だれかに話したくなる本の話

“ふつう”の日本人警察官が命を落とした。1993年、カンボジアとPKOの現実

■高田隊員の死を23年間ずっと引き摺っていた

高田隊員と同じアンピル班の班長であり、本書のもう一人の「キーマン」ともいえる元神奈川県警の川野邊寛氏(事件当時・警部)は、初めて面会をしたときに「1時間、2時間では話しきれないことだ」と述べたという。

なにを話して、どこまで自分の中に閉じ込めておくべきか。口を開いて話したところで、本当のことが伝わるのだろうか? 理解してもらえるのか? いや、わかってもらえないだろう……そんな逡巡を何度も繰り返した。そうやって沈黙の時間は、降り積もり、隊員たちに「23年の時間の重み」がのしかかる。迷いを振り切って話すということは、相当な覚悟が必要だったろう。

「高田さんの事件は、1人の隊員が亡くなっただけという話ではないんです。全ての関係者が23年間ずっとそれを引き摺っています。山崎隊長、川野邊さん、ご遺族の方々、そして全ての隊員。彼らはずっとその事実を抱えて生きてきたんです」(旗手氏)

それぞれの胸の中に残り続けるカンボジアでの体験。旗手氏は取材を通して、隊員たちが背負ってしまった苦しみを知る。

「もしかしたら自分が死んでいたのかもしれない、という思いは共通して持たれています。特に川野邊さんをはじめとしたアンピル班隊員の方々は、もしかしたら、自分が死んでいれば高田さんは助かったかもしれない、あのときこうすれば、ああすれば、高田さんは死ななかったのではないかという後悔や自責の念など、他の班の方々とは少し違うものを抱えているように感じました」(旗手氏)

そして、1993年5月4日事件は起きる。
事件現場となるアンピル地区に日本人隊員は全部で9名赴任していた。うち5人はアンピル村に、残りの4人は、アンピルから国道691号線で20キロメール隔てたフォンクーという集落に配置されていた。アンピルにいた高田隊員、班長の川野邉氏、八木一春氏、鈴木宣明氏、谷口栄三郎氏の5人が、警護するオランダ海兵隊の軍用車両を先頭に、インドの地雷処理チームなどと車列を組んでアンピルからフォンクーへ出発、その帰路を襲われる。

「日本隊は、車列の2番目と3番目、2台に分かれて乗車して、アンピルに戻る途中に襲撃されました。八木さんは高田隊員と同じ2番目の車両に乗っていましたし、川野邊さんは本来、高田さんの隣に座るはずでしたが、たまたまその後ろの車両に乗ることになった。そして、谷口さん、鈴木さんも含めて全員が負傷をしていますが、命は助かった。でも高田さんは亡くなった。アンピル班の方々は死がすごく近いところにあるんです。
川野邊さんは当時の光景がフラッシュバックするとおっしゃっていました。なぜ自分はあの時ああいう判断をしてしまったのか、その想いをずっと抱えていらっしゃっています」
(旗手氏)

■高田隊員を殺した「正体不明の武装勢力」とは?

カンボジア各地に散った日本人隊員たちが書いていた日記によれば、ロケット砲や迫撃砲の音、機関銃の音、照明弾の光などが記録されているほか、ゲリラによる襲撃が激しくなる中で、動揺が深まっていく様子がうかがえる。これが当時のカンボジアの現実だ。アンピル付近の襲撃事件は特別なものではなく、常に身近に「戦闘」があった。

こうした状況を、遠く離れた隊員同士で報告し合うことも難しい環境にあった。インターネットやメールといった手段がない時代、連絡手段はパラボラアンテナがついた大型の衛星電話だったが、日本人隊員が赴任した全ての場所に配置されていたわけではなかったというのだから驚きだ。

「今回取材を通して改めて警察官のすごさを実感しました。彼らの中には、もともと公安、警備畑の人たちも多く含まれていたんですね。だから、情報の取り方が上手なんです。現地についたら、まず協力者を探す。これは本には書いていませんが、市場にいた元ポル・ポト派の人間をつかまえて、定期的に日本製の栄養ドリンクを渡しながら状況を聞いていた隊員もいました。またアンピル班の川野邊さんたちはポル・ポト派のニック・ボン准将と接触していますが、そういう話はいくつか聞きました。情報を独自のルートで仕入れて、襲撃をあらかじめ予測していたというのは驚きでしたね」(旗手氏)

総選挙が近づくにつれ、カンボジア全土で治安は悪化していき、各地で「戦闘行為」などが起きるたびに、日本政府は「停戦合意」は崩れていないと発表を繰り返す。国連要員が襲撃されても、犯行は「正体不明の武装勢力」と発表されるばかり。

そして、1993年4月8日、国連ボランティアとして現地で活動していた日本人・中田厚仁氏が殺害される。犯人はいまもなお不明のままだ。その約一か月後の5月4日、5人の日本の文民警察隊らが襲撃され、高田隊員が殺害される。その犯行もまた「正体不明の武装勢力」とされ、いまもなお政府による事件の究明・検証はなにもおこなわれていない。

23年前のカンボジアでなにがおきていたか、隊員も語らず、誰も追及、検証してこなかったのはなぜなのか。日本が初めて本格的に参加した、PKO(国連平和維持活動)の現場でいったいどんな状況だったのか――旗手氏らNHKの取材班 は、文民警察隊員たちや、当時官房長官だった河野洋平氏や外務省の柳内俊二氏ら政府要人のキーパーソンに取材を進めていく。

高田隊員はいったい誰に殺されたのか。
その真実を元ポル・ポト派で現在は政府軍の司令官となっているニック・ボン氏に直接聞くため、川野邊氏がNHK取材班とともにカンボジアに赴く。
本インタビュー後編では、旗手氏に、ひきつづきお話を伺う。

後編<NHKディレクターが見た“自分たちを検証しない国・日本”とメディアの役割>はこちらから

告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実

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文化庁芸術祭賞優秀賞など数々の賞を受賞したNHKスペシャル待望の書籍化。隊員たちの日記と、50時間ものビデオ映像が明らかにした「国連平和維持活動の真実」とは?

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金井元貴

1984年生。「新刊JP」の編集長です。カープが勝つと喜びます。
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