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【「本が好き!」レビュー】『櫛挽道守』木内 昇著

提供: 本が好き!

封建制度の世で女性が”しきたり”に逆らって生きようとした場合、まず周囲にたしなめられ、次に笑い物になったり憐れまれたりする。櫛を挽くのは男の役目、磨くのが女の役目。だが、登瀬は自分の家に代々受け継がれてきた櫛挽きの技を究めたい。

「お六櫛」は、信州木曽路の藪原宿の名産品である。飾り櫛とは異なり髪や地肌の汚れを落とすための梳き櫛で、一寸(約3センチ)の幅におよそ30本の歯が密集している。実にミラクルな手作業だが、登瀬の父は尾張藩御用達品となるほどの上物を仕上げる。嫁に行き子を産み、他のおなごと同じように生きろと母に咎められても、父の技は登瀬を魅了してやまない。登瀬にとって櫛挽きをあきらめることは、生きる目的を失うことだった。

誰に何を言われようと櫛挽きを続ける登瀬は、時代の一歩先を行く新しい女性に見えるけれど、そういうわけでもない。芸術品のような櫛を、問屋に言われるがままの安い値段で売ることに異を唱えないし、才ある男弟子が販売ルートを開拓しようとした時には、代々続いたやり方に逆らっては生きてゆけないと強硬に反対する。登勢だって古い”しきたり”に束縛されている。「これは自分の天職だ」と思い定める気持ち、職人魂を宿す胸はいつの時代にも男女の区別など無く、その深い思いを邪魔するのもまた、”しきたり”なのだ。

弟の死をきっかけに、様々な事件が家族に訪れる。登瀬は、誰かの感情の波立ちを”拍子の乱れ”と受け取る。思い乱れはしても大事なのは、父の櫛挽くリズムを体に刻みつけ自らも拍子を整えて櫛挽くことだ。名人の父は「(技とは)この身が生きている間だけ、ただ借りとる」ものだと言う。次の世代にそれを授ければ、必ず続いてゆくものだと。しかし、次の世代の者は一心不乱に修行しないと技を授かれない。タイトルの「道守」という言葉は、職人の矜持を表現しているようにも思う。

世間の風は作業場の人見戸越しにしか入ってこない。幕末の激動の余波は険しい山路を越えて届くが、登勢にとって最も興味ある出来事は、常に木曽路の小さな村の狭い板の間で起こる。
「ひい、ふう、みい、よう・・・」
作品には櫛引のリズムが流れ続ける。それは登瀬の鼓動のようでもあり、道を究めるために心を整える呼吸音のようにも聞こえてくる。

(レビュー:Wings to fly

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『櫛挽道守』

櫛挽道守

幕末、木曽山中の小さな宿場町。年頃になれば女は嫁すもの、とされていた時代、父の背を追い、櫛挽職人をひたむきに目指す女性を描く。中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞受賞作。

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