だれかに話したくなる本の話

『アウシュヴィッツの図書係』アントニオ・G・イトゥルベ著【「本が好き!」レビュー】

提供: 本が好き!

アウシュヴィッツ=ビルケナウの絶滅収容所 ー その中にある秘密の図書館の「図書係」として、命をかけて8冊の本を守り、修繕し、貸し出し、心から慈しんだ一人の少女…。この本は、その勇敢で、ユーモアと機智に富んだ「ディタ」と呼ばれる少女の物語だ。

ディタと両親が収容された「家族用キャンプBⅡb区画」は、移送後直ぐに選別され、労働力とガス室送りにされるアウシュヴィッツにおいて異色な存在だった。

6ヶ月後特別措置と記録されて収容所に送られて来る家族達は、男女は分けられるものの、親子が一緒のブロックで生活出来る。その背景にはナチスのある目的があった。しかし、ナチスの目論見とは関係無く、そこには禁じられているはずの秘密の学校と、たった8冊ではあるが、本があった。アウシュヴィッツで固く禁じられているもの、「本」が。

本文から引用してみたい。

人類の歴史において、貴族の特権や神の戒律や軍隊規則を振りかざす独裁者、暴君、抑圧者たちには、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底して迫害するのだ。本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。

当然アウシュヴィッツに本があるはずは無く、持っている所を見つかったら、処刑されるだろう。そんな環境の中で、このブロックに密かに学校を作り、本を所持しているフレディ・ヒルシュと言うドイツ系ユダヤ人の青年に見込まれたディタは「図書係」になることを引き受ける。

ヒルシュはカリスマ性のある古参のリーダーでアスリートだ。このヒルシュの力強い考え方や行動力にディタは影響を受ける。彼は言う。「最強のアスリートは最初にゴールを切る選手ではない。倒れるたびに立ち上がる選手だ。大切なのは意志の力、諦めない事」「勇敢な者は恐れないものでは無く、恐れを知っているものだ」と。ヒルシュはディタに、本の中の数ページを自分だけの世界にすっかり変えてしまう感性があることを見抜く。それはアスリートの彼には無いものだった。

ディタは本を秘密の学校の先生達に貸し出し、一日の終わりに回収し、隠す。運ぶ時の為に服の下に本を入れるポケットまで縫いつけて。収容所所長のシュヴァルツフーバーや、ヨーゼフ・メンゲレなどという、ユダヤ人を全く人間と思っておらず、処分するか、実験のために斬り刻む事を平気で行う者達の監視にさらされながら必死に図書係の使命を遂行するディタ。彼女は小さな兵士だ。

8冊の本はどれも傷みが激しい。『地図帳』、『幾何学の基礎』、H・G・ウェルズの『世界史概観』、『ロシア語文法』、フロイトの『精神分析入門』、読めないフランス語の小説(実は『モンテ・クリスト伯』)、表紙の無いロシア語の小説。ボロボロのチェコ語の小説(これがとても面白い『兵士シュベイクの冒険』)その他に、ディタが修繕する必要が無い「生きた本」と言うのもある。文学作品をよく知っている先生達が『ニルスの不思議な旅』やアメリカ先住民の伝説、西部の冒険もの、ユダヤの族長物語などを「生きた本」に変身して子供達に聞かせるのだ。

アウシュヴィッツでディタが回想する本の思い出も、強く私の心を惹きつけた。すでに戦争の色濃く、貧しさがユダヤ人を追い詰めていたころ、12歳の誕生日にディタが「大人の本を何か読ませて欲しい」と母親にねだる。眠りかけたディタのナイトテーブルにそっと母親が置いてくれた本の著者と題名を見て、私は泣きそうになった。A・J・クローニンの『城砦』。私が中一の夏休み、母に貸してもらって貪るように読んだ本だった。ディタはこの本によって人生が何倍にも豊かになること知り、信じる道を進めば、最後に正義が勝つと教えられる。

そして、プラハからテレジーンゲットーへ移送される時、ディタの父がスーツケースに忍ばせて母に文句を言われた分厚い本。トーマス・マンの『魔の山』だ。ディタはこの本で「本を開けることは汽車に乗ってバケーションに出かけるようなものだ」と思う。『魔の山』の表紙を開けた瞬間を思い出すと、アウシュヴィッツの粗末なベッドでも笑みが浮かぶディタ。この本も、高校二年の夏休みに何日もかけて読んだ私の忘れられない本だった。

すっかりディタに感情移入して読んで行くが、正直な所アウシュビッツでの日々、それにも増して、終戦真近のベルゲン=ベルゼンの収容所の様子は読むのが辛い。しかし、アウシュヴィッツで先に6ヶ月が経った家族が「特別措置」に送られ、ヒルシュが死亡し、無気力になってしまった子供達や一部の大人達の心を蘇らせたのは、ディタが朗読する本だった。

そして、死人と生きた人間の区別もつかないベルゲン=ベルゼンでも、朦朧とするディタを支えたのは物語の世界だった。たとえ最後にそれが手元に無かろうと、読んだ本の記憶は一瞬でもディタを、目を背けずにはいられない現実から旅に連れて行くことが出来た。

水も食べ物もろくに無い絶滅収容所で、本なんかが何の役に立つのか?子供達に教育を与えても、半年後には死ぬのに、意味があるのか?そう思う時、人が物語を読んで、(聞いて)笑い、泣き、胸躍らせる時、干からび、死んでしまったかに見える人間性を一瞬でも取り戻す事をこの本は教えてくれる。

この物語は実話に基づいたフィクションであり、アウシュヴィッツを生き延び、最後の収容所で生き残った勇敢な少女ディタのモデルは、現在80を過ぎても健在であり、この本を書く為に資料を集めていた著者が偶然出会った彼女の英雄的な生き方も後書きに書かれている。

是非最後の著者後書き、訳者解説まで読まれたい。そしてディタと言う少女の目を通した絶滅収容所の人間模様に、新しい発見をすることと思う。

(レビュー:トムタン

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アウシュヴィッツの図書係

アウシュヴィッツの図書係

絶望にさす希望の光。それはわずか8冊の本―― 実話に基づく、感動の物語

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