だれかに話したくなる本の話

「怒るはNG、でも叱るはOK」に潜む身勝手さとは?

「怒るはNG、でも叱るはOK」に潜む身勝手さとは?(*画像はイメージです)

行儀の悪い我が子を叱る。
仕事で何度も同じミスをする部下を叱る。

生活の中で、ほとんどの人が誰かを叱るタイミングがある。私たちはなぜ誰かを叱るのだろうか?相手の行いを正したいから?もっと成長してほしいから?あるいは子育てなどでは、その場で「叱っている親」の姿を見せないと、親である自分が周囲に叱られる、という場面もある。

ともかく言えるのは、私たちは「叱ること」に何らかのいい効果があると考えているということだ。それは「怒るのと叱るのは違う。叱るのはいいが、怒るのはダメ」という意見があちこちで見られることからも明らかである。

しかし、叱ることには本当に教育的な意義があるのだろうか?

〈叱る依存〉がとまらない

〈叱る依存〉がとまらない

「叱る」には依存性があり、エスカレートしていく――その理由は、脳の「報酬系回路」にあった!
児童虐待、体罰、DV、パワハラ、理不尽な校則、加熱するバッシング報道……。
人は「叱りたい」欲求とどう向き合えばいいのか?