だれかに話したくなる本の話

印象派の巨匠クロード・モネが描き続けた最初の妻カミーユの実像とは?

美術史において、フランスにおける19世紀後半の印象派の登場は重要な分岐点だった。その旗手だったのが、画家のクロード・モネである。

モネには2人の妻がいた。1人は若き日の貧困時代を支えた「早世の」そして「薄幸の」妻カミーユ。そして、カミーユの死後、再婚したアリス。
『マダム・モネの肖像 文庫改訂版』(松井亜樹著、幻冬舎刊)は、モネの最初の妻であるカミーユを主人公に、夫婦の波乱に満ちた日々、そして印象派誕生の軌跡を描いた小説だ。

残されている資料が少ないと言われるカミーユ。しかし、かの有名な『散歩・日傘をさす女性』をはじめ、モネの初期の数多くの作品でモデルとなっている。では、彼女は一体どんな人物だったのだろうか?
本作を執筆した作者の松井亜樹さんにお話をうかがった。

(新刊JP編集部)

■貧困、困難…それでも寄り添ったクロード・モネとカミーユという夫婦

――『マダム・モネの肖像 文庫改訂版』についてお話を伺っていければと思います。本書は印象派画家の旗手として知られるクロード・モネの妻であるカミーユ・ドンシューを主人公に描いた小説ですが、なぜカミーユを題材にしたのですか?

松井:この本を書いたきっかけはいくつかあるんです。一番古くてありきたりなきっかけは、私が長年のモネファンだったことでしょうね。4、5歳の頃、初めて「美しい!」と感動した名のある絵画がモネの『睡蓮』でした。西洋美術館所蔵の松方コレクションの1枚です。この本の最後に掲載した作品ですね。

絵は描くのも観るのも好きで、学生の頃には週に2回ほど美術館に通うような生活をしていましたから、好きな画家も作品もどんどん増えていきましたが、モネは一貫して好きでしたね。

二つ目のきっかけは、四半世紀ほど前に『庭のカミーユ・モネと子ども』の実物を初めて観たことです。本作の冒頭に掲載した作品ですね。丁度、長男を出産して間もない頃で、今思えば、多少産後うつ気味だったのかもしれないですが、涙が出そうなくらい感動してしまいました。「この絵を、子どものいるリビングに飾りたい」と思って、すぐにキャンバスを買ったんです。

――模写をしたのですか。

松井:はい。もちろん本物はとても購入できませんから、趣味も兼ねて描きました。それ以来、ずっとリビングに飾っています。今ではあまりに見慣れた風景になってしまって、家族の誰も目に留めなくなりましたが…(笑)。

それが7、8年ほど前、子どもたちに手が掛からなくなった頃に、ふとこの絵が目にとまったんです。そういえば、このモネ夫人は早くに亡くなったとカタログに書かれていたけれど、一体どんな人生だったのだろうと。すぐにカタログや画集を広げてみたのですが、「早世の」とか「薄幸の」という以外には何も書かれていない。学術書を調べると、「旧姓と没年月日以外、正確なことはわからない」とありました。

「そんな馬鹿な」と思ってしまったんですよ。彼女は確かに生きて、多くの作品にその姿を残しています。『庭のカミーユ・モネと子ども』に描かれた彼女は幸せそのものじゃありませんか。早世というだけじゃない、薄幸というだけじゃない、彼女の人生を形に残したいと思ったんです。それが三つ目の、そして直接のきっかけです。

――モネの初期の作品は、カミーユをモデルしているものが多いですよね。

松井:そうですね。当時、絵画は題材によって格付けされていました。歴史や神話・聖書の一場面を描いたものが最も格が高く、その次が肖像画や風俗を描いた人物画。静物画や彼の得意な風景画は軽く扱われていました。だから、かの風景画の巨匠クロード・モネであっても、サロンに認められようと努力していた初期は人物画を多く描いたのです。そして、そのモデルはほぼカミーユでした。

彼女の死後、顔まで描き込んだ人物画はほとんど残していません。晩年、娘たちを描いた作品もあるんですがやはり顔は描かれず、まるで風景の一部のようです。モネはやはり風景画家だったと思いますが、だからなおさら、モネの人物画のほぼ唯一のモデルであったということは、それだけで特別な存在だと感じます。

――調査はどのように進めていったのでしょうか。

松井:幸い、モネについては食べたもののレシピや金銭のやりとりに至るまで詳細な記録が残されているので、常に一緒にいたであろうカミーユの生活もそこから掘り起こしていきました。

調べ始めると、2人の出会いから別れまでがちょうど印象派誕生の軌跡と重なっていました。フランス自体も政治・経済・社会のどれをとっても大変革期。とても興味深い時代です。さらに、2人の周りには、ルノワールやマネを始め日本でも人気の高い多彩な巨匠たちが登場し、2人と深く関わっています。おもしろくて、私自身が夢中になりました。

――物語を書き進める中で、カミーユはどんな女性だと感じましたか?

松井:現代のフランスは、ジェンダーに関して世界で最も先進的な国の1つだと思いますが、カミーユが生きていた150年前はまるっきり違っていました。

例えば、同じフランスで19世紀前半から活躍した画家オノレ・ドーミエの風刺画には、女性が強くなったと嘆く作品が散見されます。女性が夫に向かって言いたいこと言うとか、自分のやりたいことに夢中になって育児が疎かになるとか。つまり、男も女も、そんな作品を観て眉をひそめて笑い合うような時代だったということです。

モネのやりたい放題ぶりを見ていると、やはりカミーユも彼の行動にダメを出したりしなかったんでしょうね。それは、性格でもあったかもしれませんが、時代に規定されていた側面もあります。ただ、次々と困難に見舞われても、彼女は実家に帰ったり、どこかに逃げ込んだりという選択を一切しなかった。そこに、モネに対する一途な思いを感じますし、芯の強さも感じますね。

――貧困時代のモネは、ひたすら己の決めた道を進んでいくというか、いわば「売れないミュージシャン」のようなところがありますよね。

松井:そうですね。ただ、それもまたモネの魅力の一つだと思うんです。彼は一言で言えば仕事人間、自分の好きなことに夢中です。次々と浮かんでくるアイデアを、何が何でも実現しようとする。絵に対してはとても勤勉ですしね。その性格あってこそ、彼の画業は成功するわけですが、生活全般にわたってもこだわりが強くてわがまま。お金もないのにグルメだし、オシャレだし、仕事のために平気で妻の気持ちを置き去りにしてしまいます。

――モネとカミーユはお互い、どういうところに惹かれ合っていたのだと思いますか?

松井:恋愛の始まりには、言葉にならないフィーリングの一致があったはずで、それを客観的にどうこう言えませんが、モネの純粋さはカミーユにとって愛すべき特徴だったのでしょうね。女性の自己実現が難しい時代にあって、モネが我が道を突き進むその信念の強さも魅力だったと思います。彼が自分の夢を叶え認められていくことが、カミーユ自身の夢にもなったかもしれません。

モネの方は、最初はカミーユの見た目だけを気に入ってモデルをお願いしたのかもしれません。でも、その相手が一途に自分を想ってくれる。希望通りモデルになってくれたし、彼女を描いた作品はサロンに入選しました。グルメな彼の口に合う料理を作ろうとがんばっていたはずですし、そういう毎日を過ごすうち、モネは当たり前のように彼女に甘えるようになったと思います。「自分のすることなら、カミーユは何でも許してくれる」という風に。彼自身、意識はしていなかったかもしれないですがね。

――この小説を通してみると、モネはカミーユありきの人だったのではないかとさえ思ってしまいます。

松井:そうかもしれません。すぐヘソを曲げたり、小さなことにもあれこれ口うるさく言うような妻だったら、モネは小さくまとまっちゃったかもしれませんね。

(後編に続く)

マダム・モネの肖像(文庫改訂版)

マダム・モネの肖像(文庫改訂版)

フランス激動の時代に、「印象派」を主導した画家・モネを愛し、支えた、一人の女性の物語。

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