよ」
 瞳は流し目でそう言った。花沢は微かに微笑んで騒がしい店内に戻っていった。
 欲望と金の駆け引き。客とキャバクラ嬢の恋愛ゲーム。服の乱れを直し瞳も後から席に戻った。
 翌日、花沢は瞳にブルガリのゴールドのブレスレットを買ってきた。その場で手首に着けてみた。
――夢が少しずつ現実味を帯びてくる
 彩夏は最後まで席に呼ばれなかった。
 客とのエッチは厳禁――男は一度抱くと満足してしまう生き物。客はハンターなのだ。そのことを瞳は充分に知っている。現に花沢は彩夏に飽きていた。客は引っ張るだけ引っ張って面倒臭くなったらスパッと切る。寝ないで客を引っ張る方法、それは相手を徹底的に調べあげ、相手を自分に惚れさせてしまうことだ。相手好みの服装、髪型、メイク、性格、趣味、好きなブランド、煙草の銘柄、食べ物、誕生日、そして偶然の演出。その情報こそ最大の武器になる。私は頭で大金を掴む。
「それ何作ってんの?」
「うん? 秘密」
 実習中に担任の目を盗んでこっそり作っていたのに、結局仕上がらなかった。瞳は勇の部屋にある研磨剤を勝手に使って、黙々と最後の磨きをかけていた。一人前の職人を目指す勇の部屋には、わざわざ業者から購入した専門的な工具が揃っていた。
「そんなことしていて、明後日の課題間に合うの?」
「間に合わな~い」
 勇に媚びた視線を送る。
「また俺かよ~! デザインの簡単なのしか作れないよ?」
「わぁい、勇大好き」
 西武新宿線田無駅にほど近い二階建ての木造アパート、同じクラスの勇とは週に一度のペースで会っていた。学校がなく、店が休みの日というと、だいたい日曜日に会うことが多くなる。
 瞳が今まで単位を取れてきたのは勇のお陰だ。瞳の課題を勇はいつも嫌々ながら手伝ってくれた。
 専門学校に入学してすぐに六人に告白された。瞳はその中で一番気が弱そうな勇と付き合った。好きという感情はなかった。勇は以前から瞳の課題の手伝いをしてくれる便利な奴だった。ただ自分の都合良く動いてくれるパートナーが欲しかった。ジュエリーデザイナーを目指していた瞳の専門学校生活は、その場凌ぎの薄っぺらなものに変わっていた。白銀やダイヤモンドなど、全て本物を使って実習するため、入校する時に多額の授業料を支払っていた。それさえなければ学校などとっくに辞めていただろう。瞳の全てがキャバクラを中心に廻っていた。
「ねえねえ、キャバクラってそんなに楽しいの?」
 仔犬のように愛らしい眼差ざしで勇が訊いた。勇だけがキャバクラで働いていることを知っている。
「楽しいよ。心配?」
「行ったことがないからよくわからない。けどもっと絵里香と会いたいのに、いつも仕事ばっかりじゃん!」と勇は子供のように拗ねた。
「勇は仕送りを貰っているでしょ? 絵里香はバイトしなきゃお金貰えないもん。ね、わかって」
 瞳はその子供を優しくあやした。勇は富山から上京しており、バイトはせず、毎月送られてくる親の仕送りで生活していた。
「ふぅーん、浮気してない?」
「確かめてみる?」
 瞳はニッコリ笑って勇に唇を重ねた。勇は飛びつくようにそのまま瞳をベッドに押し倒し、乱暴に服を脱がせた。勇の濃厚な愛撫を受けながら、瞳はぼーっと薄暗い天井を見ていた。
「瞳、今月もブッチギリおめでとう! これは俺から感謝の気持ち」
 毎月定期的に行われるコンパニオンミーティング。全キャストの羨望の眼差しを受けて、新海に金一封を手渡された。花沢のお陰で、瞳は全系列店で断トツのNo.1になった。当たり前だ。ここまで男に執着し徹底しているのは私だけ。入店当時二千七百円だった時給も、今では八千六百円に上がっていた。あれほどあった苛めもすっかりなくなり、姫は逃げるように〈ダリア〉を辞め、系列店の〈キャンディハウス〉へ移籍した。
 ラストの日、姫は自分の指名客に「私が移籍しても、瞳だけは絶対に指名しないで!」と最後に捨て台詞を吐いていた。瞳はもはや、誰もが認める№1になっていた。
 大宮のど真ん中で夏の星空を見上げた。
 こと座のベガが美しく青白い光を放っていた。その隣で力強く輝く、わし座のアルタイル―― 織姫と彦星の七夕伝説。ふっと忘れていた優しくて切ない気持ちを思い出す。遠い記憶――二人で見た流星群、白い息をはきながら流れ星に幸せを祈った。閉じ込めていた想い出が甦る――。
【捨てろ】あいつがいった
 独りは寂しいよ
【No.1だから独りじゃないよ】
 愛されたいよ
【くだらないね】
 絵里香の中に感じる二人の自分。私の中に私がいる。どちらも自分でどちらも他人のような気がする。売上が上がるほどに心が空白になっていく気がした。
 明日は麗子がラストの日。瞳は電話でベートーベンに同伴の約束を取りつけた。
「いやぁ~寂しいっ! 本当に辞めちゃうの~?」
 大袈裟なくらい悲しむベートーベンは、もうかなり酔っていた。麗子を呼んで、思い出を懐かしみ、それぞれに最後の時間を惜しんだ。
 フィアンセの彼は、一緒に来た友人達に冷やかされながらも、嬉しそうに乾杯をしていた。
 妻として、母として、生きていくことを選んだ麗子は、女の自信に満ち溢れていて綺麗だった。
「麗子~お疲れ様ぁ」
 営業終了後、新海から大きなカラーの花束を渡された。
「ありがとうございます、ダリアで働けて楽しかったです。彼と幸せになります」
 麗子は嬉しそうに微笑んだ。瞳はロッカーから勇の部屋で仕上げたプレゼントを取り出した。
「指輪は彼氏に貰ってね」
 麗子の華奢(きゃしゃ)な手首に似合う、細めのシルバーブレスレットを手渡した。留め金には麗子の誕生石のルビーがはめ込んであった。
「私がデザインして作ったの。シンプルな方が服に合わせやすいかなと思って」
 瞳は照れ笑いを浮かべた。
「瞳……」
 麗子は無言で手首にはめた。シンプルなデザインが洗練された麗子の雰囲気によく似合っていた。
「……」
 麗子は静かに泣いていた。手首のブレスレットが、泣いているようにキラキラと光っていた。


第一章 瞳 ―スカウト―
第一章 瞳 ―作戦―



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