表紙
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「僕には、川端康成の「眠れる美女」の一場面が浮んでいた。裸の美少女が真紅のビロードに包まれ静かに眠っていて、死期を意識した老人たちが静寂の中に、それをじっと凝視している、あれである。変と言えば、まったく変であった。・・・続きを読む

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国民に愛されたドラマ「北の国から」の演出家である杉田成道氏によって執筆された本作は、五十七歳にして三十歳下の若妻と結婚するシーンから始まる。
そして「北の国から」の制作秘話や杉田氏の身近な人々の“誕生”と“死”、杉田氏自らのルーツなどを通して、1つの“家族”の物語が描かれている。

自分のルーツを知り、それをいかに子どもたちに伝えていくか。家族が繋がるということは過去と未来が繋がっていくことだ。
この大切なことを教えてくれる珠玉の長篇家族物語『願わくは、鳩のごとくに』について、作者の杉田氏にお話をうかがった。

―この本では、家族のつながりが大きなテーマですが、最もプライベートな空間である家族を、なぜさらけ出そう、描こうと思ったのですか?


インタビュ写真1「さらけ出されたって感じでしょうか。本のなかにも出てきます、ぼくの年賀状がきっかけで。子育て記をね、面白がってもらおうと書いていたら、もっと長いものを書け、となりまして…。誰だってこんなもの書きたくないわけですよ、恥部ですから。当然女房に聞きまして、『ノー』と言われるであろうと思ったら、『この子どもたちが大きくなる頃、あなたはいないんだから、こういう父親だったのよって言えるようにして』という風に言われまして、遺書の代わりとして書いたんですね」

―タイトルの『願わくは、鳩のごとくに』に込められた意味は?


「鳩はつがいになると、どちらかが死ぬまでずっと一緒なんです。この年齢で離婚はちょっと堪忍して欲しいなあ、という想いもありまして(笑)」

―本作を読ませて頂いて、最も印象的に残ったのが「親がどう生きようとしたか、どう世界に対したか、どう愛したか、知る必要がある。それが、自分を知ることに繋がるからだ」という言葉でした。自分の生き方をいかに子どもたちに伝えていくか、ということに力をおいていらっしゃると感じたのですが、その点についてはどうお考えですか?


「誰でも子どもの寝顔を見ていると、自分が子どもにどういう風にバトンリレーできるか、何を引き継げるのかと考えるんじゃないですか。 
年をとればとるほど、人は子どもの頃を思い出して、昔の話ばかりするようになりますし、孫や子どもの姿を見て、子どもの頃の自分と比較するんです。そうして自分の親を思い浮かべる。親の顔とか声、仕草、匂いとか、そういうものまで思い出されるんです。自分の血の中に何が綿々と流れているんだろうとか、どういう美意識があるんだろうとか、これは僕が後天的に持ったものじゃないなあとか、考えさせられることが増えるんです」

■“人の喜ぶところを見て、自分が喜ぶ人”になってほしい

―「上の二人は我が手に一手に掛かってくる。朝の保育園、幼稚園の送りと、夜の寝かしつけはおおむね僕の仕事となる」等、毎日の子育ての苦労と楽しみを本書で述べられていますが、3人のお子さんの子育てを通して、新しく発見したことはありましたか?


「毎日が発見です。発見しなかった日々はないです。実践は、育児書には書かれていないことだらけですよ。
60歳を過ぎると死がすぐそこにある。だから死を限りなく意識させていただけたということかな。あとどのくらい生きるかということを、子育てを通して毎日のように意識せざるを得ない。若い頃は今日が終わっても明日があると思っているけど、とんでもないです。年をとると、今日はあっても明日はないですから」

―子育てに積極的な男性も増えていますが、彼らにアドバイスを頂ければ。


インタビュ写真2「それはこちらが教えて欲しいですね(笑)。この先、私はどうしたらいいのか、もうそれだけです。ただ、大変びっくりしたのは、取材で40歳前後の女性2人に、『これから私も子どもを生もうと決意しました! この本を読んで勇気づけられました!』って言われたんです。そんなこと書いた覚えがないなあと思いながら(笑)。なるほど、本というのは映像と違ってすごい影響力があるもんだと感じました。うまいアドバイスはできないですが、少子化社会に一石を投じる、この本でみんなが子どもを生むようになれば、こんな幸せなことはないですね。お国のためになることですから」

―本書につづられている中でとても印象的だったのが、杉田さんの母方の家系である山川家に伝わる懐剣のエピソードです。本書では「懐剣の裏には、武家の倫理がある。“ならぬことは、ならぬものです”という、絶対の倫理がある。理屈を許さない、毅然とした意志がある」と述べられています。杉田さんはこの意志を受け継がれていると思うのですが、杉田さんご自身はお子さんにどういった大人になってもらいたいですか?


「真面目に言えば、“人の喜ぶところを見て、自分が喜ぶ人”になってほしいですね。それだけです。昔でいうと、人のためのお役に立つような人になりなさいっていいたいけどね」

■“個人を尊重するよりも社会というものを教えるべき”

―「人の喜びを見て、喜びを感じる人になって欲しい」とおっしゃいましたが、今の世の中では損得が大きな基準になっているように感じます。そんな時代に、杉田さんは子どもたちに何を伝えていきたいとお考えですか?


インタビュ写真3「まさにその通りで、今の世の中は「利」で成り立っていますよね。でも、その利で成り立っているものを超えるものがあると信じたい。それは古今東西、例えば武家の社会だって基本的にはどこかで利で成り立っていたわけだけども、でも利で成り立つことをよしとしない感性があったはずです。
「利」を優先するようになったのは、日本人が2000年くらい培ってきたものの中で、ほんの60年くらいじゃないですか。長い歴史からいえば、点でしかない。「利」が真実だと思うことのほうが間違っていると思います」

―お子さんたちはまだ小さいですが、そういった杉田さんの想いを感じていてくれるものなのでしょうか。


「実際の生活では「宿題やれ!」とか何とか言うのでいっぱいいっぱいで、諭すような時間はあんまり持ちにくい。持ちにくいけども、多分それは言葉の端々に出るんじゃないでしょうか。
自分の父親とそんな話をしたことは一回もないけども、父親はどちらかというと理想を追う人だったから、理想に向かって熱を持っている人間の方が魅力的に感じる人にはなったと思います」

―今の若い親についてはどう思いますか?


「簡単にいうと、物分りが良すぎちゃう。なぜなら、そういう教育をしているからですよ。戦後民主主義、戦前の価値観を全部否定してアメリカ型の価値観、パパ、ママと呼ばせて…そういう価値観の中で「一人の人間として生きることを美とする」としたんです。それは自我を持って自分の運命を切り開く人間になってほしいという願いがあって、「まず個性を大切に」「自我を尊重して」という風にした。小さい頃からそうやって皮膚感覚より、論理を先行させてしまう。でも実際はガキの頃から尊重していると、学級崩壊にみたいになっちゃうんであって…子どもに自我なんてないんです。基本的には動物なんですから(笑)。
だいたい自我ができあがるのは、18、19歳のとき。その根底にはあるのは“アンチ神様”であり、“アンチ父親”なんですよ。“アンチ”が底にあって、初めて自己という存在が生まれる。そのすごく大変な精神作業を経て、ようやく自我が確立するんです。
今は最初に社会というものを教えなきゃいけないのに、それを教えられない。社会には年長者がいて、上下の序列があって、その中でどうやって自分が生きていくか…がない。今はもう同級生的な共同体でずっと生きてきちゃって、社会がないんですね。
インタビュ写真4親も親として生きていなくて、子どもと友だちのように接してしまう。特に女の子はね。母親と友だちのように腕を組んだり(笑)。そこにはある種の壁がなくて、その関係は家庭でも成立する、学校でも成立する、でも社会では成立しないっていうことになってしまう。そして、その子は同世代でしか生きられなくなって、自分の意思を違う世代に通せず『どうせ分からないし、私は私で生きていくからいいんだ』と思ってしまう。
社会の枠組みみたいなものを越えていこうという意志が生まれなくなって、与えられたことだけをやって、狭い世界から出られなくなって生きにくいことになる。
社会に出る、仕事をするということは、1日8時間以上、一定の場所や共同体に拘束されるということ。そこが自分の世界ではないっていうのは、こんなもったいない人生をなんで生きているんだろうってことになりかねないですよね」

■発散するエネルギーが伝わって、人は動いていく

―お話を聞いていますと杉田さんの子育てや家族観に、「北の国から」が大きく反映、影響されている気もしました。


「どうでしょうか。『北の国から』は嫌で嫌で仕方なかった。富良野に行った瞬間帰りたくなることもしばしばでしたし(笑)」

―「五郎さんの生き方はですね、“諦念”ということが根底にあると思うんですよね。どんなことが起こっても、それを在るがままに受け取る。批判も肯定もしない、ただすべてを受け入れる」と、書かれていた部分も印象的でした。やはり、杉田さんご自身と『北の国から』は影響され合っているように思います。


「確かに邦さん(田中邦衛さん)の生き方にはある種、自己投影があったかもしれないですね。つまり、五郎さんはただ生きている、全てを受け入れる存在にしたいという想いがありました。これは大変難しいことなんですけども、常に諦念、諦念と言っていました。
人はエネルギーだと思うんです。芝居をやっていて、一番言うのは『空気だよ、空気。こういう人間とこういう人間がいて、お客さんが何を見ているかっていうと、あなた見ているわけじゃないんだよ。この間を見ているんだよ』ということです。人と人の間にある何かが常に動いていて、そのエネルギーが伝わるんです。言葉、台詞だけじゃなくて、人が発散する気みたいなものが人を動かすんですよね。
だから、以前倉本聰さんが『本は頭で書くんじゃないよ、手が書くんだよ』って言っていたのは分かる気がするんです。手が自然に書いていく」

―ご自身の家族を書かれたものが、本として残っていくことについてはどんな感想をお持ちですか?


インタビュ写真5「『男子一生に一冊の本を書け』っていう言葉が、チラッと頭にあったのですが。「恥ずかしながら」という気持ちのほうが強くて…書き上げた今もこんなものを多くの人が面白いと思ってくれるのか、戸惑いのほうが大きいですが、何かを感じて頂ければ嬉しいことです」

(インタビュアー・記事編集/金井元貴)

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