だれかに話したくなる本の話

直木賞受賞作家・門井慶喜が影響を受けた3冊の本とは?

出版業界の最重要人物にフォーカスする**『ベストセラーズインタビュー』**。第96回となる今回は、『銀河鉄道の父』で第158回直木三十五賞を受賞した門井慶喜さんの登場です。

『銀河鉄道の父』(講談社刊)は、日本を代表する童話作家・宮沢賢治の父親である宮沢政次郎を主人公に据え、これまでとは違った素顔の賢治像を照らした長編小説。“厳格でありながら、賢治のことを甘やかしてしまう”父親・政次郎と、“親に甘えつつ、自分の道を突き進んでいく”賢治の姿は、偉大な作家の人間くささをあぶりだします。

門井さんはなぜ賢治ではなく、父親の政次郎にフォーカスしたのか。ご自身が3人のお子さんの父親であることから、作家の顔のみならず、門井さんの父親としての顔も感じられるインタビューとなりました。また、この後編では影響を受けた3冊の本についてもお聞きしています。
(取材・文/金井元貴、写真/山田洋介)

■「賢治を殺すというのは大変ですね」

―― 政次郎と賢治の関係を描く上で注意したことはありますか?

門井:悲劇にしたくなかったということです。物語が始まる時点で賢治が死んでしまうことが分かっています。それは小説とはいえ動かすことのできない出来事ですから、普通に書いていけば、最重要人物が死ぬという悲劇になるのが当たり前なんです。

だからこそ、悲しいという感情で終わる話にしたくなかった。この小説の読者に、そしてこの家族に、僕自身に一筋の光が差すような終わり方にしたかった。あえてこの言葉を使うならば、読後感にかるみのあるものにしようと、一行目を書くときから決めていました。

でも、賢治を殺すというのは大変ですね。トシも大変でしたが、エネルギーを使いました。

―― 「賢治を殺す」とは少し物騒な言葉ですが…。

門井: いくら活字の世界に過ぎないとはいえ、こんなに一生懸命生きている人を1人、あるいはトシを含めて2人、自分に殺す資格があるのかと悩みました。

あたかも作家が登場人物の生命を握っているという顔をするのも嫌ですし、でも死を描かなければ前に進まない。だから、敬意を持って送り出しましたね。

―― この作品は明治、大正、そして昭和という変化の大きい3つの時代にまたがっています。時間の流れはシームレスです。時代として考えたときに明確に違いが出てくると思いますが、その点の書き分けはどのように意識しましたか?

門井: おっしゃる通り、明治、大正、昭和はそれぞれ全く違います。例えば大正時代は現代に生きる我々の感覚にやや近い、良くも悪くも大衆化の時代です。一般の人たちが人権という抽象的なものを理解するようになりました。

特に変化が見える最も典型的な場面が「家族の食事」です。
これは僕がつくったフィクションで根拠のある想像ですが、明治は一人一人に御膳が並べられて、上座に政次郎が座り、号令をかけて食べるという感じだったはずです。それから大正時代になると、お茶の間にちゃぶ台というものが普及します。
最後のシーンで実際に書いていますが、上座も下座もない車座で一つの大皿をつついて食べる。もちろんそれで家族が平等になったというわけではないのですが、そういう装置を出すことによって、明治と大正・昭和の違いを書くことができると思っていました。

―― また、宮沢家の物語の舞台である花巻という街についてはどのような印象を受けましたか?

門井: 花巻については、一度この小説を書くために取材を行いました。

小説の中では書くことができなかったのですが、花巻まつりの鹿踊りにかける市民の想いがすごく強いことも分かりましたし、花巻にお城が置かれていたというところから江戸時代に非常に重要な場所であったこともうかがえました。当時は一国一城令で盛岡に本城がありましたから、本来であれば花巻にお城を置いてはいけません。しかし、例外として許されていた。

規模は決して大きくはないですが、想像以上に豊かな文化が育まれている街でしたね。

■門井慶喜が影響を受けた3冊の小説とは?

―― 今、書かれている小説について教えていただけますか?

門井: 今書き始めたものが2作あります。一つは『別冊文藝春秋』という電子版の小説誌で「空を拓く」という小説を連載していて、主人公は東京駅をつくった建築家・辰野金吾です。
前に『家康、江戸を建てる』という小説を書いたのですが、それは何もない土地に江戸という町をつくるという話でした。一方、この「空を拓く」は、江戸という町の上に東京という町をつくりなおすというプロジェクトを追いかけます。家康が新築だとすると、金吾のやったことは改築の話ですね。

もう一つは新潮社の『yom yom』というこれも電子版の小説誌で「地中の星」という小説を連載しています。こちらは地下鉄銀座線事始めですね。鉄道は、籠や馬、自動車といった他の乗り物とはまったく違う性質があります。それは、A地点からB地点に行ければいいという話ではなく、線路を引き、駅をつくり、時刻表を設定し、駅員を配置し…という巨大なシステムをつくる一大プロジェクトであるということです。ですから、戦前の日本には鉄道省があったわけなんです。

―― では最後に、門井さんが影響を受けた本を3冊ご紹介いただけないでしょうか。

門井: 分かりました。まずは1冊目、司馬遼太郎の『アームストロング砲』という短編集です。表題作「アームストロング砲」は佐賀藩のお話で、アームストロング砲の製造を通して鍋島家は近代化に成功したけれど、藩主や家臣たちは大変だった。史実とフィクションの間を描いた、司馬遼太郎の小説の技法がクリアに分かる短編です。

2冊目は泉鏡花の『外科室』ですね。僕は岩波文庫で読みましたが12、13枚ほどの短い小説です。伯爵夫人が手術で死んでしまうという話ですが、それは夫人が求めていたことだった、という一種の美しいホラー小説です。
この小説の際立っているところは、なぜ自殺をするのか、なぜメスを入れるのかというところに筋道が一切なく、場面の美しさだけを求めた結果の表現だということです。小説は一つの価値があれば他に何もなくてもいい、その一つの価値によって小説は輝くものなのだということを、強烈に教えてくれた一冊です。

最後はイタロ・カルヴィーノの『不在の騎士』です。米川良夫の翻訳ですね。「不在の騎士」はその名の通り“不在”です。鎧の中は空っぽ。人間と同じように会話もするし、動いている。しかし、中が不在ゆえに差別され、からかわれる。この作品は、筋道が隅々まで行き渡っているけれど、主人公がいないがために筋道の立てようがないという一種の実験小説なんです。こうした小説には心から敬意を表しますね。

―― ありがとうございました。

■取材後記

インタビュー中にもあるように、ご自身も3人のお子さんのお父さんだという門井さん。もしかしたら、作品の中に自分の父親としての視点を入れながら書いていたのかもしれません。賢治の父親である政次郎は厳しさと優しさを揃えた人物です。『銀河鉄道の父』という小説を通して、そして門井さんのお話を通して、父親とは、家族とは、どんな存在なのか、今一度考えさせられた時間でした。(金井)

この記事のライター

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金井元貴

1984年生。「新刊JP」の編集長です。カープが勝つと喜びます。
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