だれかに話したくなる本の話

「いい子でいる必要はなかった」元球児の作家が見た「甲子園がなかった夏」(1)

8月29日に智辯和歌山高校の優勝で幕を閉じた全国高等学校野球選手権大会(以下、夏の甲子園)。

部員のコロナ感染による出場辞退や度重なる雨天順延がありつつ、なんとか全日程を消化した形だが、こうなると中止となった昨年の3年生の無念が今あらためて際立つ。

作家・早見和真さんの『あの夏の正解』(新潮社刊)は、春夏ともに甲子園が中止になり、野球をすることの目標と意味を根底から揺さぶられた昨年の3年生の姿に迫るノンフィクションだ。彼らはどのように甲子園の中止を受け止め、甲子園のない夏を過ごしたのか。現場での取材を通して球児たちとすごした時間について、早見さんにお話をうかがった。(取材・記事/山田洋介)

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■「明るく素直な高校球児」を演じる必要がなかった夏

――現在開催中の夏の甲子園(取材日は8月16日)ですが、どんな思いでご覧になっていますか?

早見:全試合じっくり見ているわけではないのですが、この大会に出られた子たちは幸せだっただろうなと思います。

ここにいたるまで地方大会からいろいろなことがあったじゃないですか。出場辞退を余儀なくされる高校があったり、出場辞退が覆った高校があったり。その意味では去年の3年生は等しく大会を奪われたという意味で「フェア」だったのかなと思います。

今年はコロナ禍で大会を開催するためのルールが完全に定まっていないなかで、納得して高校野球を終えられる人と、そうでない人と、ばらばらなのではないかと。とにかくみんな納得できる終わり方ができればいいなという思いで見ていました。

――『あの夏の正解』は、新型コロナウイルスの影響で春夏ともに甲子園が開催されなかった昨年の高校球児にスポットライトを当てています。彼らを取材した早見さんとしては、昨年よりもはるかに感染が拡大している今年開催できるのなら、去年もできたのではないかという思いがあるのではないですか?

早見:それは思います。去年甲子園がなくなって、3年生が「俺たちのぶんも、来年は甲子園に行ってくれ」、2年生は「3年生のためにも自分たちの代は甲子園に行こう」というやり取りをよく見ました。

でも、後輩たちが甲子園に行けたとして、それで去年の3年生が納得できるかというと、そんなことはないと思うんですよね。去年の段階ではそうでも言わないとやっていられなかったということなのかもしれません。それだけに、去年後輩たちに甲子園を託して引退した3年生が、今年の大会をどういう風に見て何を思っているのかはすごく気になりました。

――早見さんは神奈川の桐蔭学園高校で野球をされていたそうですね。デビュー作の『ひゃくはち』は当時の早見さんが野球に対して抱えていた屈託が投影された作品です。

早見:自分の高校野球が終わった時に、もう甲子園は二度と見たくないと思っていたのですが、『ひゃくはち』を書いたことで高校野球と甲子園への思いを全部吐き出して決着がついた感じがして、それからはまた見られるようになりました。

ただ、今回の本の取材で12年ぶりに高校野球の現場に行ってみると、全然自分の恨みが消えていないことを思い知らされました。だから、僕は当時の自分と同じ補欠の選手にすごく感情移入していた気がします。

――私も高校野球をやっていたので、「高校球児ほど本音を口にしない人間はいない」という早見さんの意見はよくわかります。私自身も周りの大人たちの顔色を見て発言していましたし、大人の前では「明るく素直な高校球児」を演じていた気がします。今回、愛媛県の済美高校と石川県の星稜高校を往復して両校の選手や指導者を取材するなかで、彼らの本音に迫るためにどんなことを心がけていましたか?

早見:「この選手は本音を言っている」と、僕が思った時点で足をすくわれるという思いは常にありました。話を聞きながら「それ、本当?」と相手にも自分にも問い続けていましたし、よくある「高校球児がよく言う発言」や「大人が喜びそうな発言」だと感じた時は突き返したこともありました。

彼らが大人の喜びそうな耳障りのいいことを言う一番大きな理由は、おそらく監督に嫌われないため。つまり、甲子園に通じる「人事権」を持っている大人に悪く思われたくないからでしょう。だけど、去年に限ってはその人事権を発動できない年でした。

――甲子園がなかったわけですからね。

早見:そうです。だから、本質的には選手たちも「いい子」でいる必要はなかったはずなんです。「コロナに甲子園という大事なものを奪われたなかで、最前線で生きているあなたたちが今の考えを言うのに、参考になる前例はないんだよ」ということは、彼らには常に伝えていました。

その上で「高校野球らしさ」なんて考えないで、自分の頭で考えた言葉を教えてほしいと。あとから「やっぱりあれは世に出してほしくない」という発言があったら、それは全部聞くよ、ということも繰り返し言っていましたね。

あとは、いかにこちらを信用してもらうかでした。そのために苦しくて仕方のなかった自分の高校時代の話もしましたが、幸いにもそれをおもしろがってくれる子が多かったです。僕自身は高校時代に周りにいた大人たちをまったく信用していなかったのですが、三ヶ月付き合ってみたら、みんな当時の僕ほどひねくれていなかった気がします(笑)。

――桐蔭学園時代は大会のメンバー入りできなかったという早見さんですが、当時去年と同じように甲子園がなくなり、夏は甲子園にはつながらない都道府県別の独自大会を行う形なっていたらどんな行動をとっていたでしょうか?

早見:僕なら夏を待たずに部を辞めていたかもしれません。チームメイトとは仲が良かったですけど、「甲子園はないけど、みんなで最後までやろうぜ」っていう空気ができればできるほど、カウンターとして「なぜ最後までやる必要があるんだ」と問うていたと思います。実際に辞めるかどうかはともかく、一度は辞める空気を作った気がします。

――それは天の邪鬼ですね。

早見:いわゆるイタい子どもだったんです(笑)。桐蔭学園の野球部は、最後の夏の大会にベンチ入りできないと決まった時点で、寮を出たい人は出ていいんですよ。僕は寮長でしたし、チーム内に居場所もあったので、みんな僕は最後まで寮に残るだろうと思っていたらしいんですけど、僕は寮を出ました。だから、当時甲子園がなくなるとなったら、やはり部には残らなかったんじゃないかなぁ…。

(後編につづく)

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あの夏の正解

あの夏の正解

「Yahoo! ニュース|本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞」ノミネート作品!

コロナ禍で甲子園が中止になった夏。
夢を奪われた選手と指導者はどう行動したのか。

この記事のライター

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山田洋介

1983年生まれのライター・編集者。使用言語は英・西・亜。インタビューを多く手掛ける。得意ジャンルは海外文学、中東情勢、郵政史、諜報史、野球、料理、洗濯、トイレ掃除、ゴミ出し。

Twitter:https://twitter.com/YMDYSK_bot

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