だれかに話したくなる本の話

アラサ―女、散弾銃の玉について考える

提供: 新刊JP編集部

近頃、散弾銃の玉について考えることがあります。
 
なんなら買ってみたいと思う事さえあるのですが、決して今流行りのジビエにハマった訳でもなければ、猟奇的な思想を隠して生きている訳でもありません。
重要なのは散弾銃の「弾」ではなく、「玉」だということ。
 
散弾銃の弾の中には沢山の鉛(もしくは鉄)の玉が入っています。使用したいのはこの部分で、要はただの鉛玉です。ホームセンターで買えます。
 
銃そのものに関しては、筆者は何の知識もなく、もちろん資格もありません。
そんな筆者が鉛の玉を何に使うかというと、テディベアづくりです。
意外に思うかもしれませんが、テディベアの材料専門店をのぞくと、モヘアやガラスアイと同じように鉛玉が「散弾銃の玉」として、しれっと並んでいることがあるのです。
 
可愛らしいものが並ぶ中で明らかに異質な単語、「散弾銃」。
なぜそんなものが必要かというと、テディベアには「重さ」が求められるからです。
 
例えばテディベア作家がデパートなどで作品を販売する場合、バイヤーから「とにかく重くしてください」という注文が付く事もあるのだとか。
もちろん、どの作品も同じだけの手間をかけて丁寧に仕上げる作家物ですから、「重い」「軽い」で作品の質は変わらないでしょう。
しかし、持ち上げたときにずっしり重たい方が、お客様は「良いもの」と感じてしまうものなのです。
 
 
では、散弾銃の玉(鉛玉)はどのように使うかというと、腹や手足に綿と一緒につめて使います。
当たり前ですが、入れれば入れる程重くなりますし、鉛玉をいれたことでツブツブとした、ビーズ感ある触り心地になります。
 
そこでふと思うのですが、散弾銃はクマを撃つときにも使われるもの。
そんな散弾銃の弾(の中にある玉)を、クマを模ったものに詰めるというのは、なにやら呪術めいた恐ろしさを感じます。
人で例えるならば、人形の中に血まみれのナイフを隠しておくような。
…………
…………
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…………急に夏っぽい話になってしまいましたが、鉛玉を使ったぬいぐるみづくりを批判するつもりはありません。
むしろ、テディベアづくりに散弾銃の玉を使う場合があると聞いたとき、確かに私の中の中二心はうずいたのです。
可愛らしいぬいぐるみの中に、銃という恐ろしいものの一部が隠されている。一見対極にあるものが、実は繫がっている面白さ。
これも一種のギャップ萌えかもしれません。
 
皆さんもずしっと重たいテディベアに出会ったら、中身を想像してみると面白いかもしれませんよ。

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ハチマル

本業はデザイナーだが、成り行きで記事を書くことに。
好きなジャンルは時代小説・手芸本。

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