だれかに話したくなる本の話

成功者の自分語りに要注意! 「凡庸な人ほど自分の個性を強調する」

SNSやウェブサイト上に流れる言葉たちを追いかけることに疲れを感じながらも、なんとなく見ていないとトレンドに置いていかれるようで不安になるため、日夜インターネットを見続けている。
そんな生活を送ってはいないだろうか。

その中で目にする「自分語り」。
自分はこういうことをして成功をした。こういうことに遭遇して不満を覚えた。こういう風にして改善した。
共感できるもの、役に立ちそうなもの、何を言っているのか分からないと思えるもの、受け取る人によってさまざまだが、とりわけ成功した人の自分語りには「いいね」や称賛の声が集まりやすい(もちろん批判の声も上がることもあるが)。

しかし、そうした成功者の語りは、一方で注意して対峙すべきだろう。

■成功者の自分語りの「裏」にあるものを読み取る

『善意という暴力』(幻冬舎刊)は、政治社会学者で首都大学東京客員研究員などを務める堀内進之介氏による新書。
本書のテーマは「善意による支配」だ。目次に並んでいるのは「『善意』の暴走」「同調圧力」「共感」といった現代のSNSの闇をあらわすキーワードであり、それらを通して日常の中にある権力の姿に迫っていく。

この中に、成功者の語りについて触れられている箇所がある。

成功者の言っていることは、実際に結果を出した人の方法論や思考法という点では一聴に値する。ただし、成功した方法について、再現性のあるものか、そうではないものかをはっきり区別できなければ自分が痛い目を見ることになってしまってしまう。

特に気を付けたいのが「後知恵バイアス」と呼ばれるものだ。
これは、成功者がそれまでの道筋を振り返ると、「自分のしてきたことすべてが必然に見える」というもの。もちろん、嘘をついているとか、事実を捻じ曲げているということではないが、語りには出てこない「失敗したこと」「グレーなこと」「地味なこと」といったことが隠れている可能性がある。

自分の成功譚を求められる人は、だんだんと分かりやすく、そして受けるようにそれを伝えられるようになるが、その分、削ぎ落される情報も多くなる。

堀内氏は「分かりやすいことと、正しいこととは違っている」(p.125)と指摘する。もちろん、成功者本人もそれはわかっているだろう。しかし、そうであっても、同じ話をし、同じ質問に答えていることで、「自分はこんなに頑張ったから成功した」と思い込んでいってしまうのだ。

これはSNSやブログに限った話ではなく、本でも同じことが言える。
また、もしかしたら日常の会話においてもこういうケースはあるだろう。上司や社長、取引先の相手が、いかに自分が特別な「体験」をしてきたかということを常に語ってくる。

そうしたときには「成功者が書いていないこと、話していないことは何か、それを考えるのは大事なことだ」(p.126)と堀内氏は指摘する。もし、ノウハウだけを抜き出そうとすると、宝くじの当選者に宝くじの必勝法を聞くようなことになりかねないだろう。

堀内氏は、社会学者のマックス・ヴェーバーの『仕事としての学問』から、「凡庸な人ほど個性や特別な経験を語りたがる」という一文を引用する。この言葉は、ヴェーバーが生きていた19世紀の俗流教養人のことを指しているが、現代でも十分に通用するのではないか。
自分のことばかりを語り、自分を個性的であるとアピールするが、自分のやっている仕事に対する情熱は語らない。そこも人間の本質を見極める一つのポイントとなりえる。

自分がフォローしている成功者の言うことに対して、このような視点を持つことは意外と難しいことかもしれない。しかし、常に誰かの言葉と向き合わざるを得ないのが現代だ。思考を緩めるとあっという間にそれらの言葉があなたを蝕むだろう。

(金井元貴/新刊JP編集部)

善意という暴力

善意という暴力

「善いこと」ほど残酷で排他的なものはない。

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金井元貴

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