だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『ことり』 小川洋子著

提供: 本が好き!

小父さんの死から始まって 遡って小父さんの一生をなぞり そして小父さんの死で終わる物語。
読み終えて少しの間何も考えられず、その後じわじわと胸が熱くなった。こんな読後感は初めてかもしれない。
ちょうど輪っかみたいにラストが冒頭に繋がっているために もう一度最初に戻ってみる。だけど、決して小父さんは生き返らない。

「ことりの小父さん」と幼稚園児たちが呼んだ。
自ら申し出て幼稚園の鳥小屋の掃除やエサの世話をずっと完璧にやり続けた人だ。そう言うとまるで子供に囲まれ、親しまれた、子供好きの優しい小父さんのように思えるが ただただ控えめで無口で、どちらかといえば子供が苦手な小父さんだった。

小父さんにはお兄さんがいた。子供の時に人間の言葉を話すのをやめて、特殊な言語を話すようになった人だ。お兄さんの言葉は小父さんにはちゃんと解る。お母さんは心配し 医者に連れて行き言語学者にも頼る。だけど誰にも解らない。鳥が大好きだったお兄さんの「ポーポー語」。

お母さんとお父さんが亡くなってから お兄さんと小父さんは二人でその家に住んでいた。小父さんはゲストハウスの管理人として働いた。お兄さんの毎日のきちんと決まった生活を守ってあげた。お兄さんの落ち着いた幸せを壊さないことが小父さんの幸せでもあった。

他の誰と繋がりたいわけでもない。ただ、崩れ落ちた「離れ」をそのままにした草木の生い茂る庭に来る、野鳥にひっそりとエサを置く。決して彼らのさえずりを邪魔しない。野鳥たちを見守って、その美しい歌を聞かせてもらえることを感謝して つつましく暮らしていたのだ。

やがてお兄さんも亡くなる。
お兄さんと生きることだけが小父さんの毎日だったから その穴は大きいのだ。

それでも やはり小父さんは淡々と日々を続けて行く。
それだけで十分だったのに、時々その日常に小さな変化を起こす人が現れては遠ざかる。小父さんは何も悪くないのに、不穏な事件の影が差す。だんだんと心配になってくるのだ。誰か新しい人が登場するたびに。小父さんのささやかな幸せが崩されませんようにひとかけらも悪意のない小父さんに災難が降りかかりませんようにと、読者は心から願うのだ。

そして お兄さんを亡くした後でやっと巡り合えた相棒、傷を負ったメジロ。お兄さんに教えてもらった鳴きまねは メジロにしっかりと通じる。なんと幸せな時間だろう。小さなメジロがどんどん美しい歌い手になっていく様は、ほんのりと温かい温度をこの物語に与えてくれる。いつか飛び立つ日まで、そのはかない時間を小父さんが覚悟していることも解る。

小父さんは絶対に何かを独占したり 相手の自由を奪ったり 名誉や賞賛を欲しがったりはしないのだ。だから 最後に現れた「鳴き合わせ会」とやらでメジロを勝負に使う男は相いれなかった。当然だ。求愛の相手のふりをしてメジロを騙して鳴かせて、勝ち負けを付けるなんて 小父さんの、そしてお兄さんの受け容れがたいことだ。野鳥を自由にしなければいけない、小父さんはあの愛する相棒を、明日にも放つことを心に決める。

小川洋子の作品には いつも不思議な仕事や店、本当にそんな習慣や言葉があるのだろうかと思うような様々なものが登場する。まるで夢の中で見たような掴みどころのない何か、それなのにこと細かに羅列される現実感のある小物たち。非現実、想像 創造 虚構そんなものたちが 当たり前の顔をして登場し、静かで冷たい、でもどこかに小さな光と温かいものが隠れているような そんな世界だ。そしてその冷たい薄明りで見つけたような 小さな光と温かさが読者の胸に、忘れがたい何かを与えてくれる。

時代は移ろう。あの不穏な事件が無くてもきっと、幼稚園の門には鍵が付いただろうし、鳥小屋だっていつしか無くなってしまったのかもしれない。ゲストハウスは様変わりし、小父さんは定年を迎え、薬局の店主は世代交代し、兄弟が「ポーポー」と呼んだ飴も取り扱いが無くなった。優しい司書の女性にも不思議な虫箱の老人にも会えなくなり、園児たちは卒園し大人になっていくだろう。地味で無口で人付き合いが苦手な「ことりの小父さん」のことを 思い出す人はどれだけいるだろう。

でも小父さん、お兄さんにとって小父さんと生きた静かな日々が、多くの小鳥たちにとって小父さんが食べ物をを用意したあの庭や 幼稚園の清潔な鳥小屋が、大事な居場所だったんだよ。メジロは小父さんに会えて幸せだったんだよ。小父さんが居たことはちゃんと意味がある。ちゃんと何かを与えてるんだ。そんな風に思うのだ。

冒頭、ループした構造のこの物語を読み返しても「小父さんは還らない」と言ったけれど、言い直す。還らないけれど、無くなってもしまわないのだ。小父さんはずっと、ことりたちと共に居る。恥ずかしそうに、申し訳なさそうに。

(レビュー:すずはら なずな

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

本が好き!
『ことり』

ことり

人間の言葉は話せないけれど、小鳥のさえずりを理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟。二人は支えあってひっそりと生きていく。やがて兄は亡くなり、弟は「小鳥の小父さん」と人々に呼ばれて…。慎み深い兄弟の一生を描く、優しく切ない、著者の会心作。

この記事のライター

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