だれかに話したくなる本の話

暴言・暴力だけが「虐待」ではない 愛情ゆえの「見えない虐待」とは?

暴言・暴力だけが「虐待」ではない 愛情ゆえの「見えない虐待」とは?(*画像はイメージです)

コロナ禍の外出自粛で在宅時間が長くなった結果か、2020年の児童虐待通告は初めて10万人を超えた。

同様に増えたDVにしても児童虐待にしても、まず思い浮かべるのは暴言や暴力の類であり、それらは家族への「愛情の欠如」が連想される。ただ、愛情があれば虐待は起こらないのか、または暴言や身体的な暴力さえなければ虐待ではないのかというと、決してそうではない。

いまだに誤解があるようなのですが、虐待というのは、殴ったり蹴ったりするようなわかりやすいものだけではありません。子どもをおとなの都合で濫用することもまた、暴力であり、虐待です。(『「愛」という名のやさしい暴力』より)

精神科医の斎藤学氏は『「愛」という名のやさしい暴力』(木附千晶構成、扶桑社刊)で、「愛」というやさしげな衣でコーティングされていることで見えにくくなっている「暴力」の存在を指摘している。

「愛」という名のやさしい暴力

「愛」という名のやさしい暴力

いわゆる「良い子」や「いい人」ほど、現代社会では生きづらさを抱えている。波風を立てず、空気を読み合って、相手の期待を裏切らないよう振る舞う「やさしさ」が充満している家庭で育った子は、やがて自分の願望や欲求を見失っていく。自己は育たず、他者の期待を読み取り、それに応えることが人生だという共依存的な生き方しかできなくなってしまう。