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【「本が好き!」レビュー】『クララ・シューマン ヨハネスブラームス 友情の書簡』ベルトルト・リッツマン著

提供: 本が好き!

20歳、白皙の若手ピアニスト・作曲家のブラームスが大作曲家と仰ぎ見るロバート・シューマン、その妻でピアニストのクララ・シューマンと初めて邂逅したのは1853年。ロバート44歳、クララ34歳のとき。以降親密な付き合いが始まったが、ロバートは精神的な不調に陥り入院、3年後には死去してしまう。

8人の子供をかかえ、途方にくれたクララは自らの演奏で家計をあがなうことを決意する。

クララが演奏で留守の際はブラームスがクララの家庭の面倒を見るなど、親戚よりも親密な関係性だった2人は生活や家族のことばかりでなく、音楽家同士としても濃密なやりとりをしていた。

先に言うと、もちろん男女の仲は疑われるわけで、憶測は枚挙にいとまがない。ブラームスは生涯独身を通し、クララも再婚しなかった。

手紙から窺い知れるのは、心通う、時には衝突もし、でも気遣いを忘れない純粋な関係性だ。クララはブラームスが家庭を持つことを望んでもいる。またブラームスは自分の楽譜の初見をクララに求めることが多く、クララは賞賛しながらも、なかなか手厳しい言い方で意見を返しているから面白い。

同時代人として登場する音楽家も多い。ブラームスはもちろんたびたび金銭的な援助を申し出ていて、時にリストも同調したりしている。クララとブラームス共通の親友、名ヴァイオリニストのヨアヒム、指揮者の始祖とも言われるハンス・フォン・ビューロー、またヴァイオリン協奏曲て有名なブルッフも出てくる。

クララは手紙の中でリストの演奏を「悪魔的」と例え、熱狂する貴婦人たちにも触れている。またビューローのピアノ演奏については

「最も退屈なピアニスト」「情熱も躍動もなく」「技巧と記憶力が素晴らしいことは真実ですが、表現を求める感情がなければ、技巧は何のためにあるのでしょうね」

なんて厳しくこきおろしてて笑ってしまった。指揮者にこそ天分があったんだろか。

印象に残ったシーンと表現。

1858年、ある演奏旅行に行く行かないで喧嘩した際のクララのブラームスへの手紙。

「郷愁があなたのように私に甘くふるえるものならば私にはただ苦しく、時に言語に絶した心の痛みをもって私を戦慄させます。」

けっこうこの2人、例えばクララのイギリス行きをブラームスが嫌ったり、行く行かないで仲良く揉めている。

また、ある時クララの演奏会の途中にガス灯が切れ、真っ暗になった。ろうそくの灯りの中で再開された演奏に聴衆の集中力が高まりさらなる興奮を生んだエピソードは幻想的で想像力を刺激する。

ピアニストとしても有能だったブラームスがベートーヴェンのピアノ協奏曲5番を演奏したり、クララが亡き夫シューマンの協奏曲を演奏してイギリスで大きな反響を呼んだり、ブラームスの協奏曲やピアノ四重奏曲、交響曲を感動を持って試奏したり・・。もうその場をなんとかして見てみたい、という場面ばかりだ。

8人の子供たちは次々と病に倒れ、自身はリューマチに苦しめられる中、死ぬまでブラームスを頼りにし、自律を忘れずに生きたクララ。そして大音楽家として認められ、40年もの間尽くすことが人生の中心を占めていたブラームス。

2人の音楽家としての、人としての特殊な結びつきは美しい。

昔の家族同士の親密で賑やかな付き合いは、微笑ましく懐かしいな・・と思いつつ、シューマンのピアノ協奏曲を久々にゆっくりと聴いている。手紙に出てきたブラームスの曲も探して聴いてみよう。

(レビュー:Jun Shino

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

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クララ・シューマン ヨハネスブラームス 友情の書簡

クララ・シューマン ヨハネスブラームス 友情の書簡

クララ・シューマンとヨハネス・ブラームスの往復書簡が公にされたのは1927年のこと。
20歳のブラームスが作曲家となる希望を抱いてデュッセルドルフのシューマン家を訪れた1853年からクララの死の直前の1896年までに交わされた800通余りをリッツマンが編んだ書簡集から、207通を精選したのが本書である。

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