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「老い」もまた成長 稲の一生に見る人生訓

どんな人も「老いる」ことからは逃れられない。「老い」とはどういうことなのか。スイスの心理学者ポール・トゥルニエは「人は老いに従うことのみによって、老いを自分のものにすることができる」と言う。

■「老い」もまた成長 稲の一生に見る人生訓

静岡大学大学院農学研究科教授の稲垣栄洋氏による『生き物が老いるということ-死と長寿の進化論』(稲垣栄洋著、中央公論新社刊)では、植物のイネにとって「老い」とは米を「実らせる」ことであり、老いの時期は最も輝きを持つステージであると綴られている。これを人に当てはめるなら、人間はどうして実りに目を向けず、いつまでも青々としていようとするのか、ということになる。人間にとって豊かに老いるとはどういうことなのか。本書では、生き物が老いるということはどういうことなのかを考察していく。

先述の通り植物であるイネにとって「老いる」とは、米を「実らせる」こと。葉を茂らせて光合成してきたのも、茎を伸ばし、稲穂に花を咲かせたのも、全ては米を実らせるためだ。イネにとっては「老いの時期」こそが最も重要な時期なのだ。

イネには大きく分けて3つの成長がある。最初のステージは、茎を増やし、葉を茂らせる「栄養成長期」と呼ばれるステージ。その成長はやがて終わりを告げ、茎の数はピークを迎えるとそれ以上増えなくなる。茎の数がピークを迎えると、イネは次に茎を伸ばす。そして、穂を出して花を咲かせる「生殖成長期」になる。花を咲かせた後は、イネは米を実らせる。このステージが「登熟期」と呼ばれるもの。

登熟期になると、イネはもう茎を増やすことも葉を茂らせることもないので、成長していないように見える。しかし、このステージでこれまでの成長で得た栄養分を米に蓄積していく。若いイネでは持ち得なかった米を実らせているのだ。こうして葉が枯れる一方で、米は日々重くなっていく。イネにとって最も大切なのは米であり、この登熟期でイネの真価が問われる。

生物にとって成長とは、単に大きくなることではなく、ステージが進んでいくこと。人間にも「子どもの時代」、「大人の時代」、そして「老い」というステージがある。老いというステージに進んでいくと考えれば、「老い」もまた成長なのだ。

イネにとって「老い」は「米を実らせる」という成長。では、人間にとって老いのステージでもたらせる「実り」とは何なのか。本書から「老い」について、「生きること」について考えてみてはどうだろう。何とも味わいのある一冊だ。

(T・N/新刊JP編集部)

生き物が老いるということ-死と長寿の進化論

生き物が老いるということ-死と長寿の進化論

どうして人間以外の生き物は若返ろうとしないのだろう?
イネにとって老いはまさに米を実らせる、もっとも輝きを持つステージである。人間はどうして実りに目をむけず、いつまでも青々としていようとするのか。実は老いは生物が進化の歴史の中で磨いてきた戦略なのだ。次世代へと命をつなぎながら、私たちの体は老いていくのである。人類はけっして強い生物ではないが、助け合い、そして年寄りの知恵を活かすことによって「長生き」を手に入れたのだ。老化という最強戦略の秘密に迫る。

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T・N

ライター。寡黙だが味わい深い文章を書く。SNSはやっていない。

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