だれかに話したくなる本の話

寝たきりの兄を家族は…日本も他人事ではない介護小説『ファミリー・ライフ』著者に聞く(1)

出版業界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。

第98回となる今回は、自身二作目の長編『ファミリー・ライフ』(新潮社刊)が国際IMPACダブリン文学賞を受けるなど国際的な評価を得ている作家・アキール・シャルマさんが登場してくれました。

『ファミリー・ライフ』は、インドからアメリカに移住した一家を巡る物語。憧れのアメリカで幸福を築きつつあった一家の日常は、長男・ビルジュの事故で一変。彼の介護という仕事が、両親と弟のアジェの心に晴れることのない深い影を落としていきます。

アキールさん自身の経験が元になっているこの作品について、その魅力と読みどころを、翻訳を手掛けた作家の小野正嗣さんを交えて語っていただきました。

(インタビュー・文/山田洋介、撮影/金井元貴)

■「正直小野さんには私の小説を翻訳してほしくなかったんです」

――『ファミリー・ライフ』は、不幸な事故によってもたらされた苦労と葛藤に立ち向かうインド人家族の物語です。「介護」「家族の絆」「少年の成長」など、さまざまなテーマが読み取れますが、この物語を書いた動機について教えていただけますか?アキールさん自身の実体験が元になっている部分も多いとお聞きしました。

アキール:まず、私は作家として常に何か書くためのトピックを探しているということがあります。

そのうえで、私の家族に起きた悲劇的な出来事、つまり私の兄が事故で寝たきりになってしまったという出来事を覚えていてもらいたいと思いました。どんな出来事も忘れられてしまったらまったくの無駄で意味のないことになってしまいます。そうならないように、兄の事故から何かいいものを作り上げたいという思いはありました。

――翻訳した小野さんがあとがきで書かれていましたが、この作品を書き上げるのに13年かかったそうですね。これほどの時間を費やすことになった困難さはどこにあったのでしょうか。

アキール:一つは過去を理解することです。同じことを思い出すのでも、ある日は悲しい気持ちで思い出したり、別の日はおかしくて奇妙だなという思いを持ったり、気持ちはいつも同じではありません。

たとえば、作中でも書いているのですが、不思議な力を持っていると自称するインド人が、その奇跡の力で兄を治せるといって一時期私たち家族のところに通ってきていました。私はその人の治療を見ながら、子どもながらに何だか変だな、おかしなことをするなと思っていたんです。

「この人はなぜこんなことをやっているんだろう」と考えたり「これで治るのかな」と考えたり、当時ですら色々な気持ちを持っていたわけですから、今思い出すのも様々な感情を伴います。そうした多様な感情をもって一つのことを思い出そうとする難しさがありました。

それと、この小説は技術的に複雑な書き方をしていて、それも時間がかかった要因だと思います。

――次は小野さんにお聞きしたいと思います。小野さんは小説家として活動しながら、翻訳者として海外の小説を日本に紹介する役割も担っていますが、『ファミリー・ライフ』に最初に触れた時の印象を教えていただきたいです。

小野:アキールに出会ったのは2014年の6月で、イギリスのノリッチというところであった文学のシンポジウムの席だったのですが、そこですごく親しくなって、特に人柄に興味を持ちました。というのも、今彼が話していたように、アキールのお兄さんは事故で脳にダメージを負って寝たきりになってしまったのですが、僕の兄も脳腫瘍で、その時ちょうど治療を受けていたんです。

境遇が近いということで、個人的に関心を持ってアキールの小説を読んでみたのですが、本当にすばらしかった。夢中になって読んで、これはぜひ僕自身が訳したいと思いましたし、訳す価値のある小説だと感じました。

さっき、アキールが作家は書く価値のあるトピックを常に探していると言っていましたが、翻訳者も日本語に訳して日本の読者に届けたいと思える作品に出会いたいと思っています。この作品はまさにそんな作品でした。

――お二人が出会ったというシンポジウムの話が面白くて、小野さんはあまり存在感を発揮していなかったのに、なぜかアキールさんに話しかけられたと。

小野:僕は存在感を発揮していないどころか、ほとんど存在もしてないくらい(笑)。アキールもシンポジウムの席上では僕に気づいていなかったみたいです。

アキール:何が起きたかというと、シンポジウムが終わった後で、私はかわいらしい女性と話していたのですが、彼女が急に「ちょっと行かなくちゃ」といって立ち去ってしまったんです。そこにたまたま小野さんがいたので、「じゃあしゃべりましょうか」と。

小野:おもしろいことに、僕もその女性を見ていたはずなんですけど、まったく覚えていないんです。アキールの印象が強すぎたのかもしれません。

アキール:確かにその女性はかわいらしかったのですが、私も小野さんと話した後は彼女の印象は薄れてしまいました。私にとっても小野さんと話せたのは大きなことでした。

私たちは確かに似た境遇で同じ問題を抱えていたのですが、それよりも問題の解決法が共通していたんだと思います。私たちと同じような問題を抱えている人はたくさんいますが、精神的な面でそれにどう対処していくかという解決法が、私たちは似ていた。

――その時の会話で覚えていることはありますか?

小野:人間は恐怖を抱いている時、他人に優しくなれないし、恐怖が人を不安に陥れて、いい人間になれなくするという話をしたのを覚えています。僕はその時まで、人に優しくできなかったり、いい人間になれないことの原因を、「恐怖」という問題では考えていなかったので印象に残っています。

アキール:その恐怖や恐れを克服するためには、愛されることや愛することがすごく大きな役割を持つという話もしましたよね。

――ご自身とどこか共鳴するものを感じていた小野さんが『ファミリー・ライフ』を訳すと知った時、どのように感じましたか?

アキール:実は、小野さんが自分の小説を訳してくれていることは、完成するまで知りませんでした。翻訳家というのは大きな報酬があるわけではないですし、難しい大変な仕事だと思います。

それに、正直小野さんには私の小説を翻訳してほしくなかったんです。大変な作業だというのはわかっていましたし、自分が大好きな人から贈り物を貰うと、何だか居心地が悪くなってしまうじゃないですか。こっちが贈り物をあげたいくらいなのに、逆にもらってしまうなんて、ということで。ただ、もちろんとてもうれしかったです。

小野:「訳している間、他の仕事はどうしていたんだ」ってさっき聞かれたんですけど、こっちとしては、他の仕事は後回しでいいから、この小説に向き合っていたいというくらい、訳していて喜びを感じる小説でした。大学で教えている関係でまとまった時間は取れないなかで、何とかやりくりして訳すのが楽しみでしたね。

第二回■兄が事故で寝たきりに 介護する家族に訪れた変化 につづく
(新刊JP編集部)

ファミリー・ライフ

ファミリー・ライフ

インドからアメリカに渡り、ささやかな幸福を築いてきた移民一家の日常が、ある夏のプールの事故で暗転する。意識が戻らない兄、介護の毎日に疲弊する両親、そして悲しみの中で成長していく弟。痛切な愛情と祈りにあふれる自伝的長篇。フォリオ賞、国際IMPACダブリン文学賞受賞作。

この記事のライター

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山田洋介

1983年生まれのライター・編集者。使用言語は英・西・亜。インタビューを多く手掛ける。得意ジャンルは海外文学、中東情勢、郵政史、諜報史、野球、料理、洗濯、トイレ掃除、ゴミ出し。

Twitter:https://twitter.com/YMDYSK_bot

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